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バイロイト音楽祭の歌手に不満を持っていたトマシーニ記者だがイゾルデ役のニーナ・シュテンメの歌唱に欲求不満が解消されたみたいである。目下バイロイトのビッグ・ニュースとしてとり上げている。
バイロイトの「トリスタン」:現代服を着たふるき情熱
アンソニー・トマシーニ
ニュウヨーク・タイムス 8月3日
バイロイト、8月2日 ― 新演出のワグナーの叙事詩「ニーベルゲンの指輪」は月曜日の夜に終了した。バイロイト音楽祭の理事会は疲労回復のための一日の休みをくれるとお思いかもしれないが、ここではそうではない。火曜日にはクリストフ・マルターレル演出の現代服を着た「トリスタンとイゾルデ」がある。この演出は昨年の夏に紹介され、未だに強い反応が続いている。
ロバート・ディーン・スミスとニーナ・シュテンメがバイロイト音楽祭では「トリスタンとイゾルデ」の主役である。
ビッグ・ニュースは、スエーデンのソプラノ、ニーナ・シュテンメのイゾルデの燃える、哀切きわまりない声楽的表現である。カンサス生まれのロバート・ディーン・スミスも大変消耗するトリスタン役の立派な歌唱で感謝のオベーションを受けた。しかし、この愛らしい女性できゃしゃな女優であるミズ・シュテンメは大変素晴らしかった。声にかんしては、私はバイロイトでまる一週間過ごしてはじめて感激した。この音楽祭の伝説的地位からすれば、歌唱の全般水準が高くないのに驚いていた。
ミズ・シュテンメの歌唱は、北欧的色彩と激しい感情を結合させたもので、きわめて珍しい。彼女は力強く、胸の高鳴るトップ・ノートで劇場を響かせた。それでいて彼女はイゾルデの物思いにふけるフレーズを感動的な優しさで高め、構成することができる。私は少々彼女の将来を心配した。彼女は声をワグナーレベルにつり上げたソプラノとお見受けした。頑張ったとき、彼女の声がきつくなりすぎた。だがそのほとんどの場合は、彼女の演奏へのすざまじいまでの献身性の結果であったので、聴衆はバイロイトで最大級の熱狂的オベーションで応えた。
スミス氏は背の高い、頑健で、健全そのもののカンサス人という風貌である。彼はこの資質をトリスタン役にうまく活かしきっていた。彼の声は大きくはないがつながりがよい。彼の声はなめらかとは言い難いが、力強くて、豊かな歌唱は魅惑的である。第三幕の始まり、どの歌手もひるむ、あのシーン。傷ついたトリスタンが高揚して最愛のイゾルデを待ちわびるシーンである。スミス氏は恐るべきスタミナと役へのドラマティックな献身を披露した。
脚本の第一幕はの船の甲板上で始まる。トリスタンがアイルランドの王女イゾルデを彼の伯父マルケ王の妃にすべくコーンウォールに連れて行く。この演出の舞台と衣装はアンナ・ヴィーブロックのデザインである。この演出では、さえない現代の定期客船の狭い甲板上にこのシーンを設定した。椅子が散らかり、はがれた壁紙から羽目板が偽物であることが察せられる。円形状の蛍光灯が上につるされている。これは第二幕の抑制のきかなくなった二人が消してしまいたいと願った昼の世界を表現している。全般的に、比喩的表現は内容と共鳴し、かつ印象的である。イゾルデとともにいるブランゲーネを見るのも感動的である。ブランゲーネは、激しい気性の、陰鬱な声のメゾソプラノ、ペトラ・ラングが姉のような友人の役をよく演じている。
この演出に対する私の疑問はマルターレル氏の歌手達の演出にある。ときとして歌手達を不細工な象徴主義に追い込むことになる。たとえば最後のシーン、イゾルデが「愛の死(Liebestod)」を血まみれのトリスタンの死体に重なるようにして歌うとき、他の配役は引き下がり、周囲の壁に顔を向け、動かずにじっと立っている。このイメージはよくて大げさというものであり、わるくすると泥臭くなる。
粗っぽい部分やほえる場面があるにもかかわらず、バリトンのヴェテラン、ヘルムート・ウェルカーはトリスタンの忠実で父親のような従者クルヴェナールの役を感動的に演じている。バスのクアンシュル・ヨウンは声量のあるマルケ王である。ピーター・シュナイダーはスコアの光り輝く、広大な内容を指揮し、感受性に富み、説明的な操作からは解放されている。私が当分忘れそうにないのは、音響的に驚くべきこの劇場での弦の豊かな音、それにもちろん、ミズ・シュテンメの傑出したイゾルデである。
バイロイト音楽祭は8月28日まで開催され、「トリスタンとイゾルデ」の公演さらに5回ある。
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