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今日のエミール・ネリガンは敬虔である。キリストの最後の晩餐にちなんで、キリストの肉である聖なるパンを頂きにひざまずく女の子たちに感動して、天使のようと書いた。宗教に関しては、フランスよりもフランス的なケベックならではの光景である。 写真は初聖体を拝領するカトリック教徒の女の子である。 Les communiantes Calmes, elles s'en vont, défilant aux allées De la chapelle en fleurs, et je les suis des yeux, Religieusement joignant mes doigts pieux, Plein de l'ardent regret des ferveurs en allées. Voici qu'elles se sont toutes agenouillées Au mystique repas qui leur descend des cieux, Devant l'autel piqué de flamboiements joyeux Et d'une floraison de fleurs immaculées. Leur séraphique ardeur fut si lente à finir Que tout à l'heure encore, à les voir revenir De l'agape céleste au divin réfectoire, Je crus qu'elles allaient vraiment prendre l'essor, Comme si, se glissant sous leurs voiles de gloire, Un ange leur avait posé des ailes d'or. Emile NELLIGAN (1879-1941) 聖体拝領 僕は彼女たちが花々で飾られた 通路に静かに進むのを見詰めた。 厳粛に信心深く指を組み合わせ 僕の心は激しい改悛でいっぱい。 そして彼女たちはみな天国から 下された神秘の食事を頂くため 絢爛たる輝きと純潔の花飾りで 満たされた祭壇の前に膝まずく。 彼女たちの天使の情熱のせいで 終了が遅れ、神の食堂の天国の 愛の恵みから戻るのはたった今。 僕は彼女たちが本当に飛んだと 信じ、栄光の翼で飛び、天使が 黄金の翼で連れ戻したかのよう。 エミール・ネリガン
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2007年12月16日
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今日のリルケの詩は “Todes-Erfahrung” 「死の体験」である。難解であるがゆえに必死に読んだのかもしれない。誤解があるだろう。私の思い描いた内容は: 彼が扱ったのは臨死体験ではなく、「我々」すなわち「詩人」とか「文学者」と称する特殊な人種である。自分が属する人種を否定的に描いており、自分自身を否定するような皮肉な観点で自嘲的に語ったものである。 「死」は永遠に人気のあるテーマであり、文学者の登場する余地がある。「死」は文学者の飯の種である。食えなくなったら書くか、上演すれば一息付ける。死を体験していない文学者に「死」を語る資格があるのか。皮肉にもリルケ自体「死」に関して詩を書いている。彼自身語る資格がないのに、パンのためか、お世話になっている人の要望か、雑誌社の要望か、このブログでも紹介した流れる涙また涙を1913年に書いている。 絵は有名なベックリンの自画像である。 Todes-Erfahrung Wir wissen nichts von diesem Hingehn, das nicht mit uns teilt. Wir haben keinen Grund, Bewunderung und Liebe oder Haß dem Tod zu zeigen, den ein Maskenmund tragischer Klage wunderlich entstellt. Noch ist die Welt voll Rollen, die wir spielen. Solang wir sorgen, ob wir auch gefielen, spielt auch der Tod, obwohl er nicht gefällt. Doch als du gingst, da brach in diese Bühne ein Streifen Wirklichkeit durch jenen Spalt durch den du hingingst: Grün wirklicher Grüne, wirklicher Sonnenschein, wirklicher Wald. Wir spielen weiter. Bang und schwer Erlerntes hersagend und Gebärden dann und wann aufhebend; aber dein von uns entferntes, aus unserm Stück entrücktes Dasein kann uns manchmal überkommen, wie ein Wissen von jener Wirklichkeit sich niedersenkend, so daß wir eine Weile hingerissen das Leben spielen, nicht an Beifall denkend. Rainer Maria Rilke 死の体験 我らは死に何ら知識を持っていない 我らと死は共存しない。我らは一切 死への崇拝や愛情や憎悪を表現する 素養がないのに、仮面をかぶり口で 悲劇的な嘆きを実に巧みに歪曲する。 世界は我らが演ずる役に満ちている。 我らが関心を持つ限り、気がむくと 死はしぶしぶ役を演ずるはめになる。 だが君がこの世を去った時、ほんの 一条の現実性が、その舞台上の君が 出た隙間から洩れた。現実の緑は緑 現実の陽光、現実の世界、現実の森。 我らの演技は続く。声高かつ厳粛に 学をひけらかし、時折態度を変える。 だが我らとははるか遠く距離をおき 我らの作品からは無縁な君の存在で 我らが圧倒される時もある。現実に 関する知識が次第に減少してくると ほんの一瞬の間であるが、幻惑され 評価を意識せずに我らは生を演ずる。 リルケ
