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上の絵はゴッホの自画像である。右手にパレットを持っているとみえる。うっかりすると、彼が左利きのような気がする。ところが下の方の絵は、ゴーギャンがヒマワリを制作しているところを描いたものである。彼が右利きであったことをゴーギャンが証言してくれている。
これで上の絵は彼が鏡を見て描いたものであることがわかる。人間は自分自身を見つめることができない。鏡にある自分を見つめるだけである。写真が素人でも手軽に日常を写せるようになったのは19世紀末期であり、金持ちで新しいものが好きの人に限定されており、ゴッホには縁がなかった。
右利きであること知っていたとしても、「包帯をまいた自画像」のように、絵筆とパレットを持たないゴッホの絵を鏡像であるかどうかを判定する方法はある。画家の服装で判断される。男性服のボタンは着用者の右にあり、ボタン穴は左にある。男性の服は右手で左の内ポケットに手が入るように出来ている。
19世紀以降の多くの画家の肖像画をみても今日のわれわれの紳士服と同じである。ゴッホの場合、タンギー、ルーラン、ガッシュ等の絵を見てもそうなっている。
前回紹介した「包帯をまいた自画像」ではゴッホの左側にボタンがあり、右側にボタン穴がある。したがって「包帯をまいた自画像」は鏡に写ったままの自身をみて描いたものであると結論される。右利きの彼は左の耳たぶをきったのである。それを鏡で映したのものを描いたものである。
こう結論したが、ただ困った例がゴッホ自身の絵から一例だけだが出てきてしまった。今回調べていて発見したのだが、ゴッホがサン・レミの病院で世話になった先生の服はそうなっていない。ゴッホの自画像のようにボタンは先生の左側についており、ボタン穴は右側にある。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh93.html
いそがしい先生はモデルをしている暇はない。先生の顔だけをスケッチして、鏡像を描きすぎたゴッホが、服の部分はうっかりしていつものように描いてしまったのであろうか。
後記:こう書いてきてまたまた困った例が出てきた。ボタンの付いている位置が1番目と3番目ではちがうのである。
後記:7月29日はゴッホが死亡した日である。今から116年前のことである。ゴッホが死亡した宿屋の娘で、ゴッホの最後か最後から2番目のモデルになったアデリーヌ・ラブーの証言を一年前に私は翻訳し、このブログに投稿した。平均的に(昔の)女性の記憶は(昔の)男性の記憶より正確であるとされている。女性の生活は男の人生より単調であったので、記憶が保存されやすいとされているが、彼女の証言が正確であるかどうかは、あの世のゴッホのみが知っている。長文なので3回に分けた。ブログでは3部、2部、一部という順番になるが、あとで順番を1部、2部、3部という順番に入れ替えた。今では良くなかったと思っている。関心を持っておられる方、お読み頂ければ光栄である。
http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/8257291.html
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