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第一章 若き日々(4) 母の再婚――著名人との知遇 お父さんはお金をまったく残しませんでした。でも私は肖像画を数多く描いていましたので、お金をずいぶん稼いでいました。それでも家計には十分ではありませんでした。弟を学校に行かせ、服や本を買うのには充分でありませんでした。お母さんは再婚しなければと思っていたようです。金持ちの宝石商(Jacques Francois Le Sevre, - 1772)と再婚することにしました。この男が強欲とは思っても見ませんでした。でも結婚後すぐにそのケチぶりを見せつけられました。生きていく最低限の支出しか認めませんでした。それでも私は自分で稼いだお金はすべて気前よくこの男に渡しました。ジョゼフ・ヴェルネはカンカンになって怒り、一定金額だけ渡し、残りは貯めておいたらどうかと忠告してくれました。私はこうすると、お母さんがこのケチ男のことで苦しい思いをするのではと考えました。私はこの男が大嫌いでした。お父さんの衣装箪笥を自分のものにし、お父さんの衣装をそのまま着るのです。自分にあわせて衣装を直しもしないのです。 若い私の評判でわが家にはいろんな人が来るようになりました。有名な人も私に会いに来ました。ピョートル三世の暗殺者の一人であるオルロフ伯爵(Grigory Grigoryevich Orlov、1734 - 1783)も来ました。オルロフ伯は非常に大柄な人で、大きなダイヤの指輪をはめていたのを記憶しています。 この頃私はシュヴァロフ伯爵Ivan Shuvalovの肖像画を描きました。当時60歳ぐらいで侍従長だったと思います。愛想がよくて完璧なマナーの人でした。素敵な方でしたから、良いお友達に囲まれていました。 マダム・ジョフラン(Marie Th??r??se Rodet Geoffrin ,1699 - 1777)も私の家に来てくれました。彼女は華やかな社交生活で知られていました。マダム・ジョフランは文学や芸術で名のある人を家に招待していました。外国の著名人や貴紳の方々がここに集まりました。別段良家の出身でもなく、格別の才能があるわけでもなく、大金持ちでもないのに、パリではユニークで、現在の女性が望んでも得られない地位を築いたのです。私のことを聞きつけて、彼女はある朝私に会いに来て、私の人柄と才能を褒めちぎりました。彼女は年を取っているわけではないのに、私は大変高齢かと思いました。背中がちょっと曲がっているだけではなく、衣装が年寄りじみていたからです。鉄灰色のガウンをまとい、大きなツバの帽子をかぶっていましたが、その上に黒いショールをつけあごの所で結んでいました。現在では、この年配の女性だったら、化粧室でずっと若くみえるようになるでしょうに。 街に出ると見つめられるようになりました。劇場や広場でもそうでした。私は注目の的になり、私の顔を見たくて肖像画を注文する人がありました。こんなことで私の好意を得たかったのです。でも私は絵画に夢中になっていましたので、こんなことで気がそれることはありませんでした。されに、お母さんから教えられたモラルや信仰上の原則が私を誘惑から守ってくれました。さいわい私はただの一編の小説も読んだことはありませんでした。「クラリッサ・ハーロー(Clarissa)」が始めて読んだ小説でしたが、これも結婚してから読んだ本です。結婚以前は霊父たちの道徳訓話のような神聖な文献しか読んだことはありません。ここには知るべきことがなんでも書いてあります。それと弟の教科書ぐらいのものです。
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ルブランの回想録
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...




お久しぶりです!
ルブランの回想録、とても面白いですね。
絵画へのひたむきな情熱がすがすがしいです。小説大好きの私にはまねできません…
2011/3/1(火) 午後 4:14 [ larchtree ]
高齢者が一度休憩するとなかなか再開が大変です。
以前訳しましたが、フランス人の名前の発音もカタカナ表記が間違いだらけでした。ウィキペディアも充実してきましたので改訂を思い立ちました。
彼女はフランス革命でフランスを亡命し、イタリア、オーストリア、ロシア、プロイセン、イギリスと転々としました。「回想録」は当時の貴族社会の様子を知る上で貴重な資料とされていますし、波乱の人生は読み物としても面白いです。
自伝は言い訳がましくなるものです。ここでも彼女が不道徳な小説とは無縁であったと主張しています。真実かもしれませんが、マリー・アントワネットの肖像で莫大な報酬をせしめるためには大蔵大臣と寝た、という噂を立てられたことにたいする反論でもあります。金銭には恬淡としていたという主張が繰り返し述べられます。
歴史上自分の容色でなく、職業で荒稼ぎした初めての女性としてフェミニストの評価もあるようです。
2011/3/1(火) 午後 4:45 [ fminorop34 ]
15歳くらいでサロンでも有名な人や公爵婦人など貴族の人までが肖像画を依頼にくるなんてすごい才能だったんですね。
社交術も身につけていたんでしょうね。
2011/3/1(火) 午後 9:11 [ ROCOCO ]
なるほど…。
この時代の職業女性の自伝なんて、他にはなさそうですよね。
興味深く拝読させていただきます!
2011/3/1(火) 午後 10:03 [ larchtree ]
パーティーのホストというものは話題の人物を呼んでパーティーを盛り上げようとします。「天才美少女」のルブランは呼ばれて当然の人物でしたでしょう。
彼女の父親はパステルで肖像画を描き、母親はヘア・スタイリストです。夫婦はお見合い写真や花嫁姿を写してくれる写真屋さんみたいな職業です。この人たちはお世辞がうまいと思いませんか?彼女もその血を引いていたでしょうし、学習していたと思います。彼女はその後ファッションの先端を行きたい女性のアドバイザーのような役割も果たしています。現代のスパー・モデルをより美しく撮るカメラマンのような存在でした。カメラマンがモデルさんに「綺麗だよ、綺麗だよ」といってポーズを取らせているのをテレビで見ました。気難しくては、少なくとも女性の肖像画家としては失格です。
彼女はめったに女性の容貌をけなしません。ただ非常に醜いお姫様もいたようです:彼女は父君を恨んでいました。おかわいそう!、というのがありました。
社交性は十二分にあったと思います。
2011/3/1(火) 午後 10:15 [ fminorop34 ]
ルブランの回想録の全訳は Blogger で試してみました。波乱万丈の回想録をお楽しみ下さい。訳者より
http://lebrunmemoire.blogspot.com/
2018/6/15(金) 午後 1:48 [ fminorop34 ]