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今日も過去の詩の改定の作業である。輝かしい夏の季節が終わり、夜鷹や椋鳥が鳴かぬ時期には、私(エミリー)は、汝(アネモネ)に花を咲かせ、音学(葉擦れの音)を奏でさせようとする。私は同じく、寒い時期に墓場に咲く、好きな雛菊を避けてまでも、汝のもとへと急ぎ、汝の成長と開花を見届ける。寒い時期に夏をもたらすアネモネ賛美の詩である。
Summer for thee, grant I may be
Summer for thee, grant I may be
When Summer days are flown!
Thy music still, when Whippowil
And Oriole - are done!
For thee to bloom, I'll skip the tomb
And row my blossoms o'er!
Pray gather me -
Anemone -
Thy flower - forevermore!
Emily Dickinson
原詩の書き換え
Maybe I give you summer
When summer days flee!
And even rustling of leaves,
When whippoorwill and oriole
Cease to sing!
For you to bloom, I'll skip the tomb
And my daisies row over!
Pray gather me -
Anemone -
Your flower - forever!
夏の日が去れば多分
夏の日が去れば多分
私は汝に夏を与える!
夜鷹や椋鳥が歌わねば
汝に更に葉擦れの音も!
汝を咲かせんと墓地を 素通り、雛菊は皆競う! どうか私を摘んで頂戴―― アネモネよ―― 汝の花は――永久に! エミリー・ディキンソン
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一人の妹は私の家に住み――エミリー・ディキンソン
今日はエミリーの義理の妹であるスーザンの28回目の誕生日に、エミリーが送った詩である。エミリーとスーザンは同年、同月に生まれているが、スーザンは十日遅れて生まれているので辛うじて妹である。彼女はエミリーの兄のオースティンと結婚し、ディキンソン家の敷地内の家に住んだ。実の妹は通称ヴィニーであり、エミリーと同じ家に住み、生涯未婚であった女性である。
One Sister have I in our house,
One Sister have I in our house,
And one, a hedge away.
There's only one recorded,
But both belong to me.
One came the road that I came --
And wore my last year's gown --
The other, as a bird her nest,
Builded our hearts among.
She did not sing as we did --
It was a different tune --
Herself to her a music
As Bumble bee of June.
Today is far from Childhood --
But up and down the hills
I held her hand the tighter --
Which shortened all the miles --
And still her hum
The years among,
Deceives the Butterfly;
Still in her Eye
The Violets lie
Mouldered this many May.
I spilt the dew --
But took the morn --
I chose this single star
From out the wide night's numbers --
Sue - forevermore!
Emily Dickinson
一人の妹は私の家に住み、
一人の妹は私の家に住み、
もう一人は生け垣越しに。
実の妹はただ一人だけど
二人とも私のお気に入り。
一人は私と同じ道を歩み――
私のお下がりを身に着け――
一人は鳥の巣作りの様に
互いの心と心を結んだ。
彼女の歌声は我ら二人の――
調べとは違っていた――
まるで六月の蜂のように
彼女は自身に歌っていた。
今は子供の頃とは大違い――
でも丘を上っては下りて――
私は彼女の手を強く握り――
おかげで疲れなくてすみ――
依然としてどの季節でも
彼女のハミングの調子で
蝶は時期を間違える始末;
依然として五月になると
彼女の瞳には菫が咲く。
私は露の涙を流しては――
翌日の朝を迎えたもの――
広い空の多くの星から
私が唯一の星をつ選ぶ
ス―ザン――永久にあなたよ!――
エミリー・ディキンソン
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"My Life had stood - a Loaded Gun - " はすでに訳出したが、釈然とはしていない。この詩はエミリー・ディキンソンの難詩中の難詩とされ、学会でも決定的な結論が出ていない。今回の投稿は改訂版である。
正解はないのに試験問題になっている。その方がアメリカ人好みのディベイトのネタにはなるのだろう。この詩に関しては珍しく多くの教養豊かな学者先生の評論がネットを賑わしている。ざっと目を通したが、共通しているのは Gun という言葉にとらわれてか、不遇な女の「怒り」について触れている。
私は素人であるが、この詩は彼女の好きな「火山」について学のある所を披露した詩ではないかと思った。
a Loaded Gun :噴火寸前の側火山、Owner:主火山と解釈してみた。
身近な例としては富士山を主火山とすると、宝永山は側火山である。
火山の主火山と側火山の関係について記述した詩と考えると簡單である。彼女は悪戯っぽいが、意外に単純な詩を書いた人ではないかと最近思うようになった。学者先生が彼女の詩を論文ネタにし、意識的に難解にする。そのため不可解な評論が多数出てきたと思う。
いつものように「憧れの死」の問題が最後に出てくるが、あとは当時の「火山学」の知識に従って、読者をからかう詩にしたに過ぎないのではないか。
My Life had stood - a Loaded Gun -
My Life had stood - a Loaded Gun -
In Corners - till a Day
The Owner passed - identified -
