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日付はないが、年が記入されている、フランク・オハラの一人称の記録。オハラは1948年にポロックのコンポジションNo.1を見ているが、ウィキでは1950年となっている。ポロックの作品の日付は必ずしも正確でないようだが、オハラは几帳面なのか私は知らない。ポロックのNo.1の証言の詩である。 Digression On Number 1, 1948 I am ill today but I am not too ill. I am not ill at all. It is a perfect day, warm for winter, cold for fall. A fine day for seeing. I see ceramics, during lunch hour, by Mir6, and I see the sea by Leger; light, complicated Metzingers and a rude awakening by Brauner, a little table by Picasso, pink. I am tired today but I am not too tired. I am not tired at all. There is the Pollock, white, harm will not fall, his perfect hand and the many short voyages. They'll never fence the silver range. Stars are out and there is sea enough beneath the glistening earth to bear me toward the future which is not so dark. I see. Frank O’Hara (1926 –1966) 1948年「No.1」余話 僕は今日体調が不良だが 重病ではない。全然悪くない。 天気は申し分ない、秋には 寒いが、冬には温かい。 観賞には良い日和。Mir6で 昼食時に陶磁器を見て レジェの海を見る; 明るく複雑なメッツァンジェと ブラウナーの期待はずれ ピカソの小品、ばら色。 僕は疲労しているが、困憊は していない。全然疲れてはいない。 ポロックがある、白い、障害も 影響ないだろう、彼の完璧な手と 小旅行を繰り返しても。みな 銀の領域を囲っていない。 星が出ていて、海がある 閃く大地の真下深くに 僕を未来に運んでくれるが 未来は暗くはないと僕は見る。 フランク・オハラ(1926 –1966) 注記 画家についてウィキで調べると フェルナン・レジェ ジャン・メッツァンジェ ビクトール・ブラウナーEN ピカソの「ばら色の時代EN」
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フランク・オハラ
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...




以前、このブログに英語の歌を日本語に訳している人がいて聞いてみたら、もう殆ど自分の感性見たいなもので訳していると言っていました。私は英語も駄目なので、この詩の最初の節なんか直訳しそうですね。矛盾していることを併記しているような感じです。私は今日病気であるが、病気でもない。結局の所、病気ではない。以前、一回だけ日記に漱石の単純な英詩を訳して載せたことがあるのですが、江藤淳の訳し方と異なっていて困ったことがありますね。結局の所、私の能力の範囲外の出来ないことと悟りました。従いまして、もう行わないことにしましたね。
2009/11/7(土) 午前 5:18 [ - ]
外国語の詩は「翻訳可能か」という論争があります。ただ詩にもよります。詩によっては絶望的なものがあります。
このポロックの「作品1」を取り上げたフランク・オハラはどうでしょう。この程度でしたら、翻訳不能にではないと思います。ただフランク・オハラを例にあげて、詩一般を論じるのは危険です。彼は例外的だと思います。私は詩は翻訳不可能であり、原語で読み、原語で理解するしかないと思っていました。これからは「この詩は翻訳不可能」というように心がけます。
例にあげられた箇所:
「体調が不良だが
重病ではない。全然悪くない」
これは、日記などではよくある記述ではないでしょうか。
2009/11/7(土) 午前 8:57 [ fminorop34 ]
ご丁寧に回答ありがとうございます。
実は、私のブログの初めの頃、ランボーの詩の訳について少しばかり論争が生じたのです。参考ながら、私は、fminorop34 さんと意見が近く、できれば辞書を引きながらも、原語で読むべきだと述べました。貴重なご意見に感謝致します。
2009/11/8(日) 午後 2:06 [ - ]
ご丁寧なコメント感謝します。
たしかに日本語訳だけ読んでいると意味深に思える場合がありますね。作者はなぜこんな言葉を入れたのか、と。原語を読むとそれほど作者が深く考えたわけでもないと思うことがありました。
韻文の場合、一種のパズルですから、辻褄を合わせるのに天才といえども苦労しています。そういったことは、やはり原語は読まないと分からないと思います。
ただこのフランク・オハラのような詩人が出てくると、原語で読まなくてはいけないのか正直疑問に思います。新聞記事をわざわざ原語で読む必要があるのかと疑問に感ずるようなものです。
2009/11/8(日) 午後 4:30 [ fminorop34 ]