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Не пой, красавица, при мне Не пой, красавица, при мне Ты песен Грузии печальной: Напоминают мне оне Другую жизнь и берег дальный. Увы! напоминают мне Твои жестокие напевы И степь, и ночь — и при луне Черты далекой, бедной девы. Я призрак милый, роковой, Тебя увидев, забываю; Но ты поешь — и предо мной Его я вновь воображаю. Не пой, красавица, при мне Ты песен Грузии печальной: Напоминают мне оне Другую жизнь и берег дальный Лушкин (1799 - 1837) Don’t sing to me My beauty, don’t sing to me Georgian songs in sad tune: It reminds me of the Black Sea Where I lived in a commune. I’m recalled by your tune The barren steppe at night A ruined tomb near dune, The moon, a girl in plight. My fate, my dear ghost I am less gifted than you But left you on the coast We can meet here anew , My beauty, don’t sing to me Georgian songs in sad tune: Remind me of days on the Sea I lived in a nice commune. Pushkin 僕に歌わないで 哀しいグルジアの歌を 僕に歌わないでおくれ。 素敵な村の海辺の日々 想い出させないでおくれ。 君の調べで想い出す 荒涼たる大草原の夜 弔う人なき墓と砂丘 あの月、哀れな乙女。 僕の運命の女神、僕の魂 君には相応しくない僕は 海辺を去ることにしたが 僕達は此処で必ず会える。 哀しいグルジアの歌を 僕に歌わないでおくれ。 素敵な村の海辺の日々 想い出させないでおくれ。 プーシンキン 独訳 Meine Schönheit! Sing nicht mehr Meine Schönheit! Sing nicht mehr Mir die georgische Elegie weich! Sie erinnert mich ans Schwarze Meer Da war ich Soldat und Dichter zugleich Ach! Die Gesäng auf solche Weise. Mich erinnert an den entferntest Rand Das arm Mädchen, die lange Pferdreise Der mondscheinend Badestrand. Meine gnädige Parze, mein liebe Gheist, Es ist sicher, daß du standest mir nichts nach Dann hatte ich nach der Heimat abgereist. Ich glaube daß wir wird unter mein Dach Meine Schönheit! Sing nicht mehr Mir die georgische Elegie weich! Sie erinnert mich ans Schwarze Meer Da war ich Soldat und Dichter zugleich. Puschkin 独訳大意 歌はないでおくれ お願いだ、僕に歌わないで 哀歌調のグルジアの歌を。 僕が兵士で詩人であった黒海を 想い出させないでおくれ。 ああ!そんな調子の歌 おかげで想い出す、最果ての地 貧しい女の子、長い馬の旅 月の光を浴びる砂浜。 僕の運命の女神、僕の優しい霊 確かに僕は君とは比べ物にならない だから僕は郷里に戻ったのだが 必ず僕達はこの家で出会うはず。 お願いだ、僕に歌わないで 哀歌調のグルジアの歌を。 僕が兵士で詩人であった黒海を 想い出させないでおくれ。 プーシキン
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ロシア語の詩
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...




