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「今日の詩」は選者が数日前に送ってきた ” The Ecstasy” ものである。選者は度々ジョン・ダンの詩を送ってくるが、読みかけて途中で投げ出した詩がまだ残っている。数日前のジョン・ダンの詩というのは私としては記録的な速さかもしれない。それだけに怪しげな箇所がある。邦題からして「夢中」というのも釈然とはしない。これは彼の恋愛詩の分野に属する詩なのだろうか。多分に教訓的であり、お説教の上手だった彼の資質を窺われる。 The Ecstasy WHERE, like a pillow on a bed, A pregnant bank swell'd up, to rest The violet's reclining head, Sat we two, one another's best. By a fast balm which thence did spring; Our eye-beams twisted, and did thread Our eyes upon one double string. So to engraft our hands, as yet Was all the means to make us one; And pictures in our eyes to get Was all our propagation. As 'twixt two equal armies Fate Suspends uncertain victory, Our souls―which to advance their state Were gone out―hung 'twixt her and me. And whilst our souls negotiate there, We like sepulchral statues lay; All day the same our postures were, And we said nothing, all the day. John Donne 夢中 ベッドの枕かのように 孕んだ堤が盛り上がり 菫の頭が凭れるように 二人は持ちつ持たれつ。 素早く逃げ行く香料が 二人の手をかたく結び 眼の光は巻かれ、眼を 通り、撚った糸となる。 手を手に接木するのが 二人を一つにする方法。 互いの眼に像を描けば 心と心はともに通ずる。 両軍力が拮抗し運命が 勝利を決断しないとき どちらかが進みよれば 二人の間は打ち解ける。 二人が交渉し始めると 二人とも墓石像になり おなじ姿勢で横になり 一日中沈黙を守るだけ。 ジョン・ダン Photo by inkognitoh @flickr
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2007年10月28日
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今日のトム・トムスンの絵は “Northern Light” である。私はカナダに滞在したが、オーロラを見損なった。チャンスはあったのである。新聞にその予報が出ていたことを後で知った。私はカナダにいながら英字新聞の記事を見落とした。 詩人は今日で最後のユードレ・エヴァンチュールの “Au Collège” 邦題は投げやりかもしれないが「早逝した神学生へ」にしていた。聖職者になうためにケベックで修行していた若者を追悼するものである。「同級生」でも「同窓生」でもない。母国フランスを離れ、迫害を受けながら、ケベックという孤立した地域に閉じ込められた人々を支えた神への絶対的帰依。これは外国で生活して見聞から理解できることである。 Au Collège Il mourut en avril, à la fin du carême. C'était un grand garçon, un peu maigre et très blême, Qui servait à la messe et chantait au salut. On en eût fait un prêtre, un jour: c'était le but ; Du moins, on en parlait souvent au réfectoire. Il conservait le tiers de ses points en histoire, Et lisait couramment le grec et le latin. C'était lui qui sonnait le premier, le matin, La cloche du réveil en allant à l'église. Les trous de son habit laissaient voir sa chemise, Qu'il prenait soin toujours de cacher au dortoir. On ne le voyait pas comme un autre au parloir, Pas même le dimanche après le saint office. Ce garçon n'avait point pour deux sous de malice, Seulement, à l'étude, il dormait sur son banc. Le maître descendait le réveiller, souvent, Et le poussait longtemps - ce qui nous faisait rire. Sa main tremblait toujours, quand il voulait écrire. Le soir, il lui venait du rouge sur les yeux. Les malins le bernaient et s'en moquaient entre eux ; Alors, il préférait laisser dire et se taire. L'on n'aurait, j'en suis sûr, jamais su le mystère, Si son voisin de lit n'eût avoué, sans bruit, Qu'il toussait et crachait du sang toute la nuit. Eudore EVANTUREL (1854-1919) 死せる若者へ 彼は四月にレントの最後に死亡した。 