ヘ短調作品34

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タフなトマシーニ記者まだバイロイトにいた頃にシュワルツコップ死去の報を聞き、早速(私には)長い記事をものにした。本社から資料を取り寄せて書いたのであろうが、急なことでもあり、早い版では、彼の署名記事としては間違いがあったみたいである。シュワルツコップの写真をローテンベルガーの写真と取り違えたそうである。

それに死んだ人をむち打つみたいだけれど、彼女はナチ党員であったことを隠していたという話である。私自身は気が進まなかったし、彼女には同情的ではある。ただ終戦記念日にあたり最近の日本の「毅然たる」態度を取る人が人気が出るという風潮を考え、あえて取り上げるべきかと思った。

見た目には華やかな存在でもこの時代を生き抜くためには色々苦労もあったのであろう。長い記事なので、ソフトの制約と私の体調も考慮して3回に分けて紹介する。トマシーニ記者は早速ニューヨークで記事をかいているが、マイナーな演奏会である。これを訳し終わると、私のトマシーニ記者との長い夏のおつきあいはすべて終わることになる。



オペラ歌手エリザベート・シュワルツコップ死去、90歳

アンソニー・トマシーニ記者

ニューヨーク・タイムス 8月4日


ドイツ生まれのソプラノであるエリザベート・シュワルツコップ、シュトラウスやモーツアルトの演技で全盛期には一世を風靡した芸術家であったが、オーストリアの自宅で死亡した。90歳。

彼女の死去はオーストリアの国営テレビが報じた。葬儀委員長の話を引用し、ORFのアナウンサーはミス・シュワルツコップはオーストリアの西のはずれにあるフォラルベルク州のシュルンズで死去した。死因は明らかにされていない。

多くの崇拝者によれば、ミス・シュワルツコップはシュトラウスの元帥夫人、モーツアルトのドンナ・エルヴィアラ、その他のオペラの役の演技は比類のないものであった。しかしながら、第二次大戦中のナチとの関係の程度に彼女が嘘をついていたことで、彼女のイメージは傷つけられていた。

ナチのために演技したことは分かっていたが、彼女はナチ党員でもあったのである。仕事が欲しい芸術家にとって、党の一員になることは「組合に入る」ようなものだったと彼女は弁明している。

このように素晴らしい名声のある歌手として、ミス・シュワルツコップの演奏は賛否両論があった。全盛期の彼女の声は光り輝くソプラノであり、歌唱は機敏で印象的であり、様式の解釈も比類ないものであった。1950年代から70年代にかけてリーダーのリサイタルに登場している。彼女は、テキストのニュアンス、微妙な解釈、歌手としての優雅さを歌唱に加えたすばらしい芸術家であったというのが大方の聴衆の意見である。

一方で、彼女の歌唱は計算され尽くして、マンネリで、器用すぎる(ある批評家は「プロイセン的完璧主義者」といった)と思う人もいた。テキストに持続力を持たせようとして、ミス・シュワルツコップは声を低くしたり、劇的効果をねらってなかば語り調にしたと不満を漏らす人もいた。

音楽通と批評家の意見は彼女の基本的な声楽的才能について分かれていた。ウィル・クラッチフィールドはミス・シュワルツコップのリサイタルのライブ録音を論評して1990年のニューヨーク・タイムスに書いている。「明らかに彼女の声はすばらしい(なめらかで魅力的なリリック・ソプラノ)であり、技巧もすばらしい。だがピーター・G・デイビスは1981年のタイムスに彼女のキャリアを「基本的には平凡な声を知性と意志の力で乗り切ってきた」と評している。

しかし一致しているのは、元帥夫人やその他のシュトラウスの役(「ナクソスのアリアドネ」や「カプリッチオ」の伯爵夫人)とかモーツアルトのフィオルディリジ、アルマヴィーヴァ伯爵夫人、ワグナーのエヴァとエルザ等では、彼女の歌唱は比類がなく、きらめくトーンと豊かさそれにカリスマティックな演技力があったことである。

彼女は稀な美貌の持ち主であった。二本の前歯には隙間があったが、彼女は直そうとはしなかった。髪は明るく、目はくぼみ灰色であった。彼女は若い頃映画女優になろうとしていたし、そうしていたら、成功していたかもしれない。

勤勉で挑戦的な歌手であった彼女は、53曲のオペラで74の役を演じた。その中には1951年の「放蕩息子」のヴェニスでの世界初演のアンネ・トルローヴェもある。彼女のリーダーのレパートリはシューベルト、シューマン、モーツアルト、シュトラウスの数百の歌がある。彼女はさらにフーゴー・ヴォルフの歌曲を早い時期から擁護した一人である。彼女はヴォルフの歌曲を深い洞察力と感動的な美しさで歌った。




写真は「フィガロの結婚」のシュワルツコップとあるが、伯爵夫人にしては簡素な服装かと思う。もう少し調べてみよう。

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"MY HEART IS A LUTE"

Alas, that my heart is a lute,
Whereon you have learned to play!
For a many years it was mute,
Until one summer's day
You took it, and touched it, and made it thrill,
And it thrills and throbs, and quivers still!

I had known you, dear, so long!
Yet my heart did not tell me why
It should burst into song, one morn
And wake to new life with a cry,
Like a babe that sees the light of the sun,
And for whom this great world has just begun.

Your lute is enshrined, cased in,
Kept close with love's magic key,
So no hand but yours can win
And wake it to minstrelsy;
Yet leave it not silent too long, nor alone,
Lest the strings should break, and the music be done.

Anne Barnard


私のすきなリュート

私のすきなリュート
あなたが奏でていたリュート
ひさしく音をたてなかった
ある夏のこと
あなたは取りだし つま弾いた
リュートは鳴りひびき いつまでもふるえていた!

愛するひとよ!知りあって久しいというのに
私にはわからない なぜある朝
私の心は歌いはじめたのでしょう
泣き声とともに生にめざめたのでしょう
まるで赤ちゃんが太陽の光をみて
おおいなる世界がひらけたときのように。

リュートはそっと箱にいれ
愛のおまじないで封印し
手にふれ 目覚めさせ
音をかなでるのはあなただけ
でもいつまでもほうっておかないで
糸が切れないように かなでてください。

アン・バーナード


アン・バーナードはナポレオン一世がヨーロッパ大陸を支配していた頃、南アフリカのイギリス植民地に役人として派遣された夫とともにケープ・タウンに行った。筆まめの彼女の日記や書簡は当時の歴史的資料として重要であるとされる。この詩は多忙で出張の多い夫のことを歌ったものか、フィクションの人物なのか今のところ分かっていない。別に典型的な夏の詩のジャンルに入るわけではない。ただ一言summerが詩中にある寂しい愛の 詩である。


写真は彼女も立ったであろう喜望峰である。

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