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281.ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ
ベルリン W.62、クアフュルステンダム、263
1897年3月26日
親愛なる友へ
私には直そうとして一生直せない癖が二つあります。一つは依然として作曲していることです。もう一つは、34年前と同じで、「彼はどう言うだろう」と問うてしまうことです。
「彼」とはあなたのことです。過去何年間も、あなたが私の曲について一言も触れられなかったことは真実です。私はそう解釈いたしております。しかしながら、私のあなたへの傾倒はこのことでいささかも揺るぐものではありません。私の傾倒のしるしとして、さらに新たなる曲(1)を献呈させていただき、寛大なる評価をお願いするものであります。
あなたがご病気であることを知った今、私はさらにあなたのことを思っております。願わくは、春になり転地が可能になることであります。転地はたとえ直接的な医学的効果はなくとも、精神的、肉体的に人を活気づけるものであります。これにより治癒に至ることを否定する医師は何処にもいないのであります(2)。
あなたの旧友であり崇拝者であるヘルツォーゲンベルクより
注
(1) ヘルツォーゲンベルクは彼のピアノ四重奏曲第2番、作品95をブラームスに献呈した。
(2) この手紙が書かれた日、ブラームスは「ちょっと休む」ために床についた。彼は再び起き上がることなく、4月3日に死去した。ヘルツォーゲンベルクの献呈に対するお礼の手紙をアルトゥール・ファーベルに口述筆記させたが、あいにくこの手紙は紛失している。
(完)
[http://herzogenberg1.blogspot.com '''ヘルツォーゲンベルク書簡集'''] を新たに配列しました。
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長い書簡集の訳、ご苦労様でした。
本当に感動的ですね。
「過去何年間も、あなたが私の曲について一言も触れられなかったことは真実です。」
ヘルツォーゲンベルク氏はやはり悲しかったでしょうね。
ブラームスはなんと返事を書いたのでしょう。
きっとブラームスを聴くとき、ヘルツォーゲンベルク夫妻を思わずにはいられなくなるでしょう。
ありがとうございました。
2008/2/13(水) 午後 9:02 [ otheR wind ]
音楽が分からないままに、随分昔にブラームスの周辺の人物としてヘルツォーゲンベルク夫妻のことを知り、気にかかっていました。other_windさんのように音楽が分かっていたら、もう少し良い訳ができたろうと思います。これが切っ掛けで良い訳がでれば幸です。
ウィーンの楽友協会の「ブラームス書簡集」で再販を重ね、すぐに
英訳されたのはヘルツォーゲンベルク書簡集だけだと思います。エリザベート書簡集だという人もいますが。
2008/2/13(水) 午後 9:21 [ fminorop34 ]
長い書簡集、日毎に投稿される形であったために読み通せた気がします。ブラームスという人を少し身近に感じることが出来、感謝しています。ブラームスもヘル夫妻も誠実で文才があり、お互いに書簡すべて保管していたとは、よほど強い絆で結ばれていたのでしょうね。このような理解者に恵まれたブラームスの幸せを思っています。
2008/2/16(土) 午前 10:59 [ 早春賦 ]
早春賦さんコメント有難うございます。鉄道網が整備され、ウィーンとベルリンが2日くらいで郵便物が届くようになりましたし、電報も届くようになりました。旅行も出来る時代になりました。色々な人が文通を交わし、大事に保管したようです。この書簡集は19世紀の音楽家と音楽に関心のある人々の証言になっていて、やりがいがありました。ですが音楽が分かっていない私には誤訳が多いかと存じています。ご容赦ください。
2008/2/16(土) 午後 3:43 [ fminorop34 ]