ヘ短調作品34

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<<最初の部分が欠けております。私のこの部分はかならずブログに拒否されます。音楽学校の先生の一人娘であったシュワルツコップの生まれた土地と生年月日が書かれています。>>

フリードリヒ・シュワルツコップは教師であったので家族は何度か引っ越している。エリザベートが13歳のとき、ドイツのマグデブルクに一時住み、ピアノ、ギター、ヴィオラ、オルガンを習い、高くて明るい声を身につけた。この発声は学校でのコンサートや地元のアマチュア演奏会での要請があったからである。

家族はヒトラーが権力を掌握した1933年ベルリンに引っ越した。ミス・シュワルツコップはベルリン王立アウグスタ学校に通い、後に音楽院の入学を許可された。彼女の本格的なトレイニングが始まる前の1934年「国家社会主義学生同盟」からの資金援助で、サイクリングとキャンピングの旅にイギリスに行ったことがある。彼女はこの国に愛着を持ち続け、イギリスは戦後彼女を芸術家としてやさしく受け入れ、1992年には大英帝国のデイムの称号を授与している。

この音楽院では、学生はヒトラーの国家社会主義運動の授業を受けなければいけなかった。1935年、彼女が二十歳の頃であるが、ナチの学生支部のメンバーになった。シュワルツコップの伝記を書いたアラン・ジェファーソンによれば、この学生組織のリーダー(フューラーリン)になり、彼女のイデオロギー上の任務は「他の学生を監視する」ことであった。

音楽院の教官ルーラ・ミスツ・グマイナーは彼女の専門分野では傑出していたが、なぜかシュワルツコップはコントラルトになるべきだと信じていた。ミス・シュワルツコップがようやく彼女の声を出すようになったのは、1938年にトレイニングが終了して、ベルリン・シュタート・オーパーと共演した時からだった。

彼女はこの時期に歌手としての評価を勝ち取り、新人に与えられる小さな役から本格的な役へと飛躍した。歌劇団の団長であるウィルヘルム・ローデはナチ宣伝相のヨゼフ・ゲッペルスの見込が良かった。ミス・シュワルツコップがナチと協力するようになった理由の一つは、歌劇団の野心的な歌手が党を支持するのは義務だったのである。

しかし彼女は1980年代まではナチに正式に入党してはいなかったと主張してきた。彼女は1845年の連合国の調査に三度そういっている。占領下の時代、正式の党員はドイツでの公演が許されなかった。

しかし1982年に、ウィーン大学の音楽史専攻のオリヴァー・ラトコルブが博士論文を公刊し、その中で彼女が党員であったことを詳細に明らかにした。この情報の出所は、ウィーンの連合国の非ナチ化局で発見され、後にワシントンのナショナル・アーカイブに移された文書である。

この記録によれば、ミス・シュワルツコップは1940年1月26日に入党を申請し、同年3月1日に受理されている。ナチの党員番号は7548960である。学者と著者は彼女の入党申請はもっと早かったと考えている。

ニューヨーク・タイムスとの1983年のインタビューで、ミス・シュワルツコップは党員であったことを否定した。タイムスにこの文書のことを指摘されたときには、党員であったことを認めた。「別段たいしたこととも思っていませんでした」と彼女は述べた。「たいしたこととは。」タイムス当ての書簡でさらに説明を加えた。「組合に入るようなものでした。仕事をもらうために組合に入るのと同じ理由でした。」

ほかのインタビューでは、トスカの有名なアリア「ヴィッシ・ダルテ」、訳せば「歌に生き」を引用して自己弁護している。

彼女のナチの過去についての議論は彼女の80歳の誕生日での賛辞に関連して一時浮上したことがある。ジェファーソン氏の伝記「エリザベート・シュワルツコップ」がこの当時出版されたが、戦争中の彼女の役割について議論しているが、彼女はキャリアを高めたい一心の野心家であったとしている。

ナチとして、ミス・シュワルツコップは党の式典や前線の武装親衛隊のために歌っている。彼女はゲッペルスの帝国劇場局(Reichstheaterkammer)の一員であり、宣伝省で働き、映画にも出たことがある と信じる研究者もある。ニューヨーク・タイムスとの1983年のインタビューで、ミス・シュワルツコップは党員であったことを否定した。タイムスにこの文書のことを指摘されたときには、党員であったことを認めた。「別段たいしたこととも思っていませんでした」と彼女は述べた。「たいしたこととは。」タイムス当ての書簡でさらに説明を加えた。「組合に入るようなものでした。仕事をもらうために組合に入るのと同じ理由でした。」

