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見られるものはすべて見尽くし、命令どおりホワイト・ホールに向かった。セント・ジェームス公園に歩いていき、妻、クリード、ウッドと彼の妻にあった。私の船に乗り、上流に行き、火災現場を上り下りした。火はますます大きくなり、風は強くなってきた。出来るかぎり近づこうとしたが、煙のせいでそう近くは行けなかった。テームズ河周辺では、風がつよく顔に吹き付け、火の粉が降りってきて、焼け死にそうである。これは真実である。家屋はこの火の粉で焼けたのである。3件か4軒、いや5軒か6軒は1軒の家の火の粉で燃えたのである。 |
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ここでコーク大尉に会い、私は彼の貸してくれた馬車にのり、クリードも同乗してセント・ポールにいきワトリング街に沿って歩けるだけ歩いた。どの人も持ち出せる家財を背負って出てきた。あちこちでは病人がベッドで運ばれていた。貴重品は荷馬車や背負って持ち出されていた。ついにカニング街で市長と出会った。疲れ切って様子で首には布をまいていた。王の命令に、失神寸前の女のような声を出し、「主よどうしましょう?もう疲れきったよ。わしのいうことに誰も従わないよ。家を引き倒してきたが、それ以上に火の廻りが速くて。」もうこれ以上手勢があっても意味がない、市長自身ここを立ち去り、元気を回復しなければ行けない。市長は立ち去った。私も同様に家に戻った。途中気が転倒している人達を見た。火を消す方法はなかった。 |
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1666年9月2日 サムエル・ピープスの日記 |
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Wo die Nebel brüten im Tal |
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



