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「今日の詩」はブラウニング夫人の「嘆き」である。旦那さんより難解という先入観があり、私が苦手とする詩人である。今日の詩の大意はこう解釈した。死んだ人、とくに石像になってしまった人を嘆くなら、自分の死を嘆け。一日でも生を長らへ、立派に生きて、見苦しい死に様をさらすな。 これは両親から病弱として見捨てられたが、ブラウニングとの熱烈な恋で立ち直った彼女の人生訓だろう。と解釈したが、浅いだろうか。 Grief I tell you, hopeless grief is passionless; That only men incredulous of despair, Half-taught in anguish, through the midnight air Beat upward to God's throne in loud access Of shrieking and reproach. Full desertness, In souls as countries, lieth silent-bare Under the blanching, vertical eye-glare Of the absolute Heavens. Deep-hearted man, express Grief for thy Dead in silence like to death-- Most like a monumental statue set In everlasting watch and moveless woe Till itself crumble to the dust beneath. Touch it; the marble eyelids are not wet: If it could weep, it could arise and go. Elizabeth Barrett Browning. 嘆き 希望のない嘆きには感情がない。 絶望を容易に信じない、苦痛をろくに 知らない人々に限って真夜中の宙を飛び 大声を上げ神の玉座にすがり付き わめき、愚痴をこぼす。完全な孤独は 田園のような心、遮るものなく、静かに 絶対の神が見下ろす怒りの目に青ざめ 横たわるのみ。信仰厚き人よ、死者に 対するごとく、静かに汝の死のために嘆け ― 記念像は砕けて塵となるまで いつまでも見守られ続け 身じろぎしないで嘆かれる。 触れてみよ。大理石の瞼は乾いている。 もし涙すれば、石像は再び立ち行かん。 ブラウニング夫人 写真はローマ軍に報復すべく立ち上がったイギリスの女王ボーディッカと娘の像
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2007年08月28日
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トラークルの「死の七つの歌」の第9作「フェーン」である。吹きすさぶ風の中登場する母の嘆きと子供の骸骨。いかにもドイツ・ロマン派の一つの流れをくむ怪奇な幻想をトラークル独特の手法で表現した詩である。 Föhn Blinde Klage im Wind, mondene Wintertage, Kindheit, leise verhallen die Schritte an schwarzer Hecke, Langes Abendgeläut. Leise kommt die weiße Nacht gezogen, Verwandelt in purpurne Träume Schmerz und Plage Des steinigen Lebens, Daß nimmer der dornige Stachel ablasse vom verwesenden Leib. Tief im Schlummer aufseufzt die bange Seele, Tief der Wind in zerbrochenen Bäumen, Und es schwankt die Klagegestalt Der Mutter durch den einsamen Wald Dieser schweigenden Trauer; Nächte, Erfüllt von Tränen, feurigen Engeln. Silbern zerschellt an kahler Mauer ein kindlich Gerippe. Trakl フェーン 風の盲目の泣き声、月に憑かれた冬の日 幼年時代、足取りは穏やかに黒き生垣に消える。 長き晩鐘 静かに白き夜が近付き 苦悩と不安を石の生活に 変換し 荊の刺は腐敗する肉体を放置せず。 深き眠りにも慄く魂は息を吐き 砕かれし樹の風は深く 母の嘆きの姿は 孤独な森の中で揺らめき 沈黙の嘆き、夜 涙あふれ、恐怖の天使 侘しき城壁に子供の骸骨を銀色に打ち砕く。 トラークル
