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1908年カールスルーエ(ドイツ)の音楽一家に生まれたカイルベルトは、ドレスデン、ハンブルグ、プラハだけではなく、郷里でも管弦楽やオペラでポストを獲得した。とりわけ重要だったのはバイエルン国立オペラの監督である。1952年バイロイトでデビュウした。管弦楽と歌手から彼が引き出した演奏は率直で、自然でありながら、鮮やかな色彩があった。彼の指揮は堅牢であるが強制的ではなく自然であった。
特にはっきりと出ているのは伝統に根ざした演奏者の音楽的センスであった。演奏には動かしがたい、平静にして、厳かななにものかがありながら、伸びやかさを失っていなかった。
ウォータンの最愛の娘でありながら彼に背かざるを得なかった、ブリュンヒルデ役はスエーデン生まれのアストリッド・ヴァルナイである。世紀のブリュンヒルデはキルステン・フラグスタートかビルギット・ニルソンかという党派的論争のなかで見過ごされてきたが、ヴァルナイも当然候補者の一人なのである。
すべての楽句において、音の形と流れを実に優雅にしだいに小さくしていく。この演奏での彼女の歌唱は見事というほかはない。威厳のあるバス・バリトンのハンス・ホッターは絶頂期になったが、ウォータンを演じている。きらめくソプラノのグレ・ブラウウェンシュティーンと激情のテノールラモン・ヴィネイの演ずる宿命の双子ジークリンデとジークムント、二人の押さえがたい性的な吸引力はきわめて人間的であり、神聖化されているといってよい。
ライブ・レコーディングであるので、「ジークフリート」のほとんど不可能といってよい主役で大奮闘しているので、ヴォルフガンク・ヴィントガッセンの声には疲労を感じさせるときもある。それでも彼は英雄的で逞しく歌っている。
バイロイトの1953年のライブは、シュトラウス最後のオペラ「カプリッツオ」の共同脚本家として知られているクレメンス・クラウスが指揮している。この録音では同じ歌手を聴く場合がある。「指輪」愛好家で長く評価されつづけてきたこのセットは大変すばらしい。しかし、カイルベルトの「指輪」の残された2つのオペラがすでに出た2つのオペラと同じ演奏水準を保っているならば、1955年版は最高傑作になるであろう。生涯ワグネリアンであったカイルベルトは、ミュンヘンで「トリスタンとイゾルデ」の公演中に指揮台で倒れ、1968年帰らぬ人となった。
「指輪」のライブ・レコーディングとしては、1950年のウィルヘルム・フルトヴェングラー指揮のミラノのスカラ座での公演を外すわけにはいかない。カイルベルトやほかのドイツ系の指揮者同様、フルトヴェングラーはナチ体制を通じて、その職にとどまり、ナチからは公式的評価を受けていた。困った真実が痛烈に議論されたし、当然今後も続くであろう。私は無邪気かもしれないが、スカラ座の「指輪」はフルトヴェングラーから世界にむけての和解のジェスチュアであり、彼がドイツ文化の深層と信ずるものの表現であったように私には思える。
いずれにせよ、カイルベルトのレコーディングとでは相性がまったくちがう。この録音では、史上最も偉大なワグネリアンの一人である指揮者がミラノのオーケストラと演奏している。彼らは演奏したことはあるが、いつも演奏しているわけではない。新しい発見と新鮮さが感じられる。演奏の所々のつながりが雑であるとしても、それはほとんど問題ではない。面白いのは、豊かで叙情的な弦がヴェルディー風に聞こえることである。
この演奏を聴くかぎり、フルトヴェングラーがスロー・テンポを好むと決めてかかれないことである。事実は、この録音は素早く、身の引き締まる「指輪」である。
配役はすごい。フラグスタートはこの演奏の録音時には55歳であり、彼女の声は円熟しているが、不安定なときもある。それでも、彼女のトーンは豊かで、つやがあり、無理なく力強く、彼女のフレージングは優美さの見本である。ブリュンヒルデ役として最高にドラマティックではないにしても、彼女はこの役のために生まれてきた。
各オペラは何週間にもわたる公演を記録したものであり、配役の変更がある。フェルディナンド・フランツは「ラインの黄金」と「ワルキューレ」で逞しいウォータンであるが、ヨゼフ・ヘルマンは精悍な声で「ジークフリート」の放浪者(変装したウォータン)の役を引き継いでいる。セット・シュヴァンホルムは、彼の絶頂期の明瞭な声で「ジークフリート」の主役を演じているが、少し暗い声調のマックス・ローレンツが「神々の黄昏」で同じ役を引き継いでいる。
主な欠点は、理解に苦しむが、フルトヴェングラーは2つのオペラで一部を削除している。とくに「ワルキューレ」でウォータンの語りのかなりの部分の削除は残念である。録音はLPで発売されたが、音質は非常に悪かった。リマスター版は奇跡的であり、12枚以下のCDセットでゲブハルトから2004年から発売されている。
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