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「今日の詩」は “Solomon To Sheba” 「ソロモンはシバに」である。イェーツの二人のラブ・シーンの詩をこのブログで取り上げたが、よく分からないので多少関心を持った。今日は訳してみたら別段どうということもない。 ただシバの女王とソロモン王を訪問して妊娠したとされる。私はその子孫だと称する人達には興味がある。男と女が出会って妊娠したという話自体には興味がない。イェーツの意図するところは理解できないが、韻文で書かれている。 旧約聖書にある話なので昔から多くの画家が題材にしてきた。今日はこのブログ初登場のフランスの画家クロード・ローランClaude Lorrain (1600 – 1682)の「シバの女王の乗船」である。なおシバとは国の名前であるが、女王の名前みたいになっている。 Solomon To Sheba Sang Solomon to Sheba, And kissed her dusky face, "All day long from mid-day We have talked in the one place, All day long from shadowless noon We have gone round and round In the narrow theme of love Like a old horse in a pound.- To Solomon sang Sheba, Plated on his knees, "If you had broached a matter That might the learned please, You had before the sun had thrown Our shadows on the ground Discovered that my thoughts, not it, Are but a narrow pound.' Said Solomon to Sheba, And kissed her Arab eyes, "There's not a man or woman Born under the skies Dare match in learning with us two, And all day long we have found There's not a thing but love can make The world a narrow pound.' William Butler Yeats ソロモンはシバに ソロモンはシバに歌う 浅黒い顔に口づけしながら 「昼間から一日中 同じ所で話し 影もない真昼から 堂々めぐり 愛の話ばかり まるで柵の中の老馬−」 ソロモンに歌うシバ 彼の膝にもたれて 「王が学者も喜ぶ 話題を持ち出しても 太陽が私たちの影を 地面に投げる前に 私が考えているのが 柵だと悟るはず」 ソロモンはシバに言う アラビアの眼に口づけしながら 「この空の下で 学問で私たちに向う 男女はいません。 つねに発見するのは 世界を狭い柵にするのは 愛だけだよ」 イェーツ
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2007年12月05日
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今日のエミール・ネリガンの詩は "La fuite de l'enfance" 「子供の脱走」である。女の家庭教師やら女流音楽家の色っぽい話ではない。悪ガキに時代に戻り、幽霊屋敷に住む老人を連れ出すが、実は幽霊だった。可愛らしい「怖いお話」である。類型的には 森の教会 と似ている。 La fuite de l'enfance Par les jardins anciens foulant la paix des cistes, Nous revenons errer, comme deux spectres tristes, Au seuil immaculé de la Villa d'antan. Gagnons les bords fanés du Passé. Dans les râles De sa joie il expire. Et vois comme pourtant Il se dresse sublime en ses robes spectrales. Ici sondons nos coeurs pavés de désespoirs. Sous les arbres cambrant leurs massifs torses noirs Nous avons les Regrets pour mystérieux hôtes. Et bien loin, par les soirs révolus et latents, Suivons là-bas, devers les idéales côtes, La fuite de l'Enfance au vaisseau des Vingt ans. Emile NELLIGAN (1879-1941) 子供の脱走 古い庭を通り墓石の平安を踏みしめ 僕らは哀れな幽霊のようにうろつき 綺麗な大昔のヴィラの入り口に戻る。 時で色あせた縁石を握る。嬉しさで 息を切らし彼は死ぬ。だが僕は見る 彼は幽霊装束で勝ち誇って立ち上る。 絶望のどん底で僕らの心臓は高鳴る 曲がった樹の下は気味の悪い太い幹 僕らは謎の訪問を心底から後悔する。 夜も更けて、遠くはよく見えないが これ以上はない場所へと降りて行く 二十年前の舟にのり子供は脱出する。 エミール・ネリガン
