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「今日の詩」の選者が送ってきたのはエミリー・ディキンソンの “There's Been A Death In The Opposite House” 「向かいの家に死人が出た」である。今日の詩は彼女としては長い詩である。窓からそっと覗いているのは明らかに、狭い世間を嫌うエミリー自身である。だが話者は男になっている。彼女はバラッド形式にこだわる詩人である。どうしても boy を第三詩節に持ってこざるを得なかったのだろう。韻文には必ずこういうことがありうる。 There's Been A Death In The Opposite House There's been a death in the opposite house As lately as to-day. I know it by the numb look Such houses have alway. The neighbors rustle in and out, The doctor drives away. A window opens like a pod, Abrupt, mechanically; Somebody flings a mattress out,-- The children hurry by; They wonder if It died on that,-- I used to when a boy. The minister goes stiffly in As if the house were his, And he owned all the mourners now, And little boys besides; And then the milliner, and the man Of the appalling trade, To take the measure of the house. There'll be that dark parade Of tassels and of coaches soon; It's easy as a sign,-- The intuition of the news In just a country town. Emily Dickinson 向かえで死人が出た。 向かえで死人が出た。 今日になり知った。 硬い表情で私は分る 死人の家はいつも。 近所の出入りは忙しく 医師は去って行く。 窓が鞘のように開いて 感情は突然に無く。 敷き布団が投げ出され 子供たちが近寄る。 ここで死んだのと子ら―― 僕も子供の頃使った。 硬い表情で司祭が入る 自分の家のように 司祭が弔問者を指導し 男の子たちが側に。 そして飾り付けの業者 寒気する作業の男 彼らは家の寸法を測る。 飾りや馬車の行進は 間もなく始まるはず 合図の様に簡単―― 田舎町では出来事は すぐに知れ渡る。 エミリー・ディキンソン
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2007年12月21日
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今日のエミール・ネリガンの詩は、カトリック教会の権威が保たれているケベックならではの光景である。戒律に生きる修道僧の姿を描写していると解釈した。夜中に苦行に励む修道僧は黙々と行進している。すでに決められた時間に祈る L'heure (時祷)は終わり、彼らは清められ、一切の誘惑に動揺しない。苦行には悪魔が鬼になって脅したり、若い女の姿で誘惑したりするというのはよくある話である。最後にイエス・キリスト自身の亡霊が現れて誘惑するというのは聞いたことがない。第四詩節の最後の二行は気になる。これは修道僧にとり、最も厳しい誘惑である。 Moines en défilade Ils défilent le long des corridors antiques, Tête basse, égrenant d'énormes chapelets ; Et le soir qui s'en vient, du sang de ses reflets Empourpre la splendeur des dalles monastiques. L'heure a versé déjà ses flammes extatiques Au fond de leurs grands coeurs où bouillent les secrets De leur dégoût humain, de leurs mornes regrets, Et du frisson dompté des chairs cénobitiques. Ils marchent dans la nuit et rien ne les émeut, Pas même l'effrayante. horrible ombre du feu Qui les suit sur le mur jusqu'au seuil des chapelles, Pas même les appels de l'infernal esprit, Suprême Tentateur des passions rebelles De ces silencieux Spectres de Jésus-Christ. Emile NELLIGAN (1879-1941) 修道僧は歩む 修道僧は古い回廊に沿って歩み 頭を垂れ、大きなロザリオを繰り 迫りきたる夕べには血の反映で 紅く染まる見事な修道院の敷石。 時祷はすでに修道僧の心に沸く 人間的な憎悪の情や深い改悛や 修道者の肉体の抑圧された震え などの秘密に恍惚の炎を注いだ。 彼らは夜中に行進し、恐れにも 動揺はしない。壁を隔て御堂の 入口へ導く炎の恐るべき影にも 悪魔の魂の言葉巧みな囁きにも 沈黙を守るイエス・キリストの 亡霊の反抗的な情熱の誘いにも。 エミール・ネリガン