ほかのインタビューでは、トスカの有名なアリア「ヴィッシ・ダルテ」、訳せば「歌にに生き」を引用して自己弁護している。

彼女のナチの過去についての議論は彼女の80歳の誕生日での賛辞に関連して一時浮上したことがある。ジェファーソン氏の伝記「エリザベート・シュワルツコップ」がこの当時出版されたが、戦争中の彼女の役割について議論しているが、彼女はキャリアを高めたい一心の野心家であったとしている。

ナチとして、ミス・シュワルツコップは党の式典や前線の武装親衛隊のために歌っている。彼女はゲッペルスの帝国劇場局(Reichstheaterkammer)の一員であり、宣伝省で働き、映画にも出たことがある と信じる研究者もある。

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My faither couldna wark, my mither couldna spin;
My father could not work, and my mother could not spin;
お父さんは働けないし、お母さんは糸を紡げない。

I toll'd day and nicht, but their bread I couldna win:
I toiled day and night, but their bread I could not win;
私は朝から晩まで精を出したけど、二人を食べさせられなかった。

Auld Rob maintain'd them baith, and wi' tears in his e'e,
Old Rob maintained them both, and with tears in his eye
オールド・ロブは二人を養い、目に涙をうかべて

Said, "Jeannie, for their sakes, will ye marry me!"
Said, "Jennie, for their sakes, O, marry me!"
言った。「ジェニー、ご両親のためにも、お願いだから私と結婚しておくれ!」

My heart it said na - I look'd for Jamie back;
My heart said nay; I looked for Jamie back;
私にの気持ちはいやだった。ジェイミーの帰りを待った。

But the wind it blew hie, and the ship it was a wrack;
But the wind blew high, and the ship was a wrack;
だが風が吹き荒れ、あの船は難破した。

His ship it was a wrack - why didna Jamie dee?
His ship was a wrack - Why did not Jamie die ?
彼の船は難破した。どうしてジェイミーが生きているの?

Or why do I live to cry, Wae's me!
Or why do I live to cry, Woe is s me!
どうして一生泣き続けるの?私は悲しい!

My faither urged me sair; my mither didna speak,
My father urged me sore: my mother did not speak
お父さんはいらいらして私をせかし、お母さんは黙っていた。

But she looked in my face till my heart was like to break.
But she looked in my face till my heart was like to break:
でも彼女は私の顔をのぞきこみ、私の心は張り裂けんばかり。

They gied him my hand - my heart was at the sea;
They gave him my hand, though my heart was in the sea;
私の心は海にあったのに、両親は彼との結婚をきめた。

Sae auld Robin Gray he was gudeman to me
So old Robin Gray was goodman to me
こうしてオールド・ロビン・グレイは私の旦那さんになった。

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Auld Robin Gray
Old Robin Gray
オールド・ロビン・グレイ


When the sheep are in the fauld, and the kye a' at hame,
When the sheep are in the fold, and the cows all at home,
羊は囲いの中、雌牛がみな家の中にいるとき、

When a' the weary warld to sleep are gane,
When all the weary world to slep are gone,
みなは疲れて眠りについた。

The waes o' my heart fa' in showers frae my e'e,
The woes of my heart fall in showers from my eye,
私の心の悲しみは目から雨のように流れる。

While my gudeman lies sound by me.
While my goodman lies sound by me
一方私の旦那さんは私のそばでやすらかに寝ている。

Young Jamie lo'ed me weel, and sought me for his bride;
Young Jamie loved me well, and sought me for his bride:
若いジェイミーは私をとっても愛してくれて、私をお嫁にしようとした。

But saving a croun he had naething else beside.
But saving a crown he had nothing else beside,
1クラウンの貯え以外に彼は何も持っていなかった。

To mak the croun a pound, my Jamie gaed to sea,
To make the croun a pund, young Jamie went to sea.
1クラウンを1ポンドにするために若いジェイミーは海に出た。

And the croun and the pound, they were baith for me.
And the crown and the pound, they were both for me.
そしてクラウンもポンドも私のためのもの。

He hadna been awa' a week but only twa,
He had not been away a week but only two,
彼がでかけて1週間もたたない二日目に、

When my mither she fell sick and the cow was stown awa';
When my mother fell sick and the cow was stolen away,
おかあさんが病気になり、雌牛は盗まれたとき、

My faither brak his arm - my Jamie at the sea;–
My father broke his arm - my Jamie at the sea:
お父さんは腕を折り、― ジェイミーは海にでかけたまま。