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今日のリルケはどんな聖なる画を見たのだろう。世俗的な成功を収めた連中が聖なる絵を寄進して、その両脇には寄贈者が跪く絵はよく見かける。何とかの沙汰も金次第という。神聖を汚すようだが金持ちにはその権利があるのだろう。坊さんも上層部は封建領主であり、豪奢な宮廷を構えた大金持ちであり、しばしば芸術のパトロンとしてその名を残している。 私はリルケの注釈書を読んでいないから分からないが、今日の注文主も予想しなかった絵が果たしてあったのだろうか。リルケは本当にそんな絵を見たのだろうか。彼のフィクションの詩は今まで読んでいないので、本当に現存するのかもしれない。たとえ絵画であろうと、キリストに近づけるのは聖書に登場する人物だけである。その後列聖された高徳の聖でもない世俗的な坊主がキリストに触れるのは冒涜もはなはだしい。リルケのテーマは注文主の意図を上回った絵が出来たらというテーマである。坊主の困惑と無上の喜びを書いた詩である。 今日の絵は有名なヤン・ファン・アイクのゲントの祭壇画から寄進者の夫妻の像がある。これは聖職者ではなく純然たる世俗の金持ちである。リルケがいう普通の寄進者の像である。 Der Stifter Das war der Auftrag an die Malergilde. Vielleicht daß ihm der Heiland nie erschien; vielleicht trat auch kein heiliger Bischof milde an seine Seite wie in diesem Bilde und legte leise seine Hand auf ihn. Vielleicht war dieses alles: so zu knien (so wie es alles ist was wir erfuhren): zu knien: daß man die eigenen Konturen, die auswärtswollenden, ganz angespannt im Herzen hält, wie Pferde in der Hand. Daß wenn ein Ungeheueres geschähe, das nicht versprochen ist und nie verbrieft, wir hoffen könnten, daß es uns nicht sähe und näher käme, ganz in unsre Nähe, mit sich beschäftigt und in sich vertieft. Rainer Maria Rilke 寄進者 おそらく画家組合への注文は 救い主がそこには現れない事。 画像のように柔和な聖職者も 救い主の脇に進み出て優しく 手を差し出すはずでなかった。 多分そのはず。型通りに跪く (従来から見てきたように) 跪く。肖像画の輪郭は手綱を 握られた馬の如く、心中緊張し 外に向い祈るように描くはず。 取り決めも、確約もしないで 大変な絵が仕上がったとする 我らなら人に見られぬように 作品に近付き、身近な場所に 置いて夢中で見ることを願う。 リルケ
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211.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ [ミュンヘン近郊、ノイヴィッテルスバッハ、 1887年10月18日] 親愛なる友へ あなたの親切な葉書でわたしの気分は非常に良くなり、あなたがここで過ごされたわたしたちとの時間をまざまざと想い出しました。これまでわたしたちは絶望の淵に沈み、わたしの元気が失せ、心が裂けんばかりでなければ、このずっと以前に、友情という貴重な贈り物に改めて感謝すべきでした。現在のところ快方には向かっていません。来る日も、来る日も、無情にも以前からの痛みが繰り返され、さらにわたしは寝たきりになりました。気管支カタル(あなたが来る前の)に医師が施した冷水包帯の非常にきつい治療のせいです。成果は皮膚疾患。自然の病気に治療が引き起こした人為的病気です。恐るべき勢いで広がり、衣服の圧力で一層悪化しました。もう起きていられないので、わたしは無用になり、贅沢な生き物になりました。――哀れな彼は必死にわたしを助けたがっています。わたしたちの唯一の気晴らしは雪です。大きく静かな雪片が3日 間降り続いています。慰みは小さくて姿の良いストーブと日は射し込みませんが、部屋が良く、南向きであることです。喜びは時折の手紙(ヨアヒムの便りは一昨日、四重奏曲の第一部を三曲と一緒に)それにあなたの誘惑的な約束のある手紙です。年老いたお母さんが献身的に介護して読んでくれますが、幸せなことで す。結局、母親ほど慰めになるものはありません。 コンチェルトを送ってくださいますね。わたしたちの心を元気付け、最上の薬であることを証明してくれるでしょう。 ヨアヒムとハウスマンによろしく。あなたたち皆さんのご多幸を祈ります。時々惨めなわたしたちのことを考えてください。 ヘルツォーゲンベルク夫妻より
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...


