|
選者は昨日ホイットマンを送ってきた。題名は「私はただ座って眺めている」内容は痛烈だが、読めば分かる明快なアメリカの詩人ホイットマン。 I Sit And Look Out I sit and look out upon all the sorrows of the world, and upon all oppression and shame; I hear secret convulsive sobs from young men, at anguish with themselves, remorseful after deeds done; I see, in low life, the mother misused by her children, dying, neglected, gaunt, desperate; I see the wife misused by her husband--I see the treacherous seducer of young women; I mark the ranklings of jealousy and unrequited love, attempted to be hid--I see these sights on the earth; I see the workings of battle, pestilence, tyranny--I see martyrs and prisoners; I observe a famine at sea--I observe the sailors casting lots who shall be kill'd, to preserve the lives of the rest; I observe the slights and degradations cast by arrogant persons upon laborers, the poor, and upon negroes, and the like; All these--All the meanness and agony without end, I sitting, look out upon, See, hear, and am silent. Walt Whitman. 私はただ座って眺めている 私はただ座って、世間の悲しみ、抑圧と恥辱を眺めている。 私は若い男が犯したことを後悔して苦しみ、嗚咽するのを聞いている。 私は貧しく、子供に虐待され、顧みられず、痩せこけ、絶望の死に瀕している母親を見ている。 私は夫に虐待される妻を見ているし − 若い女性を拐かす男を見ている。 私は隠したい嫉妬や失恋に気づいている − 私はこの世のことはすべて見ている。 私は戦闘や疫病や悪政の過程を見ている − 犠牲者や囚人も見ている。 私は海上での飢も観ている − 残りの人の命を救うために、死ぬ人の籤を引くのを観ている。 私は傲慢な人物が労働者や貧乏人や黒人その他を侮辱し、首にするのを観ている。 これらすべて − 限りなき卑劣と苦痛を、私はただ座って眺めている。 見て、聞き、沈黙を守っている。 ホイットマン 写真はカメラを「ただ座って眺めている」ホイットマンである。
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2007年06月21日
全1ページ
[1]
|
気が早いといわれるのは覚悟の上である。秋の詩を選んだのは、作者がヘルマン・ヘッセだからである。いつもの歌曲のデータ・ベースで調べたが、彼の詩は数多く付曲されている。どれもこれも赤星マークがついて詩がのっていない。うっかりミスかもしれないが、ほんの数編には赤星マークがなく、詩が載っていた。感激して飛びついた次第。若かりし頃の思い出の作家である。 Herbstbeginn Der Herbst streut weißen Nebel aus, Es kann nicht immer Sommer sein! Der Abend lockt mit Lampenschein Mich aus der Kühle früh ins Haus. Bald stehen Baum und Garten leer, Dann glüht nur noch der wilde Wein Ums Haus, und bald verglüht auch der, Es kann nicht immer Sommer sein. Was mich zur Jugendzeit erfreut, Es hat den alten frohen Schein Nicht mehr und freut mich nimmer heut - Es kann nicht immer Sommer sein. O Liebe, wundersame Glut, Die durch der Jahre Lust und Mühn Mir immer hat gebrannt im Blut - O Liebe, kannst auch du verglühn? Hermann Hesse 初秋 秋とともに白霧が立ち込め もう夏は過ぎ行く! 日暮れて灯りがともるころ 冷気に誘われ家路につく。 やがて樹木も庭も虚ろになり なおも燃えるは家の周りの 野イチゴ、やがて燃えつき もう夏は過ぎ行く。 青春時代に楽しんだ物に 楽しくも懐かしい輝きは 今やなく、楽しくもない − もう夏は過ぎ行く。 ああ不思議な情熱、愛は 幾年月わが血液の中で 喜びと悲しみを燃やした − ああ愛、汝も燃えつきたか? ヘルマン・ヘッセ
|
|
45.ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ
[ライプツィッヒ]、1878年10月4日
親愛なる友へ あなたが原作者であることの証拠は王家の獅子風の筆致だけですから、これからは、あなたのモテット(1)を 不当に占有するのはいとも簡単になりますね。では、この問題を解決する調停裁判所はどこにあるのでしょうか。私は正直ですから、ときおり作品をお預かりし て、写させて頂くというのはいかがでしょう。あなたは安心して、写本用の用紙の山を探し回ることもなく心穏やかに眠れます。 わが家はごった返し、ほこりで息が詰まりそうです。妻が料理しているときは、私は雑役夫です。それでもめどが立ってきましたので、まもなくいつもの快適な日常生活に戻ることになるでしょう。 あなたがライプツィッヒ(2)におられたときには、私たちはウィーンで一日を過ごしていました。今度はちょうど逆ですね。これではまるで全員が場所を替えたがるおとぎ話ですね。しかし、ケルンテンでの出会いの記憶、一月の再会、バイオリン曲(3)が聴けるという期待で、私たちは落ち込んではいません。非常な情報通である人物から、あなたが第三交響曲を書き終えたと伺いました。それもト短調だとか。あなたご自身はご存じでしたか。私たち夫婦からよろしく。 ヘルツォーゲンベルクより こちらに戻って、気落ちすることが多々ありました。エンゲルマンは気の毒に重態です。ぞっとする病名です。でも彼は回復しつつあるように見えましたし、奥さんも以前よりは元気です。この老人はソファに横になり、病気にいらだちながらも、彼が描いた魅力的なヴィーナスとキューピッドの小品をながめて心を慰め ています。 わたしたちのイギリスのお友だち(6)はユトレヒトでエンマの家に泊まっています。ここで彼女はホルン・トリオとハ短調四重奏が聴けるので大変ご機嫌です。わたしたちはあなたの伝言をすぐにリンブルガー(7)に知らせることができます。いつ、いつフンボルト・シュトラーセにみえる予定ですか。あなたにはぜひ来ていただきたいと思います。わたしたちはフィリシテ人の水の中にいる魚のような気がしてなりません。それでは。 妻より
注
(1) 書簡39-41。(2) ブラームスはフィルハーモニック協会の50周年(9月25-28)に招待された。彼は第二交響曲を第三夜に指揮し、帰途ライプツィッヒに立ち寄った。 (3) バイオリン・コンチェルト作品77とバイオリン・ソナタ作品78の作曲は1832年の夏に開始され、晩秋に完成した。 (4) 1832年に作曲され、翌年プラハとライプツィッヒで演奏された交響曲。一時ライプツィッヒで短期間復活した。 (5) マリー・ウィルト(Marie Wilt, 1833-1891)、ウィーンの宮廷劇場のプリマ・ドンナ。彼女はライプツィッヒではブリュンヒルデ役を演じた。 (6) エセル・スマイス。 (7) ブラームス、作品40と作品60。 (8) ゲバントハウス委員会の理事。 訳注 1. フィリシテ人とは本来は古代イスラエルの敵である。ここでは彼女はワグナー派を罵る言葉として使っている。これについてはウィキペディアのフィリシテ人を参照。 2. これについてはウィキペディアのニーベルングの指環を参照。ライプツィッヒでもワグナーの演奏会があったが、マリー・ヴィルトは音楽史家が研究対象にするほどの歌手であるが、有料で論文をダウンロードする気になれなかった。ここで紹介するは1990年バイロイトの「神々の黄昏」の終幕である。ブリュンヒルデはアン・エヴァンズ。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- 洋楽
全1ページ
[1]

桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