彼は痩せて青白いが立派な若者であり ミサでは侍者を務め、救済では歌った。 いずれは聖職者になるばずであったが。 少なくとも彼の話は食堂では出てきた。 彼は歴史では三番の成績を取っており ギリシャ語とラテン語はらくに読めた。 朝になれば真っ先に教会に駆けつけて 目覚ましの鐘を鳴らしたのは彼だった。 彼のシャツには穴が空いてものだから いつでも心がけて寄宿舎で隠していた。 彼が人と話しをするのを見なかったし 聖なる儀式の後の日曜でもそうだった。 若者は故意に人の邪魔をすることなく ただ一人勉強して彼の長椅子で眠った。 院長が彼を起こしに来ることがあって 長い時間勉強させ ― みなを笑わせた。 彼が書こうとするといつも手が振るえ 夜になると目が充血で赤くなっていた。 悪い連中が彼を馬鹿にしてからかった。 それでも彼は沈黙して本を読み続けた。 誰しも、僕も謎に気付かなかったはず 同室の仲間がそっと打ち明けなければ 彼は一晩中咳き込んでは喀血していた。 ユードル・エヴァンチュール
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今日のドイツ語の詩もシュタットラーである。グーテンベルクで偶々見つけた "An die Schönheit" 。邦題を「美しきものへ」にした。これまで彼の眩いほどの鮮明な詩を訳してきたが、今日の詩は彼として暗いほうである。それでも大都市ベルリンの表現主義の詩人たちの絶望的な暗さではない。輝きが薄れて行く束の間の過程を描写しているのである。 An die Schönheit So sind wir deinen Wundern nachgegangen wie Kinder• die vom Sonnenleuchten trunken• ein Lächeln um den Mund• voll süßem Bangen und ganz im Strudel goldnen Lichts versunken• aus dämmergrauen Abendtoren liefen. Fern ist im Rauch die große Stadt ertrunken• kühl schauernd steigt die Nacht aus braunen Tiefen. Nun legen zitternd sie die heißen Wangen an feuchte Blätter• die von Dunkel triefen• und ihre Hände tasten voll Verlangen auf zu dem letzten Sommertagsgefunkel• das hinter roten Wäldern hingegangen – – ihr leises Weinen schwimmt und stirbt im Dunkel. Ernst Stadler 美しきものへ 汝の神秘を追い求めた我らは まるで夏の日光に酔った子供 快い畏敬で笑みを口に浮かべ 薄暗い灰色の門から飛び出て 黄金の光の渦に呑み込まれた。 彼方の大都市は煙に包まれて 夜は冷気に凍えて深遠に昇る。 夜は暗闇より滴る濡れ落葉に 震えつつもその熱き頬を寄せ その手がまさぐるのは夏の日 最後の煌めきを求めんがため それは赤き森の彼方へと去り ― 汝の静かな嘆きは闇に消えて。 シュタットラー Photo by amazing_podgirl @flickr
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173.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ ベルリン W、1885年10月26日 親愛なる友へ わたしがドレスデン――当分こちらを留守にするフィレンツェの人たち(1)と別れを惜しんで来ました――から昨日戻ってきましたら、大歓迎のあなたの小包(2)が 待っていました。ハインツは嬉しい小包がとってあるよといいましたが、何かは言いませんでした。今日まで待てなかったものですから、寝る前に彼がピアノ編 曲を見せてくれたときのわたしの喜びを想像してください。「ブラームスさんに感謝の手紙を書きましたか」とたずねると、彼は「いや、だって君が日曜日に 帰ってくることになっていたから」と言いました。これが事実です。わたしはそこに泊まって、いたいけな幼子たち(3)を助けなければなりませんでした。あなたが幸せにしたヘルツォーゲンベルク家からの感謝を受けるにはさらに一日かかります。 ハインリッヒはあなたの原稿に夢中になっていまして、フィナーレの素晴らしい説明をしてくれましらが、わたしが見たものとはまったく違うものであることを 納得しました。彼は今朝すぐに教室に行かなければなりませんので、わたしたちは夕食の後ピアノに向かい一つの楽器で好意と一致した目的でなせることを確か めます。あいにく、ぼろのピアノを Bachverein に置いてきましたので、新しいピアノが入るまで一日か二日かかります。最悪の場合でもわたしは、モーツァルトがバッハのカンタータでしたみたいに、床に座って二つのパートを憶えることができます(4)。 耳が赤くなるというおとぎ話が本当なら、二人のヘルツォーゲンベルクがあなたの賛美を歌って感謝の気持ちを表したとき、あなたの耳はずいぶん赤くなったこ とでしょう。あなたの友情の証を知り嬉しかったのです。あなたはわたしにはこれ以上のものはないと思われたことは明らかです。でもいつオーケストラで聴く ことになるのでしょう。 差し支えなければお願いしたいのですが、それをヨアヒムに送っていただけませんか。