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222.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ [ミュンヘン]1888年3月28日午後 親愛なる友へ 親切なお手紙と夏の計画にトュンの愛らしい家の使用を含めて熱心なご配慮をいただき感謝いたします。でも、わたしたちは確定的な計画を立てるにはほど遠い状態です。現在のところ、わたしたちはこの大きな傷が治るのを(これまでの所、良くなる希望を持っています)気長に待たねばなりません。それから、堅くなった足をなだめすかし歩く過程がありますが、これに数週間かかります。その後熱い温泉に行って全身を強化し、左手と首筋の「残り」と闘います。――要するに完治するために七つの悪を追い払うのです。それまでは完全な休養を考えておりません。あなたと姉とヴァッハ夫妻(1)のことを考えると、医師がスイス行きを勧めてくれるとありがたいのですが。でもすべて不確定です。わたしたちは医師のいうなりです。ですから、あなたの美しい家はわたしたちのことを考えずに手に入れてください。優しい配慮には感謝します。これからもわたしたちを思ってください。ですが、あなたの哀れな友人を計画には入れないでください。 この数日間はわたしには暗い日々でした。このような状況に対処するために奮い立たせたエネルギーは高揚した気分になり、惨めな状態をうち消しますが、その後に反動が来ます。いかなる災難にも立ち向かった精神的高揚は消え失せ、疲労感のある毎日の作業が始まります。ハインリッヒの丈夫な体質はこの悲惨な日々のわたしのささやかな慰めでした。彼は手術後おどろくほど回復しました。3日目には熱はなくなり、食欲も他もすべて正常です。ここでの治療には、山のような忍耐力が要ります。長期間ベッドに寝たきりの生活の後でさらに9、10週間は休養できず、不断の圧力による座るときには激痛が走り、現在の姿勢と手術のためにかかとは疼くのです。こんなに悲惨な事があるでしょうか。さらに悪いことに、わたしたちは孤独です。フィードラー夫妻とレヴィはもういませんし、友人のアルガイヤーは健康――そして裕福――にほど遠い人には用はないのです。 4月4日には医師もいなくなりました。哀れなハインリッヒは彼のフィデリオに依存し、彼女は気をつけて彼が落ち込まないように注意しています。 ねえ、わたしたちはそれほど陽気ではないのです。 なぜあなたは敬愛する皇帝の追悼に相応しい良い曲を書かないのですか。もし皇帝が生きていらしたら、ハインツは22日の学校の祝典に向けて音楽を書いているはずでした。彼はもちろん残念そうに諦めました。それは今では役には立たなかったのですけど。でも病人は一体どれだけ諦めるのでしょう。 何時でも構いませんが、教えてください。――まず、ウィルヘルム・ヘルツの「吟遊詩人の歌(Spielmannslieder )と「トリスタン(Tristan)」(2)(純粋で健全なドイツ語で書かれ、精神を豊かのしてくれます)それにシュタウフェル・ベルン(3)のエッチングをご存じですか。 すべてを捨てたらどんなにか貴重な楽しみの時間を持てることでしょう。わたしたちはマルティン・ザランダー(4)を分冊で出版されるまで我慢してきました。この本の力は次第に増して行く美しさと円熟に表され、最後までの進行の目印になります。人生にこんな明るい事がなかったら、わたしたちはどうなるのでしょう。 どうか何か見つけて送ってください。わたしはついに歌(5)(今日)送り返します。ありがとうございました。 ゴンペルツ教授の決定を早く知らせてください。彼が小さい家は嫌だといえば、他の人を探します。 わたしの大事な良き患者さんからもよろしくとのことです。 いつも誠実なあなたのエリーザベト・ヘルツォーゲンベルクより (1)アドルフ・ヴァッハはインターラーケンの近くに行ってしまった。 (2)ウィルヘルム・ヘルツ(Wilhelm Hertz, 1835-1902)。ミュンヘン工科大学(M??nchener Polytechnikum)の文学の教授。ガイベル(Geibel)、ハイゼ(Heyse)リンク(Lingg)の主宰する「鰐(Krokodils)」のメンバー。彼の「吟遊詩集(Spielmannsbuch)」、「マリー・ドゥ・フランス(Marie du France)」、「トリスタンとイゾルデ(Tristan und Isolde)」等は、古いドイツ・ロマンチックの原典の自由な翻案である。 (3)カール・シュタウフェル・ベルン(Karl Stauffer-Bern, 1857-1891)。画家、詩人、銅版画家。オットー・ブラームスの「カール・シュタウフェル・ベルン:その生涯と書簡と詩」。 (4)Gottfried Kellerの小説。Deutsche Rundschau に連載中であった。 (5)「ジプシーの歌」。 (6)第8番。
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