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今日のリルケの詩は "Quai du Rosaire Brügge" 邦題を「ロザリオの波止場 −ブリュージュ」にした。 リルケはブリュージュを訪問し、運河の都市に感動したみたいだ。街を散策していると必ず洒落た路があり、必ず広場に繋がっている。リルケは「街は待ち合わせている」と表現している。また運河の水面で、すべてが逆転し、鏡像になり、興趣がある。静かで聞こえるのは教会の鐘の音である。西洋の鐘は葡萄の房状であるから、音を聞くのを、「葡萄を味わう」ことに喩えている。 だが色々気になる点がある。まず題名であるが、ブリュージュに行った事がない私には、キリスト教の数珠であるロザリオのイメージがわかなかった。波止場がロザリオのように繋がっているからなのか?それと第三詩節の最後は前後関係からよく分からなかった。 Quai du Rosaire Brügge Die Gassen haben einen sachten Gang (wie manchmal Menschen gehen im Genesen nachdenkend: was ist früher hier gewesen?) und die an Plätze kommen, warten lang auf eine andre, die mit einem Schritt über das abendklare Wasser tritt, darin, je mehr sich rings die Dinge mildern, die eingehängte Welt von Spiegelbildern so wirklich wird wie diese Dinge nie. Verging nicht diese Stadt? Nun siehst du, wie (nach einem unbegreiflichen Gesetz) sie wach und deutlich wird im Umgestellten, als wäre dort das Leben nicht so selten; dort hängen jetzt die Gärten groß und gelten, dort dreht sich plötzlich hinter schnell erhellten Fenstern der Tanz der Estaminets. Und oben blieb? – – Die Stille nur, ich glaube, und kostet langsam und von nichts gedrängt Beere um Beere aus der süßen Traube des Glockenspiels, das in den Himmel hängt. Rainer Maria Rilke ロザリオの波止場 ブリュージュ 街毎に洒落た路が一つは (時には由来に思いをはせ。 以前は何だったろうか?) 街は互いに待ち合わせて 広場へと、ほんの一歩で 夕べの明るい水辺に着き 水面で周囲の物は和らぎ 鏡像で逆転して、世界は 実物とは少し違ってくる。 行ってない?見るべきだ (理解不能な法則を求めて) 倒置で目覚め、明確になる 人生にもよくあるように。 価値ある大庭園も逆転し 居酒屋に灯が点るとすぐ 窓の中の踊りも逆転する。 泊ったかって? ― 実に静かだ 混まずに、大空に下がる 甘い鐘の房からのんびり 葡萄をつまんで味わえよ。 リルケ
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227.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ ルガーノ、1888年9月23日 親愛なる友へ あなたのご親切な手紙は、わたしたちが休息している当地に転送されてきましたが、わたしは非常に悲しくなり、すっかり考え込んでしまいました。この短い人 生で僅かの時間も共に過ごせないことがいかに不条理であるか、あなたには感じることができないのです。わたしたちは(ひょっとしたら、あなたも)つくづく そう感じております。わたしがあなたを充分理解している友人は多くないと本気で考えたとしても、どうか生意気だなどと思わないでいただきたいのです。芸術 的、人間的側面からあなたをこれ以上評価できる人は絶対にありません。でもわたしたちが共に過ごす時間を集計して合計いくらになると思います。もし改善の 余地があるなら、もしあなたが後悔するなら、方法はあるでしょう。わたしたちは帰郷の前にあなたの手紙を当てにしました。バーゼルでお会いできなくて非常 に悲しい思いをしました。 わたしたちのニースの宛先はブールバール・カラバセル 27です。 とくにお薦めの家をここで見つけました。南向きで適当な温度ですので、わたしたちはすぐに決めたのはこの理由です。わたしはまもなく(わたしたちは明後日 に行きます)あなたの歌を受け取り、少しばかりおしゃべり――その気になれば――するでしょう。あなたは今日明快に「これは決していい会話ではない」と言 われましたけど。このことをそれほど確信していなければの話です。わたしたちが体験した困難な時期にどれほど真の価値、親切心、友情を評価することを学んだが理解されるなら、あなたはそんなに言葉を惜しむことなく、あなたの書かれた声を聞かせてください。あなたは楽に良い手紙を書き、あなたの手紙はいずれも貴重な贈り物であることを知るべきです。事実は、わたしたちはあなたを非常に愛しています。とすれば、多少の煩わしさはいとうべきではないでしょう。 あなたには歌をできる限り早く送っていただきたいのです。それから、これを今後自分の自由にしても構いませんね。わたしは今ではずっと時間があります。わ たしたちが契約した人は――悲しいことですが――優秀な介護人となり、わたしの義務を免除してくれます。ハインツは徐々に松葉杖の使い方をおぼえ、いつものように、上手に利用する努力をしてきました。わたしは時々感ずるのですが、月に向かって叫びたくなります。わたしは地より出でて地に帰ります。再び、幸福で快活になりたい気持ちを抑えられません。結局、この懇願は共通の本能です。 あなたは毎年イタリアに行きます。ニースには来られませんか。あなたに忠実な夫婦を幸せにすることでしょう。 ヘルツォーゲンベルク夫妻より!
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