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113.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ グラーツ、ケルブラーガッセ 32 1882年7月24日 親愛なる86番(1)様へ 珍しいことではありませんが、わたしは、親切な寄贈者に感謝の手紙を書く暇もなく、五日間も家に閉じこもりブラームスの新作歌曲集の三巻を読みふけりまし た。この曲集は旧友と再会の機会を与えてくれただけに、わたしには価値の高いものです。わたしは愛らしい低地オーストリアの詩に出てくる「ナツ」の母親 そっくりだからです。彼女は先立った人たちに会いたくて天国に召されることを待ち望んでいます。「みんな一目でわたしたちがわかってくれるし、ナツがなか でも一番綺麗な子です。」ええ、わたしは彼らを見て知っていますし、知り尽くしています。うわべだけ知っていた曲については知識を新たにしました。そこそ この知り合いたちは確信を持って話しかけてきます。たとえば、「夜に彷徨う者の歌(Nachtwandlerlied )」(2)のように。この曲はわたしにその姿を現し始めました。わたしはとりわけ、最後の「満月の光に酔いしれるように(Wie von Licht des Vollmonds trunken)」が好きです。ト音での美しく、忍びやかな伴奏と音声部のクレッシェンド、それから 「彼を呼び覚ます口に禍あれ(Weh den Lippen, die ihn riefen)」での音楽の盛り上がりと最初のパートの64音形への沈み込み方、これがこの忘れられない歌になされたもののようです。完璧な単純性と結びついた全体の豊かさ、わたしはこれが好きです。 一方わたしは、「野の寂しさ(Feldeinsamkeit )」(3)に飽くなき愛着を持っています。最初のメロディーが浮かんだときどんなにか心を踊らせたことでしょう。その完璧なピッチでわたしたちをたちまち虜にし、わたしたちの耳を魅了し、温かく、柔らかい流れに浸します。’tief Traumen’ でのニ短調への愛らしい転調ではどんなにか浮かれたことでしょう。――これらのささやかな名人芸を楽しまれたと思います――ハ長調に戻るのが早すぎて、愛撫が名残惜しい気がしました。以前よりも「死への憧れ(Todessehner )」が好きになりました。でも音声部のジグザグした稲妻のような性格のために、「沈めるさま(Versunken )」(4)には入りたい気がしません。作品85で古き良き時代に戻してくれますし、装いを新たにした懐かしい歌を眺めては、ペルチャッハで(あなたがもうそこにはいないのが残念無念。ここからすぐに行けたのに)引き出しをこっそり調べたことを思い出します。「森の静寂(Waldeinsamkeit )」(5)は そう毎日は得られない霊感でしょう。――三巻中、最高の作品ではないでしょうか。――無意識に息を止めて聴き入るような曲です。傑作です。高揚した感情に 溢れながら、表現は人間的であり、深い個人体験から生まれたものです。涙なくして聴く人はもう完全に手遅れです。一声か二声のための小品 ad libitum が可愛い口紅(6)がつくことでは一番の曲です。なんと無邪気なのでしょう。子供たち――しつけの良い子供たち、たとえばシューベルトかベートーベンの――の顔をのぞき込むような感じです。「夏の夕べ(Sommerabend )」(7)の母親のメロディーとその繰り返しほど愛らしく、上品なのは想像もつきません。このパーツの終わり方は独創的です。わたしは小さなタッチごとに喜びました。まるで昔の綺麗な銅版画――たとえばディートリッヒ(8)の――みたいです。彼の作品では技術と自然な感情が渾然一体になっています。おそらく「いちご畑で(Beerenlied )」(9)はさらに愛すべき作品です。明るくてのんびりした嬰ホ短調(嬰ニ音がついたカメレオンのような調子、最初は困惑しました)への転調、それにロ長調に寄っていく穏やかな方法。また嬉しいことに、繊細な八分音符が「最愛の」が最初に出てくるところで付加され、魅力的に延ばされ、つぎに「熟れた赤いキス」に合うように付加されて、突然自信を持って輝かしい嬰ホ長調に復帰します。特権を持った名人のみが、飛んでいる美しい鹿のように、 実際の動きを感じさせないでわたしたちを全速力で運んでくれます。しなやかに走れない人の場合、わたしたちは無惨にも喘ぎ、大きく息をすることになります。「緊張(Spannung )」(10)は不思議に感動的でした。「私の天使、答えておくれ(Du sollst mir Antwort geben, mein Engel)」は切迫感があり、甘く説得的でした。この歌詞――それと美しく声の優しい結合――は非常に美しく、わたしの思い通りでした。そしていつものように、最後に心から感謝いたします。なぜならば、これは心に響き、人生を価値あるものにする作品ではないでしょうか。 今年の夏は書きたくないみたいですが、短いお手紙を頂けませんか。あなたが何をしてみえるのか知りたいのです。それとも二台のストーブを愛用されておられるのでしょうか。なんといい天気が続くのでしょう。日陰でも22度がずっと続くので、わたしはまったく元気がありません。わたしは勇敢にもこの暑さを無視することで生きています。一日6時間イタリア語でなぐり書きしています。ついにわたしは、あなたの例(11)に 倣って、この残酷なまでに美しい言語に精を出しています。誰もが仰ぎ見て頂上にたどり着くことを念願しますが、梯子の下の所でまごついています。それで も、少しトスカナの格言を憶えました。その一つを引用します。ネタになり、歌曲集への感謝と称しながら、かしましい手紙になってしまったお詫びのしるしです。Le parole sono feminine e I fatti sono maschi! (12)