And carried Me away -
And now We roam in Sovereign Woods -
And now We hunt the Doe -
And every time I speak for Him
The Mountains straight reply -
And do I smile, such cordial light
Opon the Valley glow -
It is as a Vesuvius face
Had let it’s pleasure through -
And when at Night - Our good Day done -
I guard My Master’s Head -
’Tis better than the Eider Duck’s
Deep Pillow - to have shared -
To foe of His - I’m deadly foe -
None stir the second time -
On whom I lay a Yellow Eye -
Or an emphatic Thumb -
Though I than He - may longer live
He longer must - than I -
For I have but the power to kill,
Without - the power to die -
Emily Dickinson
私は噴火寸前の側火山――
私は弾込めた銃――(私は噴火寸前の側火山)
主人が通りかかり――(主火山が通りかかり)
私に気付く迄立ちっぱなし――(噴火の機会を与えられず)
彼は私をさそった――(同時に噴火しようと誘った)
一緒に王家の森を探し回り――(溶岩はともに流れ)
狙った牝鹿を狩る――(狙った村を破壊する)
主人に声をかけると――(私が爆音を発すると)
山々は直ぐに応える――(山々はこだまする)
私が微笑むと谷間の (私が噴火すると)
光は暖かく輝く――
ヴェスヴィウスが満面の
笑みを浮かべたよう――
大成功の狩りを終えた夜――(大爆発で村々を破壊した夜)
主人の頭を守る――(主火山に代わり私が噴火する)
白鴨の枕をともにするより (白い火山灰で一緒に寝るより)
この方がずっと良い――
私は主人より恐ろしい――(若い側火山は主火山より恐い)
私が黄色い目を向け―― (黄色い火を放ち)
親指を突き出すと―― (噴煙を向けると)
誰もが凍りつく――
私は主人より長生きだろうが―― (若い側火山は主火山より活動的だろうが)
主人は私より長生きしてほしい――(主火山は私より永く活火山であってほしい)
私は主人を殺せるが(私は主火山を死火山にできるが)
死ぬことはできない――(私は死火山になれず、安息の日はこない)
エミリー・ディキンソン |
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When I hoped I feared−
When I hoped I feared−
Since I hoped I dared
Everywhere alone
As a Church remain−
Spectre cannot harm−
Serpent cannot charm−
He deposes Doom
Who hath suffered him−
Emily Dickinson
望が湧くと怖かった――
望が湧くと怖かった――
望が湧くと私は独り
独り何処でも行った――
朽ち果てた教会が――
亡霊に怯むことなく――
蛇をも誘わぬように――
運命に悩みたる者は
運命を恐れはしない――
エミリー・ディキンソン
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ポール・ヴェルレーヌの「秋の歌:Chanson d'automne」はフランスの最も有名な詩であるだけでなく、連合軍のノルマンディー上陸作戦の際、ラディオ・ロンドンの放送でフランスのレジスタンスに送る暗号として使われたそうである。
その有名な詩のフランス語に近いはずの英訳が脚韻構造や弱強格にとらわれるとまるで英語にならない。いっそ自由韻律詩にした方が良いという「最終的判断」を下したサイトがあった。自由韻律詩であれば、日本語の訳を読んだらよい。日本にはネイティブの日本語学者が多数いる。定評ある上田敏あたりを英訳した方がてっとり早い。
最近その「最終的判断」を読み返してみたいと探してみた。すると性懲りもなくAutumn Song と題してChanson d'automneの英訳に挑戦している人物がいた。確かに進歩はあったが、やはりヴェルレーヌのように単純であるほど、フランス語は英語にならない。これが私の感想である。
Chanson d'automneは英訳者の挑戦を拒絶する最も冷たい最高峰と言っても過言ではない。であれば挑戦者は今後とも現れ、無残な結果に終わるであろう。私も、自分の語学力を顧みず、十数年ばかり気になっている一人である。原詩の韻律を尊重しつつ、ヴェルレーヌを英文にするという挑戦に有利な点は高齢による記憶力の減退である。これを武器にして再挑戦の結果を今日ご報告する次第である。
Chanson d’automne
Les sanglots longs
Des violons
De l’automne
Blessent mon cœur
D’une langueur
Monotone.
Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l’heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure ;
Et je m’en vais
Au vent mauvais
Qui m’emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.
Paul Verlaine
In English
Autumn Song
A fiddle’s phone
In monotone
Begins to stir
My languid soul
Though it cajole
My past to blur. I shall be broke
And loudly choke
Along the chime,
That censures me
As expellee
So long a time.
Exiled away
One windy day,
I’ve strayed in grief
To sojourn here
As if a mere
Departed leaf.
Paul Verlaine |

桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



