ヘ短調作品34

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ルブランの回想録

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第二章 名声への階段(6)

この絵はヴェルサイユの一室に置かれました。王妃はこの部屋を通ってミサに出かけ戻りました。1789年の始めに皇太子が亡くなられましたが、この絵を見るたびに彼女の辛い出来事を想い出しては部屋を通るたびに涙を流されました。彼女はムッシュー・ダンジュヴィリエにこの絵を運び出すように命じられました。いつものようなご配慮で、彼女は私にこの絵を外した動機を言われました。私の絵がまだ残っているのは実に王妃の感受性のおかげです。うるさい女どもがヴェルサイユに両陛下を捕まえにきたのはそのすぐ後です。女たちは王妃のベッドを無惨に引きちぎったようにこの絵を壊したことは間違いありません。

ヴェルサイユでの最後の舞踏会以後マリー・アントワネットにお目にかかる栄に浴したことはありません。舞踏会は劇場で行われました。私が座ったボックスは王妃がおっしゃることは聞こえる所にありました。王妃ははしゃいで、宮廷の男性に踊りましょうと言いました。それもムッシュー・ラムト(M.Lameth;軍人ラムト兄弟の一人?)のような人にです。彼の家族は王妃の思いやりにたまげました。他の男性はみな遠慮してしまい王妃は舞踏をあきらめました。私はこれらの男性の振る舞いは非常に失礼だと思いました。この遠慮は反乱のように思われました。もっと深刻な反乱の前触れです。革命は近づいていました。事実、まもなく起こったのです。

例外としてアルトア伯の肖像画を私は描いておりませんが、王室の方々を次々に描いております。王家のお子様方、王弟君、後のルイ18世(Louis XVIII 1755 – 1824)、マダム・ルヴァイヤル(Madame Royele 1778–1851)、アルトア伯夫人(Countess d'Artois.)、マダム・エリザベス(Madame Elisabeth 1764-94)を描きました。最後に名前を上げた奥方ですが、顔立ちこそ整ってはいませんが、優しくて親しみのある表情の方でした。新鮮な肌はすばらしく、かわいいらしい羊飼いの娘のような魅力がありました。彼女は善の天使でした。貧しい人達への慈善行為を見かけたことは幾度となくあります。全ての徳を備えた方でした。大革命のとき彼女は英雄的な勇気を示されました。王妃を殺しに来た人食いどもに「王妃を私と間違えるでしょう!」と言われ、進んで会いに行かれました。

王弟様を描いた肖像画のおかげで、ある高貴の方とお知り合いになる機会を得ましたが、彼のユーモアと学識はお世辞抜きで賞賛されるべきものです。ルイ18世と会話する楽しさったらありません。陛下は全ての臣下に同じような趣味と理解力をもって話しかけられます。しかし明らかに話題を変えるためでしょう。ポーズを取りながら、彼は私に向かって歌いかけました。庶民的な歌をうたわれるものですから、宮廷内にどうやってこんな歌が入り込むのか理解に苦しみました。彼よりも音程のはずれた歌をうたう方はいないでしょう。「わしの歌をどう思うかね?」とある日たずねられました。「殿下王者の歌でございます」というのが私の答えでした。王弟の侍従長、ド・モンテスキュー侯爵は六頭立ての見事な馬車を仕立てて、ヴェルサイユに送りむかいしました。私の要請で母も一緒でした。行く途中、窓際に立って私が通るのを見ました。全ての人々が帽子を取りました。六頭立ての馬車と騎馬従者に対する敬意は楽しいものでした。私がパリに戻ったとき、辻馬車に乗りましたが、誰も私に気づく人はありませんでした。

このときド・ランバル公夫人(Princesse de Lamballe, 1749 - 1792)を描きました。美人ではなく、すこし離れると事実美人ではありませんでした。彼女は顔に特徴がなかったのですが、肌は実にまばゆいほど若々しく、金髪の巻き毛はすばらしく、人柄が上品でした。この不運な王女の不幸な最後はよく知られているところです。彼女の忠実さもよく知られていますが、この忠実が仇となりました。1793年に、彼女は全く安全なトリノにいましたが、王妃の危機を知り、フランスに戻ってこられたのです。

* ド・ランバル公夫人の亡命先と没年のウィキペディアの記述は一致しない。

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宮廷画家・ルブランさんの目線がリアルです。18世殿下の音痴ぶりを「殿下王者の歌でございます」と答える阿諛ぶりも面白いです。

2011/3/7(月) 午後 1:46 [ ノーやん ]

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ノーやん さんコメント有難うございます。

彼は音程だけでなく、王政復古の後は政治音痴でした。彼女はルイ18世やシャルル10世を評して「人格高潔な方は必ずしもこの穢れた世の中を取り仕切るのに向いてはいらっしゃらないのです」と言っています。

今日の最初に出てくる破壊を免れたえとは、「マリー・アントワネットと子供たち」です。

http://commons.wikimedia.org/wiki/File:Lebr04.jpg

悪い噂の絶えないアントワネットですが、家庭的であり、質素でありながら、威厳を持ち、女王にふさわしい方と主張したい王室関係者の願望を心得たルブランのプロパガンダ芸術の傑作であるとおもいます。

2011/3/7(月) 午後 3:42 [ fminorop34 ]

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破壊を免れた絵は鏡の間を背景にして子供たち3人と一緒に描かれている絵だったのですね。
あの革命の中、よく民衆が絵を破壊しなかったものだと思います。

2011/3/7(月) 午後 11:58 [ ROCOCO ]

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この絵のためにずいぶん習作を描いています。長女(madame royaell) 、皇太子(dauphin)、弟(Duc de Normandie)の絵が残っています。彼女が精魂傾けた絵です。

皇太子が死亡し、絵を見ると辛いというので、アントワネットがしまったために幸運にも破壊を逃れたとルブランは述べているのですが。

この絵についてこのブログで雑文を書きました。

http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/7519238.html

2011/3/8(火) 午前 9:26 [ fminorop34 ]

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ヴィジェ・ルブランの絵画紹介のホームページは見たことがありますが、英語も読めないので何が書いてあるんだろうと想像しています。
今度東京の三菱一号館美術館にヴィジェ・ルブランの絵が来るが楽しみです。
美術館のホームページを見て20点の絵は大体分かりました。
残る40数枚はどのような絵かなと思っています。

2011/3/8(火) 午後 6:13 [ ROCOCO ]

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三菱一号館美術館のヴィジェ・ルブラン展は東京の友人からのメールでしりました。気候が良りましたから、東京に出かけたいと思っています。今改訂していますが、フランス人の名前は私にはとても難しいです。

私は彼女の絵をほとんど知りませんでした。この時代の人は誰しもですが、波乱の人生でした。この波乱の人生に惹かれて回顧録を読み始めました。

ルブランだけではなくほかの女流画家の絵もあるらしいです。

2011/3/8(火) 午後 6:33 [ fminorop34 ]

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ルブランの回想録の全訳は Blogger で試してみました。波乱万丈の回想録をお楽しみ下さい。訳者より

http://lebrunmemoire.blogspot.com/

2018/6/15(金) 午後 1:52 [ fminorop34 ]


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