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I like a look of Agony,
I like a look of Agony,
Because I know it's true —
Men do not sham Convulsion,
Nor simulate, a Throe —
The Eyes glaze once — and that is Death —
Impossible to feign
The Beads upon the Forehead
By homely Anguish strung.
Emily Dickinson
私は苦痛の表情が好きだ、 私は苦痛の表情が好きだ、 なぜなら真実だから―― 偽って痙攣する人はない、 激痛の真似する人も―― 両眼が一旦霞む――それが死―― 振りをするのは無理 額に滲み出るガラス玉は 痛苦糸で結ばれた。 エミリー・ディキンソン |
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Mute thy Coronation —
Mute thy Coronation —
Meek my Vive le roi,
Fold a tiny courtier
In thine Ermine, Sir,
There to rest revering
Till the pageant by,
I can murmur broken,
Master, It was I —
Emily Dickinson
汝の戴冠式、お静かに――
祝祭が終了するまでは
私の王様万歳に辛抱を、
汝のアーミンで、この
小さき廷臣を包み給え、
途切れながら呟けます、
主よ、それこそ私です――
エミリー・ディキンソン
イエスを諸王の王(King of Kings)とする記述は聖書にある。王であるからにはイエスは天国で戴冠され、祝典が華やかに執り行われてもよさそうではある。
戴冠式と言えば、聖母マリアの被昇天後に父と子と聖霊の見守る中で、天の女王として冠を授かるという話が有名である。これもカトリック教会が推進したマリア信仰の一環であって、聖書にそのような記述がある訳でない。
さらにキリストの戴冠式となるとGoogle Image を検索しても、それに相応しい名画は登場してこない。わずかにアメリカ的な宗教団体が作り上げたキリストの戴冠の画像があるのみである。
エミリーの会衆派教会ではキリストにせよ、マリアにせよ、王権を認めていたとは思えない。派手な式典を嫌う会衆派教会にディキンソン家が属していたという先入感を持つのは危険だが、見世物になるのはあと暫くですから、我慢してくださいと言っている、と解釈した次第である。だが今一判然としない。
注記:小さき廷臣とはエミリーのことである。イエスは華やかな式典を苦々しく思っているとエミリーは考えている。
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As if the Sea should part
As if the Sea should part
And show a further Sea —
And that — a further — and the Three
But a presumption be —
Of Periods of Seas —
Unvisited of Shores —
Themselves the Verge of Seas to be —
Eternity — is Those —
Emily Dickinson
海が別れを告げて 海が別れを告げて 更に遠い海に導き―― 更に遠くへ行くが―― 三海は外れた推測―― 広大な航海時代の―― 人跡未踏の島嶼は―― 海の淵のはずだが―― 永遠は斯かる島嶼―― エミリー・ディキンソン 大航海時代、航海者は果てしなき航海へと出発した。次から次へと人跡未踏の島が表れ、終了することがなかった。我々の永遠の命への旅路もこのように果てしなきものである。 |
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Apology for Her
Apology for Her
Be rendered by the Bee —
Herself, without a Parliament
Apology for Me.
Emily Dickinson
蜂は誰よりも彼女に
蜂は誰よりも彼女に
謝るべきだったが―― 議会の承認を経ずに
彼女は私に謝った。
エミリー・ディキンソン
ネット上でこのコンパクトで説明が欲しい詩について一遍だけエッセイがある。彼女と私と間で恋の鞘当てがあったというロマンティックな憶測をしている。これに感心したコメントがあった。想像力が豊かだと、この種の作文が書けるのだろう。私には理解不能であるが。
直感的には、「彼女」とは女王蜂であり、「私」とはエミリーである。両者は蜂で結ばれている。蜂は大家のエミリーの庭で彼女の好きな花の生殖活動を助け、彼女お気に入りの蜜を採取する義務がある。エミリーが好きでない蜜が混入していたのだろうか。いずれにしても蜂は、格別の配慮を頂いているエミリーに不義理したのであろう。
蜂は社会的昆虫であるが、この詩によれば立憲君主制の社会を形成している。蜂が起こした不祥事を議会の承認なく、女王が謝るとはという合点が行かない、という話を私はでっち上げた。
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At last, to be identified!
At last, to be identified!
At last, the lamps upon thy side
The rest of Life to see!
Past Midnight! Past the Morning Star!
Past Sunrise!
Ah, What leagues there were
Between our feet, and Day!
Emily Dickinson
遂に見つかりそう! 遂に見つかりそう! 遂に眺められそう! 汝の側のランプが 消え去り行く光景。 真夜中、朝の星空! 日昇の時は過ぎた! 我らの足と太陽の 距離は如何ほどか! エミリー・ディキンソン 今日は厳粛な日の出と消え行く星を見ようと真夜中に出発したらしい。 |

桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...