さて、さようならを言いますが、お願いが一つあります。お手紙を下さるとき、お気の毒なファーベルさんの件にもふれてください。七月の終わりにウィーンでお目にかかったときはぞっとしました。わたしが思っていた以上に悪い状態でした。あなたの感想とビルロートの報告が知りたいのです。
可哀想に。こんなに弱った彼を見て心が痛みました。わたしたちが見たときの恐怖を感じていないことを希望します。あいにく(13)サンモリッツからはニュースはありません。 それではさようなら。わたしたちは八月一日までここにいます。その後、わたしたちはティロルでのんびりしてから、ヴェニスには時間をかけて行きます。リドが慈悲深いといいのですが。母の手紙では、全然暑くはないそうです。ハインツは手紙をいろいろ書いています。出版された雅歌(14)を送っています。二人ともこの曲が気に入っています。 いつまでも感謝を忘れぬあなたの忠実なE. ヘルツォーゲンベルクより (1) 3巻の歌曲集の最後が作品86である。 (2) 「夜に彷徨う者」、作品86第3曲。 (3) 作品86第2曲。 (4) 作品86第5曲。 (5) 作品84第6曲。。 (6) 「ロマンスと歌」作品84。 (7) 作品84第1曲。 (8) C.W.ディートリッヒ、18世紀の画家で銅版画家。 (9)「いちご畑で」作品84第2曲。 (10) 作品84第5曲。 (11) ブラームスはイタリア旅行にそなえてイタリア語を習っていた。 (12) ジュゼッペ・ジュスティーの Raccolta di proverbi Toscani 126ページ。「(イタリア語では)話は女性名詞、行いは男性名詞」。正確には、Le parole son feminine e I fatti son maschi! (13) アルトゥール・ファーベル、彼らの共通の友人。重病であった。 (14) 混声合唱のためのア・カペラ、詩篇116、作品34。 1882年7月の夏休み、ヘルツォーゲンベルク夫妻はハインリッヒの出身地オーストリアのグらーツに里帰りした。 |
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113.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ グラーツ、ケルブラーガッセ 32 1882年7月24日 親愛なる86番(1)様へ 珍しいことではありませんが、わたしは、親切な寄贈者に感謝の手紙を書く暇もなく、五日間も家に閉じこもりブラームスの新作歌曲集の三巻を読みふけりまし た。この曲集は旧友と再会の機会を与えてくれただけに、わたしには価値の高いものです。わたしは愛らしい低地オーストリアの詩に出てくる「ナツ」の母親 そっくりだからです。彼女は先立った人たちに会いたくて天国に召されることを待ち望んでいます。「みんな一目でわたしたちがわかってくれるし、ナツがなか でも一番綺麗な子です。」ええ、わたしは彼らを見て知っていますし、知り尽くしています。うわべだけ知っていた曲については知識を新たにしました。そこそ この知り合いたちは確信を持って話しかけてきます。たとえば、「夜に彷徨う者の歌(Nachtwandlerlied )」(2)のように。この曲はわたしにその姿を現し始めました。わたしはとりわけ、最後の「満月の光に酔いしれるように(Wie von Licht des Vollmonds trunken)」が好きです。ト音での美しく、忍びやかな伴奏と音声部のクレッシェンド、それから 「彼を呼び覚ます口に禍あれ(Weh den Lippen, die ihn riefen)」での音楽の盛り上がりと最初のパートの64音形への沈み込み方、これがこの忘れられない歌になされたもののようです。完璧な単純性と結びついた全体の豊かさ、わたしはこれが好きです。 一方わたしは、「野の寂しさ(Feldeinsamkeit )」(3)に飽くなき愛着を持っています。最初のメロディーが浮かんだときどんなにか心を踊らせたことでしょう。その完璧なピッチでわたしたちをたちまち虜にし、わたしたちの耳を魅了し、温かく、柔らかい流れに浸します。’tief Traumen’ でのニ短調への愛らしい転調ではどんなにか浮かれたことでしょう。――これらのささやかな名人芸を楽しまれたと思います――ハ長調に戻るのが早すぎて、愛撫が名残惜しい気がしました。以前よりも「死への憧れ(Todessehner )」が好きになりました。でも音声部のジグザグした稲妻のような性格のために、「沈めるさま(Versunken )」(4)には入りたい気がしません。作品85で古き良き時代に戻してくれますし、装いを新たにした懐かしい歌を眺めては、ペルチャッハで(あなたがもうそこにはいないのが残念無念。ここからすぐに行けたのに)引き出しをこっそり調べたことを思い出します。「森の静寂(Waldeinsamkeit )」(5)は そう毎日は得られない霊感でしょう。