ヘ短調作品34

ルブランの回想録の link 先はゲストブックを御覧ください。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

今日のエミール・ネリガンは “La Sorella dell' amore” 「愛のソレラ」である。死んだ少女を悼む彼の定番の一つであり、きれいなソネット形式に治まっている。今回もギリシャ神話に詳しくない私には初耳の言葉が二つも出てきた。それを調べて注釈をつけるのは後日にして一先ず投稿することにした。

絵はダンテ・ガブリエル・ロゼッティの「グリーン・スリーブス」である。今日の詩とは何の関係もない。ちょっと目にとまっただけである。

La Sorella dell' amore

Mort, que fais-tu, dis-nous, de tous ces beaux troph??es
De vierges que nos feux br??lent sur tes autels ?
R??ponds, quand serons-nous pour jamais immortels
Aux lumineux s??jours des c??lestes Riph??es ?

J'eus v??cu l'Id??al. Au paradis des F??es
Elle ??tait !... Je ne sais, mais elle avait de tels
Yeux que j'y voyais poindre, aux soirs, de grands castels
Massifs d'orgueil parmi des parcs et des nymph??es...

Ma ch??re, il est vespr??e, allons par bois, viens-t'en,
Nous suivrons tous les deux le chemin brut et rude
Que tu sais adjoignant la chapelle d'Antan.

Ma voix t'appelle, ?? soeur ! mais ta voix d'or m'??lude,
Lucile est morte hier, et je sanglote, ??tant
Comme une cloche vaine en une solitude.

Emile NELLIGAN (1879-1941)


愛のソレラ

死よ、語れ、汝の祭壇に僕らは炎を燃やす
汝の美しき戦利品の乙女に何をにしたるか?
答えるべし、限りある命の僕らがいずれは
リフェーの国を栄光の住処にするはいつか?

僕は理想を体験した。妖精の楽園で過ごす
彼女!...僕は気付かなかったが、日が暮れて
彼女の目に写ったのはニンフたちと庭園に
囲まれた大きな邸宅の自慢の茂みだった。

わが愛する乙女よ、夕暮だ、森に行こうよ
僕らともに歩もう。寂しくて、野蛮な道を
君も知っている昔のチャペルにつながる道。

僕の妹よ!僕は君を呼ぶが、君の声は届かず
ルシールはここで死に、僕はすすり泣いて
まるで、空しく、寂しく鳴り響く鐘のよう。

エミール・ネリガン

国王 -- リルケ

イメージ 1

今日のリルケの詩は "Der König" 「国王」である。この詩はルイ16世の悲劇の人生を語った詩である。彼はルイ15世の孫であり、長男でもなかった。ルイ15世が意外に長生きし、父親と兄を相次いで失った。彼の望むところではなかったが、一躍皇太子になった。このことを第一詩節で語っている。彼は先代、先々代のツケを払わされることになる。これが第二詩節で語られる。彼は「死刑の判決」に躊躇する70票でなかなか「死刑」にならなかったが、一票の差で「死刑の判決」が下ることになった。この過程が際三詩節と第四詩節で語られる。

なお、第二詩節の冒頭に "Greisen" というのがよく分からなかった。グライゼンという石があるが、これが王宮に相応しい石なのかどうか?とりあえずグライゼンとしておいた。普通の辞書では「白髪」とか、「老人」を含意する。

絵はルイ16世が20歳の頃の肖像画である。


Der König

Der König ist sechzehn Jahre alt.
Sechzehn Jahre und schon der Staat.
Er schaut, wie aus einem Hinterhalt,

vorbei an den Greisen vom Rat
in den Saal hinein und irgendwo hin
und fühlt vielleicht nur dies:
an dem schmalen langen harten Kinn
die kalte Kette vom Vlies.

Das Todesurteil vor ihm bleibt
lang ohne Namenszug.
Und sie denken: wie er sich quält.

Sie wüßten, kennten sie ihn genug,
daß er nur langsam bis siebzig zählt
eh er es unterschreibt.