最近はまた歯が悪く、インターネット控えてます。
大草原の夜(このフレーズすごいいい)、貧しい少女など、プーシキンがグルジアの思い出を思い出すところ、すごいいいですね。
ところで思いついたのですが、
日本語は韻を踏むと変になりますが、
西洋の韻も要するにリズムで、韻の種類もリズムの種類なのですから、
日本語の詩も、文が美しく流れるリズムを見つけて、それを定型化して何種類かに分けるとかなんかしたら、
西洋に韻に代わるものができるんではないでしょうか。
2008/10/10(金) 午後 6:56 [ ダクセルくん ]
日本語訳では気づきませんでしたが、英訳の方で、プーシキンが村での生活を懐かしんでる気持ちもわかりました。
2008/10/10(金) 午後 7:01 [ ダクセルくん ]
お大事にして下さい。私も時々歯が痛みます。
原詩が分かってもいないのに、勝手なグリジアの想像をしました。私の乏しい語彙から、変な韻文になりました。プーシキンには申し訳ないと思っています。
韻を踏まなければ「詩的」ではないと言われていたら、日本語も随分違っていたでしょう。イギリス人もローマに行っては劣等感をおぼえて帰ってきたみたいです。韻を踏まないことで日本語は日本語らしくなったのでしょう。
2008/10/10(金) 午後 9:14 [ fminorop34 ]
私の英訳は私に「英語力」の都合でこうなったまでです。「英訳」まどという言葉を外したほうがいいかもしれません。このプーシキンの詩の大意が分かっているわけではありません。あるコンサートで歌われたラフマニノフ歌曲の解説のかすかな記憶からでっち上げたものです。
2008/10/10(金) 午後 9:19 [ fminorop34 ]
ぼくには正確なのか不正確なのか知りようがありませんが、
もし fminorop さんの訳が不正確だとしても、
詩というのは、詩だけでなくあらゆる創造作品は、
先人やほかの人の作物で気に入ったものを、自分流にアレンジするのが、
ふつうの定番の創作方法ではないでしょうか。
まったく先人の助けを借りずに無から自分1人で作り出す創作法もあるけれども。
fminorop さんの訳は詩の創作かもしれません。
すごくいいなと感じることがありますから。
ぼくは今までずっと、
詩というのは無から自分1人で作り出すものだと思っていましたが、
最近は、誰かぼくが気に入ったほかの人の形式を借りて、
その枠組みの中でつくるほうが簡単に作れるし、
それがむしろふつうのつくり方なのだ、
と思うようになってきました。
2008/10/11(土) 午前 11:23 [ ダクセルくん ]
だからデーメルのきよめられた夜をもとに、
それをまねした詩をたくさんつくれないかな、と
考えているところです。
或る自分の気に入った、非常に美しいと思う作品、
それと類似したものをたくさん量産するのもいいと思うからです。
音楽でも、いい曲があって、それに似た曲をもっと聞きたい、と思ってもあまりありません。
だから、その曲に似た曲をたくさんつくってくれないかな、と思うことがよくあるのです。
2008/10/11(土) 午前 11:28 [ ダクセルくん ]
原作は韻文です。別に韻文にする理由はないと思います。特に英語、独語の場合はそうです。私は以前にイタリアの詩人がスティ−ヴンソンの「放浪者」のイタリア語訳に感動しました。というよりイタリア語はなんとすごい言語かと思いました。イタリア語が分かっている訳ではありませんが、スティ−ヴンソンをほんの二箇所摩り替えただけのようです。見事な韻文にしています。「パンを川の水に浸して食べる」が「川で魚を釣って食べる」になっていました。「これからもそうだ」が「今までずっとそうだった」になっていました。
2008/10/11(土) 午後 1:37 [ fminorop34 ]
私がこんな事を始めた切っ掛けはこのイタリア語訳です。詩は訳すことは不可能であるという吉川幸次郎先生の説に私は同感するようになりました。原語で読まなければ理解できない。原語で理解するためには原語で作詩の真似事をしなければいけない。ですからプーシキンの詩を借りてドイツ語の勉強をしているのです。
2008/10/11(土) 午後 1:45 [ fminorop34 ]
イタリア語の例から類推するに、ラテン語の韻文形式で訳詩を試みられるのは意外と容易なのかもしれません。デーメルの場合はやはり英語が近いでしょうか。
2008/10/11(土) 午後 1:50 [ fminorop34 ]
詩の訳に情熱を持っていますね。
