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「バジールとは俺のことか」と死後135年後の Bazille があの世でいっているかどうか。友人に言われたのだが、Bazille はバジーユと表記すべきではないかと。そういわれてみれば、Bazille がバジーユであるならば、7月14日の Bastille 牢獄襲撃事件はバスティール牢獄襲撃事件でなければいけない。
人の名前は本人に訊いてみなければわからないものである。日本人画家が渡仏しはじめるまえに彼は死んでしまった。こうして Bazille は誰が最初にカタカナ表記したか知らないが、日本ではバジールになってしまった。まあいずれにしても日本人が「バジール」と発音しても「バジーユ」と発音してもフランスではたして通じるのかどうか。ここではフランス人 Bazille の日本名はバジールであることにしておこう。
バジールは初期印象派のグループの一人である。彼は絵を描くのが好きだったが、裕福な親からは医者になることを期待されていた。絵描きになりたいと親にいったが、「ちゃんと勉強したら絵もかいていいけど、とにかくお医者さんになりなさい」と親に説得されてパリにやってきた。午前中はいやいや医学の勉強をして、午後には絵の教室で熱心に絵を描いていた。
その絵の教室で出会った一人がモネである。モネは親に勘当されて金に困っていたからモデルを雇えない。モネは彼をモデルに使った。1865年モネはシャイイーというところに呼び寄せた。そこに着いたと思ったら、モネは足を怪我したのである。不熱心な学生ではあったが、包帯をまいて足を冷やすことぐらいはできた。またこのときはバジールがモデルではなく、バジールが絵の道にかけて先輩風をふかすモネをモデルにした。
というわけで、上にある絵と同じ絵を
http://blogs.yahoo.co.jp/fminorop34/38688561.html
に紹介した次第である。この絵は最初はバジール家にあったが、現在はオルセー美術館にある。
バジール作のこの「チャイイーの宿屋のモネ」を掲載し、「バジール・コード」という洒落にもならぬブログ記事を7月3日に投稿した。このとき病気ではないかという問い合わせがあったが、モネ同様足に怪我をしてしまったのである。たいしたことはなく、4針縫ったが、休日あけの火曜日には抜糸ということである。
今後とも私の高齢化がすすむとともに、足の怪我により、旧交を温める機会を逸っすることがあるかもしれない。そのときはまた、このバジール・コードを発信することにしておこう。
私の住んでいるところは、階段があり、詳しいことはしらないが、この前お爺さんが顔に怪我をして救急車で運ばれた。私が頭部に怪我をした場合には、ヴィンセント・コードを発信するつもりである。狂気の発作をおこしたと思わないでいただきたい。老人の頭部の怪我は結構多い。ただ現在は包帯はつかわないみたいである。ゴッホがネット状のキャップをかぶっている様子を想像していただきたい。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh40.html
老人性の心の病で悩んでいる場合は別のヴィンセント・コードがある。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh113.html
心の病で自発的に入院する場合はサン・レミ・コードを発信する予定である。
http://www.abcgallery.com/V/vangogh/vangogh42.html
心筋梗塞、脳梗塞等、私に一番可能性の高い病気で入院する場合、発信の余裕はない。私のブログが一ヶ月以上ブランクの場合である。
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