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「今日の詩」はエミリー・ディキンソンの “God Permit Industrious Angels” 邦題は「神様は勤勉な天使には」にした。天使とチェッカーズをしていたエミリーが持ち駒を「王」に成らせた所で、日が暮れて神様からの命令で天使は帰ってしまって残念というお話である。童話調のお話であるが、格調が童謡に多い強弱核を意識して書いたのではないかと思う。アクセントのある部分を太字にして確認したいが、今日は色々忙しかったので訳だけを投稿することにした。 God Permit Industrious Angels God permit industrious angels Afternoons to play. I met one, -- forgot my school-mates, All, for him, straightaway. God calls home the angels promptly At the setting sun; I missed mine. How dreary marbles, After playing the Crown! Emily Dickinson. 神様は勤勉な天使には 神様は勤勉な天使には 午後の遊びを許す。 一人の天使に会い − すっかり お友だちを忘れた。 神様はお日様が沈むと 天使を直ぐに戻す。 私の番に。王に成って ビー玉は詰らない! エミリー・ディキンソン アクセントが先に来る単語が多い。強弱格とは言い切れないが活発な印象を与える。 God permit industrious angels Afternoons to play. I met one, -- forgot my school-mates, All, for him, straight away. God calls home the angels promptly At the setting sun; I missed mine. How dreary marbles''', After playing the Crown! 7行目の以下の部分はウィキ文法は全文では意図どおりに行かなかった。 How dreary marbles
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2007年12月06日
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今日のエミール・ネリガンは "Virgilienne" 早熟な少年はついにラテン文学の最高峰とされるウェルギリウスをタイトルに入れた。今日は牧場で鳴り響く笛の音に感動して、牧歌の原型を創ったとされるウェルギリウスにあやかったのであろう。ここまで来るとネリガンは単に音楽的な象徴派の詩人の模倣者ではなく、彼自身音楽好きだったと考えてよいであろう。 ただいつも困るのは名詞の性である。"instrument" 楽器は男性名詞、"lèvre" 唇は女性名詞である。ネリガンは「唇」を愛しているが、これは笛の「唇」なのか演奏者の「唇」なのか。ネリガンが尊敬しているのは「楽器」なのか演奏者なのか。あるいは両者を重ね合わせているのか判然としなかった。脚韻は相変わらずお見事である。 絵はこじ付けのようだが、ウェルギリウスが詩に歌ったアルカディアを念頭におき、ニコラス・プッサンNicolas Poussin (1594 – 1665)の「アルカディアの牧人」である。 Virgilienne Octobre étend son soir de blanc repos Comme une ombre de mère morte. Les chevriers, du son de leurs pipeaux, Semblent railler la brise forte. Mais l'un s'est tu. L'instrument, de ses lèvres, Soudain se dégage à mes pas ; Celui-là sait mon amour pour ses chèvres ; Que j'aime à causer aux soirs bas. Je le respecte... il est vieux, c'est assez ; Puis, c'est mon trésor bucolique. Ce centenaire a tout peuplé de ses Conseils mon coeur mélancolique. Nous veillons tels parfois tard à nuit brune Aux intermèdes prompts et doux De pipeau qui chevrote au clair de lune Sa vieille sérénade aux houx ! Emile NELLIGAN (1879-1941) ウェルギリウス風 十月は白い安息を延ばす 死せる母の影の如く。 山羊飼う男達は笛の音で 強風をあざ笑うよう。 君も笛。唇をつけた笛で 突然僕は立ち止まる。 笛は僕が小声で話したい 好む唇を知っている。 僕は笛を尊敬し...充分古い。 それに牧歌の宝物だ。 百年間も僕の憂鬱な心が 求めてきた君の忠告。 夜が更けるまで聞き入る 敏捷かつ快い間奏の 古い夜曲は月に照らされ 震えながら藪に鳴る。 エミール・ネリガン
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今日のリルケは "Tanagra" 「タナグラ」である。19世紀ヨーロッパのギリシャ熱にさらに拍車をかけたのが、ギリシャのタナグラという田舎で農夫が畑を耕していて発見した人形のような焼き物である。型に粘土を流し込み量産された人形は古代ギリシャの女神であるよりは、リアルに表現された古代ギリシャの普通の女性像である。彩色を施して今なお新鮮さを失わない愛らしい人形に当時の文化人は古代ギリシャに想像をかき立てられた。ウィキによれば、オスカー・ワイルドは彼の作中の少女に "Tanagra figurine" 「タナグラ人形のような少女」という形容をしたそうである。 リルケもその一人で、発掘された人形を「軽く焼かれた粘土は/今は太陽に焼かれている」と書き出している。そして古代の普通の女性は永遠の生命を得たかのように新鮮であるとこの詩で書いた、と解釈した。最近多少語学力がついたせいか、易しい詩か難しい詩かの判断は出来るようになった。この詩は易しい詩である。それでも、辞書に用例のない言葉の組み合わせがある。ネイティブあるいはちゃんとドイツ語を学習した人には辞書に載せるほどもないのか。それとも詩人はドイツ語を拡張したのか。私には分からない。 写真はルーブル・美術館にある「青衣の女性」"Dame en Bleu" "Lady in Blue"である。彼女は団扇を持っている。 Tanagra Ein wenig gebrannter Erde, die von großer Sonne gebrannt. Als wäre die Gebärde einer Mädchenhand auf einmal nicht mehr vergangen; ohne nach etwas zu langen zu keinem Dinge hin, aus ihrem Gefühle führend, nur an sich selber rührend wie eine Hand ans Kinn. Wir heben und wir drehen eine und eine Figur; wir können fast verstehen weshalb sie nicht vergehen, - tiefer und wunderbarer hängen an dem was war und lächeln: ein wenig klarer vielleicht als vor einem Jahr. Rainer Maria Rilke タナグラ人形 軽く焼かれた粘土は 今は太陽に焼かれる。 乙女の手のしぐさは 突如として、永遠の 生命をえたかのよう。 何か伸ばした手には 事実物がそこにあり 顎にふれる手のよう 彼女の感覚に従がい それ自体に感動する。 像を個々に取り上げ じっと見回してみる 像が永遠の命をえた 訳がよく理解できる― 奥が深くて素晴しく 過去と繋がっており 微笑む。一年前とも ほぼ変わらぬ鮮明さ。 リルケ
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212.ブラームスからエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクへ [ウィーン、1887年11月4日] 私はあなたを急かしてスコアを返してもらうつもりはありません。ただ少しは良かれ、少しはあなたの悲しみと苦しみを忘れさせるものになることを願うだけです。なぜビュルナーが二週間前にあなたに送らなかったかわかりません。しかしながら、彼はつぎのコンサート(1)であなたの合唱曲をますます上手く指揮します。それで気分が良くなるでしょう。最高の名演奏を想像で追跡してください。お便りを続けてください。私の心がどれほどあなた方を包み込んでいるか判らないでしょう。あなたがもっと楽しげに書けるようになることを希望します。あなた方がいつ南に行けるか教えてください。 いつまでもきわめて誠実なJ.Br.より
(1)ビュルナーはヘルツォーゲンベルクの「夜の厳粛」をケルンの第3回ギュルツェニッヒ・コンサートで公演した。 |

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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...


