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私はパウル・クレーの崇拝者だが、彼の盟友であるワシリー・カンディンスキーのことはほとんど知らなかった。最近パリで開かれたカンディンスキーの展覧会に行かれたみつるさんのブログで詳しく報告がなされたので、興味を持ち始めた次第である。彼は画家であるのみならず、評論活動もしていたらしい。私の蔵書である van Gogh; retrospective Susan Alyson Stein 著Park Lane出版に彼の文章がないかと探したら出てきた。カンディンスキーが1909年にミュンヘンにいたときに開催された当時の前衛画家の展示会の模様をサンクト・ペテルスブルクの月刊誌「アポロ Apollo」に寄稿したものである。爆弾でも目を覚まさない「眠れるミュンヘンの美術界」を皮肉っている。ワシリー王子のキスで目を覚ますのはいつのことか? 「ミュンヘン便り」 1909年10月3日 ワシリー・カンディンスキー 一年前にミュンヘンに戻ったとき、すべてが以前と同じ場所に置かれていた。私は思った:ミュンヘンはお伽の国だ。みな眠っている。絵は壁で、見張りは隅で、観衆はカタログを手にしたまま、ミュンヘンの画家は幅広の絵筆を手にしたまま、批評家はペンを口にくわえたまま、みな眠っている。画商も以前は現金を持って精力的に画家の秘書を訪問していた。 ― 彼もまた眠りの精に負け、その場で動かなくなった。 だがある友人が言うには「連中は何かを待っている。何かを起こさねば。分かっている連中なら、こんなはずではないと思っている、・・・ 聞くところでは、二箇所で攻撃が開始され、爆弾が二つ炸裂した。だが猛烈に反撃され、撃退された。爆弾は大きな音を立て破裂したが、怪我人はいなかった」。 この二つの事件は: 最初は、最近のフランスの画家の展示会(三年ほど前に開かれた)が「ミュンヘン美術館 Kunstverein 」で開かれた。最新情報を提供すべく努力したが、失敗に終った。セザンヌ Cezanne、ゴーギャン Gauguin、ヴァン・ゴッホ van Gogh、マンギャン Manguin、マチス Matisse、等々。大部分はシュッフェンネッカー Schufennecker の蒐集である。この展示会を企画したのはパリ在住のドイツ人で名前はマイヤー Meyerとかいった。 次にヴァン・ゴッホの大展覧会(約100点)で、17ヶ月前にブラクル Brakl(ミュンヘンで一番進歩的なアート・ディーラー)の現代画廊で開かれ、関係者を「招待」したが、なかでも「ショレ die Scholle」 のグループ、すなわち、ミュンツァー Muntzer,、アイヒラー Eichler、ゲオルギ Georgi、ピュットナーPuttner、それにミュンヘンでもてはやされているフリッツ・エルラー Fritz Erler。ご存知のように、この面々は「ユーゲントDie Jugend」誌の寄稿者である。 二つの実験は明らかに失敗だった。 ヴァン・ゴッホ・コレクションで売れたのは一点だけである。ミュンヘンに在住のロシア人の画家がなけなしの金で買った。 フランスの画家たちは「真面目な」画家とはみなされず、この地方の美術界の柱ともいうべき物たちは口だけでなく、筆をとり、市民の真面目な趣味に反するとして非難した。
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美術
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...




ツヅキハナイデスカ。ベンキョウニナリマス。
2009/7/25(土) 午後 5:35 [ saku449 ]
ご訪問ありがとうございます。これで終わりです。
2009/7/25(土) 午後 6:45 [ fminorop34 ]
fminorop34さん、引用恐縮です^^;。fminorop34さんは、「パウル・クレーの崇拝者」なのですね!ベルンのパウル・クレー・センターは私も憧れです^^。
こちらの「ミュンヘン便り」、本当に面白いです。翻訳ありがとうございます。20世紀初頭のミュンヘンの美術界がこんな風だとはまったく想像もしませんでした。。クレーも加わった「青騎士」など、とても芸術活動が活発なイメージがあったので...。カンディンスキーの人生を追っていくと、このミュンヘン時代が一番充実していたように感じるのですが、実際にはこんなに大変だったのですね。
「フランスの画家たちは「真面目な」画家とはみなされず」
マチスもゴーギャンも駄目でしたか...。
このような環境を考えると、当時の前衛画家たちが、考え方の面でも、どれだけ時代の最先端を行っていたかがわかるような気がします。
2009/7/26(日) 午前 7:21 [ - ]
TBという手法が分かりませんでした。またいつか教えてください。
2009/7/26(日) 午前 8:12 [ fminorop34 ]