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「今日の詩」はエミリー・ディキンソンの ”These are the signs to Nature's inn’s” である。邦訳を「自然の宿泊所の標」とした。 相変わらずのエミリー調である。自然は宿屋のように看板を出し、全ての人をもてなす、という話である。 見るべき技巧としては第3詩節の For sureties of her staunch estate, の外韻である。 [Sureties, staunch, estate] このうち estate は二通りの発音があり、”e” を有声にする場合と無声にする場合がある。彼女は無声を採用したのだろう。音にこだわる彼女としてはほっとしたのであろう。 日本語でこのような西洋的な表現の形式化の試みがあったとは聞くが、どの程度の成果を上げたのかは知らない。日本語には日本語の形式がある。しかし、訳文となると、内容を説明しながら、ある程度は原詩の形式感も表現できたらとは思う。今日は悪趣味だとは思いながら、子音を揃えたり、原文の長さを訳文に反映させたりしてみた。あくまでも実験段階である。 These are the signs to Nature's inn’s These are the signs to Nature's inns, Her invitation broad To whomsoever famishing To taste her mystic bread. These are the rites of Nature's house, The hospitality That opens with an equal width To beggar and to bee. For sureties of her staunch estate, Her undecaying cheer, The purple in the East is set And in the North, the star. Emily Dickinson 自然の宿泊所の標 自然の宿泊所の標− 上も下もなく 飢える人にすすめる 神秘の食− 歓待するのが慣習 自然の施設 来たる者は拒まず 浮浪者も蜂も 自然の資力の証明 いつも愛想いい 紅は東方を飾り 星は北方を ― エミリー・ディキンソン
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2007年11月13日
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今日のネリガンはある古い教会(フィクションであろうが)で見たディプティック(両開きの祭壇画)の神聖なる絵を解説する。幼子イェスが百合の花を聖母マリアに差し出すという平凡な題材の絵でもネリガンは上手く処理したであろう。だが今日のネリガンの幼子イェスは「お手伝い」をする感心な子供を通り越して、人類の贖罪のために生を受けた使命を果たすべく、辛い労働に励んでいる。早熟なネリガンのように気負った幼子イェスである。 もちろんこの詩に相応しい絵を知らない。不勉強だが、フランドルの画家にそんな絵があるとは思えない。労働と関係しているイェスというとついラファエル前派のミレイ Millais (1829 – 1896)の聖家族の絵を思い出してしまう。この絵ですらイエスは幸福そうである。 Diptyque En une très vieille chapelle Je sais un diptyque flamand Où Jésus, près de sa maman, Creuse le sable avec sa pelle. Non peint par Rubens ou Memling, Mais digne de leurs galeries ; La Vierge, en blanches draperies, Au rouet blanc file son lin. La pelle verdelette peinte Scintille aux mains grêles de Dieu ; Le soleil brûle un rouge adieu Là-bas, devers Sion la sainte. Le jeune enfant devant la hutte Du charpentier de Nazareth Entasse un amas qu'on dirait Etre l'assise d'une butte. Jésus en jouant s'est sali ; Ses doigts sont tachetés de boue, Et le travail sur chaque joue, A mis comme un rayon pâli. Quelle est cette tâche sévère Que Jésus si précoce apprit ? Posait-il donc en son esprit Les bases d'un futur Calvaire ? Emile NELLIGAN (1879-1941) ディプティック すごく古い教会で僕が見た フランドルのディプティック イェスがお母さんのそばで シャベルで砂を掘っていた。 ルーベンスやメムリンクの 作品でないのに合っていた。 処女マリアは白い衣を着て 糸車回しイェスの麻を紡ぐ。 うす緑で描かれたシャベル 主のか細い両手に光り輝く。 別れ告げる太陽は赤く燃え シオンの山の手前には聖母。 幼子のイェスはナザレトの 大工の仕事場の小屋の前 まるで丘のように積み上げ その小山の上に座っている。 イェスは遊んで汚れている。 彼の指には泥がついている そして両方の頬から疲労が 青白い光のように出ている。 こんな厳しい疲れの跡とは? 幼子イェスは何を習うのか? こうまでしてイェスは未来の ゴルゴダの丘を築くつもりか? エミール・ネリガン