なんといっても彼のあなたへの傾倒は誰にもひけをとりませし、中途半端 でも柔弱なものでもありません。最近は原則になってきた趣味の多様性ではなく、芸術的な信念と趣味を持った数少ない一人です。B__にはあいにく新作が赤 い布が牛を惹きつけるみたいに魅力的なようです。どの方向から風が吹こうが彼には関係ありません。ブラームスだろうが、ブルックナー、ドボルザーク、チャ イコフスキーなんでも良いのです。わたしがよく言いますけど、つぎに最悪のもので満足したら、せっかく最善のもので高められても何になるのでしょうか。し かしこの考えは時代遅れです。わたしたちの信念は成熟した、強い信仰心に基づいていますが、「偏狭かつ頑迷」として片付けられます。一方では、声をかけた 後の哀れみによる微笑みは「われわれは広い視野を持っている」を意味することになります。これは非常に腹の立つものです。 でもわたしは、この「広さ」(皮相的に臆病と混同して解釈さています)の痕跡をヨアヒムには見出せません。わたしはヨアヒムを真のブラームス愛好者に数えています。みじんも知性を持ち合わせなくて、情けないほど多くの連中が流行というだけでそれに従いますが、これとは違います。あのワーグナー屋(5)があなたを支持するようになってから、その数は増えたことはご存じでしょう。 わたしはB.の例のコンチェルトの弾き方をどう思われるか関心があります。彼の芸当、彼の誇張されたトレモロとグリッサンド 、哀愁的効果を出すために惜しげもなく使う方法はかなりはっきりしています。 これがなければ、彼のような真の才能のある音楽家の演奏を楽しめるはずですが、これでは台無しです。彼はライプツィッヒでは以前から崇拝されてきました。 ベルンスドルフ以外に警告する人はいないのですが、彼の叱責はいっそう罪人の立場を良くするみたいです。あなたが彼に優しく注意してくださればと思いま す。彼はその成果が分かる人です。 ここで止めなくては。あなたにはマイニンゲンで手紙を読む時間がありませんものね。わたしはそんな美しく真面目に実行されるリハーサルを聴きにぜひそちらに行きたいものです。テーマを全音符で聴く、それにハ音と変イ音の戯れ(6)を聴くためなら何でも犠牲にできるのですが。 最初にそれを、第一楽章を聴いた印象はいかがでした。すべてがうまく行きましたか。――第一主題が木管の八分音符の伴奏で戻ってくるところ(7)、それに嬰ト短調(展開部の) (8)の切分された楽節はどうでした。ねえどうか教えてください。多様な間奏が読んだときのように聞いても判りましたか。――あなたはきちんと第二主題(9)と上手くつながりましたか。あなたは感情の誇示を悔いて、できる限り「むきになった( fast zu Ernst ) (10)」思いつきを覆うために、付点四分音符(11)を挿入したのは急ぎすぎとは思いませんでしたか。いつもこれが不満の一つになると思います。 それから、謙虚にもうしあげますが、ホ短調で明らかな第一主題の復帰は、 (誰もが第一主題の繰り返しを期待しますが、あなたはフリッチゥ(12)に気兼ねしてその誘惑に抵抗したので) 騒 がしくて、第一主題が実際に登場したときのホ短調の効果を弱めます。ハインリッヒとわたしはそのことで言い合いになってきました。わたしが彼に聴かせていて、ここに来ると彼は決まって言います。「そこは君の間違いだ。ブラームスはホ短調をそんなに早く導入はしない。」もちろん、わたしの記憶では正しいと主張します。わたしはハーモニーではめったに記憶違いはないのです。「わたしはホ短調でなければと思うけど」と言います。「でもそれは間違いありません。」 嬰へ音で半休止のすぐ後でこのように進行して行きますでしょう。 {楽譜挿入}(13) その後主題が全奏で入ってきます。 そこでさらに洗練された転調を試みて、ホ調にいっそう至福の力強い効果でそれを導入することを考えてはみませんか。わたしがザクセン人なら、「黙って考えて ご覧なさい」と言うところです。あなたの変わらぬ親切心と忍耐力を確信し、わたしは率直にあらゆることで再度さらに再度あなたに感謝いたします。ほかの楽 章を知りましたら、それに鮮やかに対位して喜びの口笛を吹いて見せます。 でも葉書を書いてください。でないと、あなたがまた怒ったと思いますから。 それと当地ではいつお会いできると考えてよいのでしょうか。ウィーンにあなたが戻ったら、よろしければすぐにもハインツの新しい歌曲を送らせていただきま す。彼はそういつもご迷惑をおかけしたくないのですが、「フリージアン」という歌があり、わたしはとくに気に入っています。 もし不適切でないと考えられたら、お仲間――友人少なくとも伯爵夫人にわたしの尊敬をお届けください。彼女はエルテル療法(14)を薦めてくださって感謝しています。おかげでわたしは一流走者になりました。 大変誠実なあなたのE.H.より (1) 彼女の両親と姉。 (2) 書簡171。 (3) 彼女の家族。 (4) モーツアルトが1789年にライプツィッヒに滞在していたとき、トマス合唱団がバッハのカンタータ「主のために新しき歌を歌え(Singet dem herrn ein neues lied)の演奏を聴いた。バッハのカンタータのコレクションがすべてあるが、完全な総譜がないことを知り、パートを集め、周りに広げて、完全に覚えるまでその場を離れようとはしなかった。 (5) フリッチュのこと。彼の発行する Musikalische Wochenblatt はワーグナーを強く支持した。 (6) ホ短調交響曲の総譜、20ページ第8小節。 (7) 5ページ第12小節。 (8) 18ページ第8小節。 (9) 8ページ第5小節。 (10) 10ページ第3小節。 (11) シューマンの「子供の情景(Kinderszenen)」の10番の題。 (12) Musikalisches Wochenblatt は古典的なソナタ楽章、特に最初の部分の繰り返しの拒否に関する議論を抑えてきた。 (13) 総譜、13ページ第5小節。 (14) エルテル法とは心臓病の治療法である。
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



