ヘ短調作品34

ルブランの回想録の link 先はゲストブックを御覧ください。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

前回と前々回『チョーサーのサンザシの詩』の誤訳等でおさがわせしたことをお詫びすると同時に、ご報告しておかなければいけない事態が生じた。いずれも私の無知と性格的欠点から生じたことである。

エディス・ホールデンの100年前の五月の絵日記には数々の詩が書き込まれている。多くは19世紀に愛好されたロマン派の詩である。彼女自身田舎を散策して、花や鳥を観察し、それを描いていた女性であるから、自然のなかで生活することを理想としていたイギリスのロマン派の詩人の引用が多いのは当然である。一風変わっているのが、今から600年以上も前の今回のチョーサーのサンザシである。

前々回からサンザシ(hawthorn)を讃美した五月の詩。私には和訳が難しかったので、理由にはならないが、てっきり彼女が最後に作者名を書きこんでいるように、チョーサーのオリジナルの詩だと思いこんでいた。

私は友人の助言を得てもっとも現代的なスペルの詩に書き換えた。ここまでは間違ってはいなかった。

エディスの『原詩』

Among the many buds proclaiming May
Decking the fields in holiday array,
Striving who shall surpass in braverie;
Marke the faire flowering of the hawthorne tree
Who finely clothed in a robe of white,
Fills full the wanton eye with May’s delight.

は以下のようになった:

Among the many buds proclaiming May
Decking the fields in holiday array,
Striving who shall surpass in bravery,
Mark the fair flowering of the hawthorne tree
Who finely clothed in a robe of white,
Fills full the wanton eye with May’s delight.

たった3語の修正で1400年に死んだ詩人の詩が読めるのかと思って感激したが、友人にこの「原詩」をメイルで送ったら、これは少なくともチョーサーのオリジナルではない、という返事が来た。braverie と言う単語も彼の時代にはなかったはずだといわれる。

そこで1400年以前という限定を付けて braverie をOEDで調べたが、なしである。これは braverie という言葉がイギリス人に使われたという文献的証拠がないということである。OEDはその名誉にかけて必死になって最初に使われた用例を探す。まずこれを信用していいであろう。この一語だけでもこの詩がオリジナルではないことが証明されたようなものであるが、暇人はこのエディス・ホールデンが引用した詩のうち、1400年以前に使われた文献的証拠をOEDで調べた。

その結果は最初の三行中でもこのテストに合格したのは、among many May くらいのものであった。さすがの暇人も調べるのをやめた。結論はよくて現代語訳である。field は feld であり、holiday は haliday であった。

可能性としては、19世紀末期の人が多少は古風な雰囲気を残すために三語だけスペルを語尾だけ変えた擬古典風の現代語訳にしたのかもしれない。

あるいは現代語訳といしてもかなり歴史のある現代語訳かもしれない。暇人は1600年以前には読めるか調べてみた。すなわちシェークスピアの時代のスペルかどうかである。調査の結果、シェークスピア時代にはこれらのスペルは存在しえた。

したがってこの詩は、OEDは持ち合わせるが、英語学の講義を受けたこともないし、今後もどこかの大学の授業に聴講しようという気概のない私としては、よくて1600年から1900年までの幅がある現代語訳である。専門家ならもっと幅を限定するであろうが。

現代語訳と言い切るためには、この内容の詩でチョーサーの真作とされる作品が存在しなければいけない。ウェブ上ではグーテンベルグ・プロジェクトのチョウサーの『カンタベリー物語』と若干の詩がある。無知なものによる検索は危険ではあるが、May という単語は非常に多かったが、サンザシの hawthorn に相当するスペルは出てくるものの、この詩に該当するものは見つからなかった。見つからなかったということは存在しないという意味ではない。まだプロジェクトは完成したわけではない。19世紀半ばに彼の真作と断定された作品の全集が出たそうであるから、この作品の真作が存在するかどうかは判定できる。

真作でない場合には二通りの可能性がある。一つは後世のチョーサーの崇拝者が彼の作品を真似て作詩した場合である。チョーサーには多くの崇拝者がいたそうだから、この可能性はある。もう一つは贋作であり、権威ありとされる人物をかついで秘かに愉ぶ不遇な詩人である。

私にはどうでもいいことである。もし興味があれば専門家が調べればよい。私は古い用紙に書かれた「真作」とされる詩を持っているわけではない。サザビーかクリスティーで『真作』を高値で落札した所有者あるいはこの購入を薦めた学芸員にとっては、真作あるいは真筆かどうかはたしかに一大問題である。

問題は真作であろうと、崇拝者作であろうと、贋作であろうと、私には作品の価値は変わらない。この詩は好きである。私のお粗末なブログには上等すぎるし、この五月にあった作品である。

それに五月という月は良い月であり、模倣しかできない詩人でも多少は才能が上向く時期であり、チョーサーなみになる可能性のある季節ではないだろうか。私はそう思いたいし、現段階ではチョーサー作とされるこの『詩』の翻訳を完了してしまいたい。もう五月も半ばである。

全1ページ

[1]


.
fminorop34
fminorop34
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事