――三巻中、最高の作品ではないでしょうか。――無意識に息を止めて聴き入るような曲です。傑作です。高揚した感情に 溢れながら、表現は人間的であり、深い個人体験から生まれたものです。涙なくして聴く人はもう完全に手遅れです。一声か二声のための小品 ad libitum が可愛い口紅(6)がつくことでは一番の曲です。なんと無邪気なのでしょう。子供たち――しつけの良い子供たち、たとえばシューベルトかベートーベンの――の顔をのぞき込むような感じです。「夏の夕べ(Sommerabend )」(7)の母親のメロディーとその繰り返しほど愛らしく、上品なのは想像もつきません。このパーツの終わり方は独創的です。わたしは小さなタッチごとに喜びました。まるで昔の綺麗な銅版画――たとえばディートリッヒ(8)の――みたいです。彼の作品では技術と自然な感情が渾然一体になっています。おそらく「いちご畑で(Beerenlied )」(9)はさらに愛すべき作品です。明るくてのんびりした嬰ホ短調(嬰ニ音がついたカメレオンのような調子、最初は困惑しました)への転調、それにロ長調に寄っていく穏やかな方法。また嬉しいことに、繊細な八分音符が「最愛の」が最初に出てくるところで付加され、魅力的に延ばされ、つぎに「熟れた赤いキス」に合うように付加されて、突然自信を持って輝かしい嬰ホ長調に復帰します。特権を持った名人のみが、飛んでいる美しい鹿のように、 実際の動きを感じさせないでわたしたちを全速力で運んでくれます。しなやかに走れない人の場合、わたしたちは無惨にも喘ぎ、大きく息をすることになります。「緊張(Spannung )」(10)は不思議に感動的でした。「私の天使、答えておくれ(Du sollst mir Antwort geben, mein Engel)」は切迫感があり、甘く説得的でした。この歌詞――それと美しく声の優しい結合――は非常に美しく、わたしの思い通りでした。そしていつものように、最後に心から感謝いたします。なぜならば、これは心に響き、人生を価値あるものにする作品ではないでしょうか。 今年の夏は書きたくないみたいですが、短いお手紙を頂けませんか。あなたが何をしてみえるのか知りたいのです。それとも二台のストーブを愛用されておられるのでしょうか。なんといい天気が続くのでしょう。日陰でも22度がずっと続くので、わたしはまったく元気がありません。わたしは勇敢にもこの暑さを無視することで生きています。一日6時間イタリア語でなぐり書きしています。ついにわたしは、あなたの例(11)に 倣って、この残酷なまでに美しい言語に精を出しています。誰もが仰ぎ見て頂上にたどり着くことを念願しますが、梯子の下の所でまごついています。それで も、少しトスカナの格言を憶えました。その一つを引用します。ネタになり、歌曲集への感謝と称しながら、かしましい手紙になってしまったお詫びのしるしです。Le parole sono feminine e I fatti sono maschi! (12)
さて、さようならを言いますが、お願いが一つあります。お手紙を下さるとき、お気の毒なファーベルさんの件にもふれてください。七月の終わりにウィーンでお目にかかったときはぞっとしました。わたしが思っていた以上に悪い状態でした。あなたの感想とビルロートの報告が知りたいのです。
可哀想に。こんなに弱った彼を見て心が痛みました。わたしたちが見たときの恐怖を感じていないことを希望します。あいにく(13)サンモリッツからはニュースはありません。 それではさようなら。わたしたちは八月一日までここにいます。その後、わたしたちはティロルでのんびりしてから、ヴェニスには時間をかけて行きます。リドが慈悲深いといいのですが。母の手紙では、全然暑くはないそうです。ハインツは手紙をいろいろ書いています。出版された雅歌(14)を送っています。二人ともこの曲が気に入っています。 いつまでも感謝を忘れぬあなたの忠実なE. ヘルツォーゲンベルクより (1) 3巻の歌曲集の最後が作品86である。 (2) 「夜に彷徨う者」、作品86第3曲。 (3) 作品86第2曲。 (4) 作品86第5曲。 (5) 作品84第6曲。。 (6) 「ロマンスと歌」作品84。 (7) 作品84第1曲。 (8) C.W.ディートリッヒ、18世紀の画家で銅版画家。 (9)「いちご畑で」作品84第2曲。 (10) 作品84第5曲。 (11) ブラームスはイタリア旅行にそなえてイタリア語を習っていた。 (12) ジュゼッペ・ジュスティーの Raccolta di proverbi Toscani 126ページ。「(イタリア語では)話は女性名詞、行いは男性名詞」。正確には、Le parole son feminine e I fatti son maschi! (13) アルトゥール・ファーベル、彼らの共通の友人。重病であった。 (14) 混声合唱のためのア・カペラ、詩篇116、作品34。 1882年7月の夏休み、ヘルツォーゲンベルク夫妻はハインリッヒの出身地オーストリアのグらーツに里帰りした。 |

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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