イタリアの詩人の話、fminorop さんの訳のスタイルの原型ですね。
ところで、ぼくがデーメルの詩を原型に似た詩を量産したいと思うのは、
ぼくはある曲が好きになると、その曲に似た曲ばかり聞きたくなります。
或る市が好きになると、その詩に似た詩を読みたいとばかり思うようになります。
ところが現実には似た曲や似た詩はなかなか見つからないのです。
だから、似た曲、似た詩がたくさんあるといい、という需要はあると思うのです。
2008/10/11(土) 午後 2:23 [ ダクセルくん ]
バビロンの豆単を利用しての私の「伊詩和訳」です。ラテン語は神様と会話するために生まれた言葉なら、イタリア語は詩を書くためにあるみたいです。プロではありますが。
原詩は
http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/27775535.html
「伊訳」は
http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/13771772.html
2008/10/11(土) 午後 2:53 [ fminorop34 ]
またスティーブンソンですね。興味を惹かれました。今日読んでみます。
ところで、きのうNHKで9時からやっていた「病の歴史」を見たのですが、文字を読むのが困難な読字障害という障害の特集でした。
会話はできるけれども、文字を読むのにはなはだしい困難がある人のことだそうです。
或る読字障害の人は、読むのは3ページが限界です。読んでいると頭痛や吐き気を催してくる、と言っていました。
ぼくもそうで、読むスピードが甚だしくおそく、しかも1文読むともう頭ぐあいが悪いので、1文読むごとに気分転換しなければならないのです。
もしかしてぼくも読字障害なのではないかと思いました。
というわけで、読むのがおそくてすみません。
2008/10/13(月) 午後 1:13 [ ダクセルくん ]
あまりテレビを見ない私もつい見てしまいした。でも良く分かりませんでした。私は読めども読めずという文章が多すぎます。年齢による読字障害というのがあるのかもしれません。それと一見読書家のように見えますが、読書能力が低いのです。
どうもこの種の番組は、常人とは思えない偉大な功績を上げた人の欠陥の例を挙げます。欠陥は別の能力の証拠みたいです。だとしたら、欠陥に事欠かない私は偉大な人物になっていたはずですが。
2008/10/13(月) 午後 2:10 [ fminorop34 ]
ぼくもテレビはくだらないのばかりなので、『ファッション通信』というファッションショーの番組1つしか見ません。
でも父さんと母さんは常にテレビをつけているので、つられて見てしまい、時間を無駄にすることがよくあります。
父さんたちのテレビの音が聞こえてくると文字を読むのが非常に困難なので、
ラジオをわざとどの局にも合わないザーッという雑音状態にして、それをそばにおいて勉強しています。
するとザーッという音でテレビの音が聞こえなくなるのです。
こうすると、父さんたちからずーっと離れた部屋に一人ぼっちでいなくても、そばで勉強できます。
2008/10/14(火) 午後 1:09 [ ダクセルくん ]
「ファッション通信」とは意外ですね。私は見たことがありません。私は「相撲」と「柔道」は見ることがあります。野球はしんどいです。
2008/10/14(火) 午後 1:28 [ fminorop34 ]
貧乏人なのでファッションにはあまり興味がありません。
ただ、美しい人間を見るのが好きなのです。
美の勉強として見ています。
自分もああなるように。
2008/10/15(水) 午後 4:37 [ ダクセルくん ]
笑えるのが、NHKのハイビジョンでファッションショーがあって、それが終わった直後、相撲が入ったことです。
2008/10/15(水) 午後 4:38 [ ダクセルくん ]
相撲の力士は美しくはありませんが、ファッションショーの「美女」にもついていけません。世代のせいでしょうか。お人形のような「美女」も退屈ですが、まあまあ美しいとは思います。
2008/10/15(水) 午後 4:54 [ fminorop34 ]
トップモデルにはまったく美人でない人が多く混ざっています。
その美人でない人々だけを見て、
スーパーモデルはぶすだ、という結論を出す人がよくいるようです。
ぼくのまわりにもよくいるんです。
また、見慣れない顔は、その美を理解するのに時間がかかる、ということもあるようです。
2008/10/17(金) 午後 1:06 [ ダクセルくん ]