Rainer Maria Rilke


国王

国王は年齢十六歳である。
十六年間の歳月と国家が。
彼は待ち伏せの場所から

会議後グライゼンを通り
広間を覗き、目を向けて
おそらくはこう感じたろう。
細く長い顎に付いている
綿毛で編んだ、冷たい鎖。

彼の死刑の判決は長い間
署名されないままであった。
人々は彼が傷つくと考えた。

人々は彼を充分知り尽くし
署名が遂に七十に達っして
死刑の判決は署名された。

リルケ

イメージ 1

220.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ

ミュンヘン、1888年3月25日

 親愛なる友へ

 こちらの外科の大家、アンゲレル教授の診察があることについてはもうお話ししました。月曜日の夜に行われました。アンゲレル教授の判決は以下の通りです。外科的手段によってのみ――包帯とかの緩慢な治療や強制的な索引法(prisma forci)ではなく、彼らが好んで呼ぶところの切除法で――治癒可能である。彼によれば、膝は深刻な状態であり、膝蓋骨(patella)が部分的に破損しており、要するに、他の方法による治癒は完全に手遅れであり、根本的方法が採用される必要があるのです。わたしがどんな気持ちだったか想像できますでしょう。でもアンゲレルは確信を持って彼の見解を述べ、結果に関して確実に保証してくれましたので、わたしはハインリッヒを説得する勇気がでました。説得はほとんど必要ではありませんでした。ほんの少しの間いじらしく煩悶したようですが、医師が翌朝来たときに彼は同意しました。金曜日の朝8:30彼らは総勢4人で哀れな子羊を屠殺しにやってきました。応接室が手術室になりました。彼を眠らせる時にはわたしはその部屋にいましたが、彼らは彼を連れだし、わたしは拷問室の入り口から中に入ることを許されませんでした。妻は一人残されてそれに耐えなければなりませんでした。

 それから不思議な事が起こりました。わたしは手術が二、三時間は続くものと覚悟しておりました。45分で別の部屋から何の音もせず、いよいよ彼らはこれから真に恐ろしいことを準備していると思っていました。そのとき突然(9:30)ドアが開き、医師団は彼をきちんと包帯して連れ戻したのです。何か恐ろしいことが起こって手術が中断されたに違いないと思いこみ、ぞっとする恐怖を感じました。でもありがたや。すべて順調に終わったのです。ハインリッヒはベッドの上で次第に意識が戻りました。彼がちょっと退室していた医師を呼びました。わたしが彼にすべて順調に早く終わったから安心していいのよと言いますと、この哀れな人は「えっ、終わったの」と叫びました。わたしが保証するとどっとうれし涙を流しました。ねえ、こんな瞬間に人がどう感ずるかは想像できますでしょう。これですべての災難と心痛を埋め合わせてくれました。このおかげで貴重な体験をしたのです。

 アンゲレルは、手術により、行動に必要なものは直したと断言しました。膝蓋骨が最悪の壊死の状態だったそうです。関節はきちんとはまらなかったので、膝頭の一部も除去されました。ようするに足は元通りにはならないのです。傷口が完全に治れば、足は少し短くなるが、完全に真っ直ぐになります。堅くなることは避けられないのです。でもこの程度の障害は人間を謙虚にします。わたしたちはこれすら感謝しました。ハインリッヒの手術後の経過はおどろくほど良好です。彼の心臓と胃は機能を充分に果たし、彼の快復に役立っています。ほとんど熱もなく医師団は満足しています。ビルロートに話してください。医師団がどう切除したかわたしより彼の方がよく説明できるでしょう。関節はガットで縫合しましたが、徐々に吸収されています。これはハインツのちょっとした慰めになっています。彼からよろしくとのことです。あなたの歌(1)はこれまで彼の非常な楽しみでした。他の曲をすぐに送ってください。歌詞はどこから(2)取ったのか教えてください。旋律の流れはハンガリー風というよりボヘミア・ドボルザーク風なので驚きました。

 エプシュタインにニュースを伝えてください。フラウ・フランツにも、ファーベル家にも。

いつも傾倒するあなたのE.ヘルツォーゲンベルクより







(1)「ジプシーの歌」。

(2)歌詞はハンガリー民謡で、フーゴー・コンラト(Hugo Conrat)がドイツ語の韻をつけて訳した。彼の家はウィーンにあり、ブラームスは当時よく訪問した。コンラトの歌詞のついた原曲はブタペストで「ハンガリーの愛の歌:声のための25のハンガリー民謡(Ungarische Liebeslieder:25 ungarische Volkslieder f??r mittlere Stimme)」としてゾルタン・ナジ(Zoltan Nagy)のピアノ伴奏で発表された。

全1ページ

[1]


.
fminorop34
fminorop34
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事