|
埋葬は死の二日後の午後に行われました。20人ばかりの絵描さんたちが棺の後を墓地まで歩みました。お父さも、トムとマルティネスそれにムッシュー・ヴァンサンが毎日絵を描きに出かけるのを見ていた近所の人たちも参加しました。
<註:実際は、翌日7月30日の午後に埋葬された。>
戻るときは、お父さんの後に、テオ、トム、ガッシェ先生と彼の息子ポールが続きました。キャンバスが陳列してある、出棺の「アトリエ」にみなが入りました。テオは死去した兄への生前の親切を感謝し、逝去した画家の思い出にキャンバスを受け取ってくれるように申し出ました。お父さんは私の肖像と生前ムッシュー・ヴァンサンからもらった「オーベールの町役場」で満足でした。ガッシェ先生はどうぞと言われると、彼はキャンバスをたくさん選び、息子のポールに渡しました。「坊や、巻きなさい」といって包ませました。そして、テオは妹のジェルメーヌにおもちゃを選ばせました。これは鉄の台所用品の入ったかごでした。最後にテオはお兄さんの持ち物をとりました。彼とは二度と会うことはありませんでした。
<註:これらの絵を含めて、ガッシェの息子は生誕100年を記念して1954年にルーブルに寄贈している。>
後ほど知ったのですが、テオはお兄さんの死後まもなく重病になり、数ヶ月後に死亡したということでした。彼の遺骸はオーベールに戻され、お兄さんの隣に埋葬されました。 ヴァンサンの自殺の動機は何だったのでしょうか?
お父さんの考えを紹介しましょう: テオには男の子が生まれました。ヴァンサンは甥が大好きでした。弟は結婚していましたが、さらにお金が要るようになり、今までのように援助できないとヴァンサンは思ったのです。これがテオがお父さんに打ち明けた動機です。ヴァンサンの最後の手紙はこういう意味だと話しました。この手紙はヴァンサンからテオへの手紙 No.652として出版されています。この手紙はそっくり公表されているのでしょうか?自殺の動機はこの手紙でははっきりしません。
ヴァンサンがお金に困っていたことをテオがお父さんに打ち明けたましたが、そんなことは手紙にはまったく書いてありません。出版された手紙にはテオの話と食い違いがあるとしか思えてなりません。ヴァンサン・ヴァン・ゴーグの手紙には、誰かが避けたい問題が出てきたのではないでしょうか?
<註:食い違いがあるように見えるが、テオの金銭上の逼迫(それに息子の病気や仕事の問題)は、ヴァンサンに心配させないように気遣いながら6月と7月の手紙に書かれている。>
彼の失恋、絵が全く売れなかったことや認められなかったことなど、全く知りませんでした。看病しているときに テオがお父さんに話さなかったら、お金に困っているとは思いませんでした。だって彼は宿賃をきちんと払っていたのですから。
これで私はお話を終わりたいと思います。私の話を残らず、修正しないで出版していただきたいと思います。最近記者の方々とインタビューしましたが、私の言葉を不正確に記録したり、私の主張をご自分の意見、時には不愉快な意見を混じえることがありますし、私の言ったことをねじ曲げたり、その目的のために私の思い出を利用する人たちがいます。それが分かっていたらインタビューをお断りしてましたが。
私は明らかにオーベールのヴァンサン・ヴァン・ゴーグを個人的に知っている最後の人間ですし、彼の最後の日々の生き証人であることは間違いありません。
私の証言には、文学的であろうとする気は毛頭ないために、オーベールのヴァンサン・ヴァン・ゴーグの日々を知るためにきわめて価値あるものと思います。そして昨今広がっている空想物語、誰かは知りませんし、何の目的か知りませんが、そんなのと混同しないでいただきたいのです。オーベールのヴァンサン・ヴァン・ゴーグの日々を書くとき、そんな風に私の証言を利用していただきたくはありません。内容を充分に尊重するという条件のもとで利用していただきたいのです。この真実の目撃者の証言は現在信じられている伝説とは矛盾することはありうることです。
<註:ポール・ガッシェの話は V.Doiteau et E.Leroy の Le Folie de Van Gogh (1928)の出版以来かなりヴァン・ゴーグ文献に影響を与えてきた。>
しかしヴァンサン・ヴァン・ゴーグの生涯を書いた人々(そして彼らの著作を参照する人たち)は目下、新聞社が夢中になっているこの大芸術家の生誕100周年の1953年になってようやく「青い服を着た女」と呼ばれた女を発見したのです。ですから、60年の間、彼の人生の証言者、私のオーベール・シュル・オワーズでのヴァンサンの日々の想い出は研究されなかったのです。彼らはいい加減な根拠に基づいて、オーベール・シュル・オワーズのヴァンサンの伝説をつくりあげたのです。
私の良心にかんがみて、私は見たとおりをお話ししました。そして1890年7月27日のあの悲劇の夜を一人ヴァンサンと過ごしたお父さんから聞いたことをお話ししました。私の話は文書として保存さるべきであり、オーベール・シュル・オワーズのヴァンサン・ヴァン・ゴーグの滞在の真実の物語を書きたい人には参考になると信じます。
|