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今日のドイツの詩はデーメルの最初の奥さんで、デーメルの子供を三人も生んでから、ようやくデーメルと正式に結婚したパウラ・デーメルの詩「贈り物」である。デーメルには愛人が出来、パウラはしぶしぶ彼との離婚に同意したとウィキペディアにある。それでも二人の文学上の協力関係は続いたそうである。 デーメルの詩を読んでシェーンベルクが作曲した「清められた夜」の解説だと、男が不貞で妊娠した女を寛容にも許すという筋だったと記憶する。リヒアルト・デーメルとパウラとの関係では、不貞を働いたのはリヒアルトであり、寛容なのはパウラである。 おそらく贈り物はリヒアルト・デーメルへのものであろう。後半微妙な表現がある。一方的な愛ではないかという不安なのか。 Widmung Klänge wachsen auf den Wegen, Im Gebüsch, im jungen Grün: Alle meine Melodien Möchte ich mit leisem Segen Abends auf dein Kissen legen. Wilde Blumen, seltne Früchte: Was der reife Sommer bringt, Möcht' ich in dein Zimmer tragen; Sollst mir keine Antwort sagen. Still! - der Traum versinkt - verklingt Paula Dehmel 贈り物 音は途中で大きくなり 藪の中で、新緑の中で すべて私のメロディー 夕べには喜ばれながら 汝の枕で横になりたい。 野生の花、珍しき果実。 豊かな夏がもたらす物 汝の室に運び入れたい。 返答が無ければ。まだ!― 夢は消え ― 途絶える。 パウラ・デーメル
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189.ブラームスからヘルツォーゲンベルクへ [ウィーン、1886年10月] 親愛なるともへ あなたとヨアヒムはここに同封物にかなり関心を持たれ、喜ばれるものと思っております。これはシューマンの当初の楽想で印刷されたニ短調交響曲のスコアを編集したものです。彼は謙遜して、ほんの下書きであると言っていますが、これは正しくないと思います。あなたはもちろん状況はおわかりでしょう。至って単純なことです。 シューマンは最初のリハーサルの出来が悪くて動揺した結果、質の悪い不完全なオーケストラに慣れていた、このデュッセルドルフで管弦楽法を改めたのです。 私は最初のスコアにずっと惹かれてきました。明るく自然なものがゆとりと優雅に対応しているのを見るのは本当に楽しいものです。私はこれを見て、モーツアルトのト短調を(ほかの点では比較しません)思い起こします。そのスコアも私は持っています。すべてがきわめて自然であり、その違いには気付かれないでしょう。あじけない色調もわざとらしい効果もな い、等々。一方では、改訂版を聴いてみるとまざりけがないとはいえないと思いませんか。目と耳には矛盾が生じるように思えます。 私が指摘したいのは、20頁(ホルン)、25頁、30頁、128−9頁(バイオリンとコントラバス)、141−2(第一と第二バイオリン)、148−9頁,163−4頁です。この曲は冗漫ではありますが、どの頁も楽しめるものです。 マイニンゲンの四重奏が頼りになっていたら、以前にそこで試していたでしょう。ヨアヒムは弦楽で苦労しているのでしょうか。 さて質問ですが、オリジナル・スコアを出版するという私の考えに同意していただけますでしょうか。その場合には責任を持っていただけますか。この写しは私のものではないのでできる限り早く送り返してください。 私はあなたが送っていただいた小包には手短に――新たに羽ペンを切る必要があります――お礼申し上げます。しかし、私はハウスマンの演奏を今か今かと期待していますし、とくに、最初の2頁の削除を希望はしますが、フィナーレ(1)の多くの箇所を早く聴いてみたいと思っています。 奥様によろしく。近々返事を頂戴したいと存じます。 あなたのJ.Br.より
(1) たぶんヘルツォーゲンベルクの「チェロ・ソナタ」作品52の最終楽章であろう。この曲はハウスマンに献呈された。 |

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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