And auld Robin Gray cam a-courtin' me.
And old Robin Gray came acourting me,
そこへオールド・ロビン・グレイが私をもらいにきた。

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アン・バーナード[1750-1825]が作詞したMy Heart Is a Luteを訳してみて、18世紀末からアフリカ大陸の最南端で暮らした女性に興味を持った。彼女の本はアマゾンで購入可能であるが、私の本棚にはもう一冊の本も入れる余地がないのと結構いいお値段である。古本も強気でまったくまける気がない。根強い人気があるのだろう。この本はアフリカの研究者に買ってもらうのがよさそうである。

ただこの女性、前々回紹介したが、スコットランドの貴族の出である。彼女のスコットランド語で書いた詩はいまだに残っている。ウェッブでは楽譜もついて全文が紹介してあった。これを現代英語訳に、最終的には和訳できないものかと暇人は考えた。

私は外国で新年のパーティに出たことがある。新年の0時をむかえるときのカウント・ダウンだけはさすがに英語で大声でやったが、すぎし年に別れを告げるAuld Lang Syneを合唱する段になって、英語ではなく、小声の日本語で「蛍の光」を歌ったような男である。そんな語学力の男が今回Auld Lang Syneを調べてみた。読むだけならそれほど難しくなさそうである。

だが今回アン・バーナードの 今なお知られているバラードAULD ROBIN GRAYはそうはいかないみたいである。話の筋は、解説を読むとよくある物語である。カトリーヌ・ドヌーブの「シェルブールの雨傘」もこの類型に属するかと思う。好きな彼氏が遠い所に行ってしまい、死んでしまったという知らせがくる。 彼女は親にうるさく言われ、気が進まない男性と結婚してしまう。ところが彼氏は生きていて帰ってくる、というお話しである。この類型の話では、結婚してしまった彼女が結構幸せに暮らしており、彼氏はそっと立ち去るというのが多かったように思う。アン・バーナードの話では、彼女は彼氏が忘れられないが、ああ年老いた旦那さんは裏切るわけにはいかない。彼はとてもいい人なのである。

幸い私はOEDのCD版をもっているので、かなり確かめることが出来そうである。一部は前後関係から判定をくだすことになるが。では彼女のオールド・ロビン・グレイを紹介しよう。自信があるわけではないが、さっそく最初の4詩節の現代語訳と直訳の和訳は直ちに報告できると思う。

このスコットランド語のバラードの挿絵と楽譜がある。腕を折ったお父さん、病気のお母さんに説得される若い彼女と「年老いた」求婚者。この挿絵のロビンさんはそう年寄りではない。彼女がはれて未亡人になれるのはかなり先のようだ。


http://www.electricscotland.com/music/songs/15.htm


When the sheep are in the fauld, and the kye a' at hame,
When a' the weary warld to sleep are gane,
The waes o' my heart fa' in showers frae my e'e,
While my gudeman lies sound by me.

Young Jamie lo'ed me weel, and sought me for his bride;
But saving a croun he had naething else beside.
To mak the croun a pound, my Jamie gaed to sea,
And the croun and the pound, they were baith for me.

He hadna been awa' a week but only twa,
When my mither she fell sick and the cow was stown awa';
My faither brak his arm - my Jamie at the sea;
And auld Robin Gray cam a-courtin' me.

My faither couldna wark, my mither couldna spin;
I toll'd day and nicht, but their bread I couldna win:
Auld Rob maintain'd them baith, and wi' tears in his e'e,
Said, "Jeannie, for their sakes, will ye marry me!"

My heart it said na - I look'd for Jamie back;
But the wind it blew hie, and the ship it was a wrack;
His ship it was a wrack - why didna Jamie dee?
And why do I live to cry, Wae's me?

My faither urged me sair; my mither didna speak,
But she looked in my face till my heart was like to break.
They gied him my hand - my heart was at the sea;
Sae auld Robin Gray, he was gudeman to me.

I hadna been a wife a week but only four,
When, mournfu' as I sat on the stane at the door,
I saw my Jamie's wraith - I couldna think it he,
Till he said, "I'm come hame, my love, to marry thee."

O sair did we greet, and meikle did we say:
We took but ae kiss, and I bade him gang away.
I wish that I were dead, but I'm no life to dee;
And why was I born to say, Wae's me?

I gang like a ghaist, and I carena to spin;
I daurna think o' Jamie, for that wad be a sin.
But I'll do my best a gude wife to be,
For auld Robin Gray, he is kind to me.

Anne Barnard

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