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トマス・ハーディは死んでしまった自分を描いている。彼らしい皮肉たっぷりの詩である。他人事ではない。私も死者の一人である。 10詩節の四行詩。おおよそ7音節と4音節が繰り返される。この詩形の名前をまだ知らない。 写真はハーディ The Dead Man Walking They hail me as one living, But don't they know That I have died of late years, Untombed although? I am but a shape that stands here, A pulseless mould, A pale past picture, screening Ashes gone cold. Not at a minute's warning, Not in a loud hour, For me ceased Time's enchantments In hall and bower. There was no tragic transit, No catch of breath, When silent seasons inched me On to this death ... -- A Troubadour-youth I rambled With Life for lyre, The beats of being raging In me like fire. But when I practised eyeing The goal of men, It iced me, and I perished A little then. When passed my friend, my kinsfolk, Through the Last Door, And left me standing bleakly, I died yet more; And when my Love's heart kindled In hate of me, Wherefore I knew not, died I One more degree. And if when I died fully I cannot say, And changed into the corpse-thing I am to-day, Yet is it that, though whiling The time somehow In walking, talking, smiling, I live not now. Thomas Hardy (1840 – 1928) 歩いている死者 私が生きていると思い みなが挨拶をする、最近 死んだのに知らないのか? もっとも埋葬はしていない。 私はここに立っている幽霊 脈のない土くれ 血の気のない写真 ただ冷えた灰を守る。 「ご臨終です」もなければ 「終油式」もなく 広間や東屋での 魅惑の時は終った。 悲惨な過程はなく 喘ぎもなく 時が静かに私を少しずつ 死へと誘った。 若き私はトルバドゥール リラで糧を得て 熱狂する拍子は 火のよう。 だが、人々の到着点を 目にするにつけ 私は冷え、まもなく 私は死んだ。 「最後のドア」から 友人、親族が出て行き 私はわびしく立ち尽し もう一度死んだ。 私の憎しみの心に 「愛の心」が点火され なぜか知らぬが、私はさらに もう一度死んだ。 私が完全に死んだ日は 分からないが 死骸に変わりはてた 今日の私 はいその通り、ぶらぶらして 散歩し、しゃべり、微笑んで なんとか時間をつぶすが 私は現在生きていない。 トマス・ハーディ(1840 – 1928)
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ハーディ
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...




こんにちは fminorop 34 さん m(_ _)m
肉体的な死ではなく 精神的な死を謳っていますね
流されるまま ただ 能動的に過ごしている人とかを 死んでいると言ってる感じがします
そういう視点で見たら 死人が たくさんいますね
自分も もしかしたら 死にかけているかもしれないですね
2009/9/9(水) 午後 0:48 [ gin-tonic ]
gin-tonic さん今日は。ご訪問とコメント有難うございます。おっしゃるとおり精神的な死です。
ハーディは60歳過ぎてから若い頃からの念願であった詩を書き始めました。「死」を意識しだす年代ではありますが、「死」の詩を信じられないくらい数多く書いています。ハーディは自嘲的なようですが、どうしてどうして88歳で死ぬまでかくしゃくとして活動していたようです。最後もこの詩にあるように楽でした。自ら死亡宣言をしてサバサバするのが良いのかも知れません。
2009/9/9(水) 午後 1:26 [ fminorop34 ]