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「今日の詩」はスティーヴンソンの「エピタフム・エロティ」である。エローションという6才の女の子の死を悼む幕碑銘の詩の形式をとっている。詩の内容は簡単であるが、タイトルがラテン語である。しかもエローションという名前は英語圏の名前ではない。スティーヴンソンは晩年サモアに住みつき、広い農場を所有した。そこで働いていった原住民の女の子の名前とも思えない。不思議に思いながらも訳してみた。 Epitaphium Erotii Here lies Erotion, whom at six years old Fate pilfered. Stranger (when I too am cold, Who shall succeed me in my rural field), To this small spirit annual honours yield! Bright be thy hearth, hale be thy babes, I crave And this, in thy green farm, the only grave. Robert Louis Stevenson エピタフム・エロティ ここに眠るエロウション、6才にして 運命に拐かされたり。誰をか知らず (我が死後、我が緑の農園を営まん人よ) この小さき魂に年毎の礼を尽くされよ! 我が願いは、汝の暖炉の輝きと幼子の健康 さらにこの墓が汝の緑野にて唯一となるべし。 スティーヴンソン 調べて行くうちに明らかになったことは、彼の詩はサモアで実際にあったことに基づくものではない。もしサモアでスティーヴンソンがこの碑文を書いていたなら、このお墓はサモアの重要な観光資源になったはずである。これは期待しないでいただきたい。 サモアで書かれた詩であることは間違いないが、「有名」なラテン語の詩「エピタフム・エロティ」のパロディーである。イギリスの大学を出たからには、このラテン語の詩はおなじみなのであろう。作者はマルクス・バレリユース・マルティアリス(Marcus Valerius Martialis)というローマの詩人である。 エローションという名前はギリシャの愛の神エロスと関係している。日本語でいえば「愛」の指小辞である。つまりエローションとは「愛ちゃん」である。その詩を紹介しておく。このラテン語の詩の直訳はいずれ投稿し、スティーヴンソンの詩と比較する計画である。私の電子辞書はラテン語サポートしていることになっているが、まるで用をなさない。かなり時間がかかりそうである。 Hanc tibi, Fronto pater, genetrix Flaccilla, puellam Oscula commendo deliciasque meas, Parvula ne nigras horrescat Erotion umbras Oraque Tartarei prodigiosa canis. Impletura fuit sextae modo frigora brumae, Vixisset totidem ni minus illa dies. Inter tam veteres ludat lasciva patronos Et nomen blaeso garriat ore meum. Mollia non rigidus caespes tegat ossa nec illi ; Terra, gravis fueris : non fuit illa tibi. Marcus Valerius Martialis
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2007年05月15日
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13.ブラームスからヘルツォーゲンベルクへ [ウィーン]、1877年4月29日 親愛なる友へ あなたのご親切なお手紙を頂戴しましたからには、すぐにお返事しなければいけません。活々とひそやかに(Belebt und Heimlich )は原稿の[「春の黄昏」 のテンポ記号ですが、この歌がつまらないと思い、なげやりに記号を振りました。しかしその後、ゆっくりと,アダージオ( Immer langsam, Adagio ) にし、最後の所では小節全体に延声記号をつけました。 フラウ・シューマンは以前からデュッセルドルフ に落ち着く考えを持ってみえました。いろんな理由から大変遺憾なことであり、そこに行く決意をなされたことを非常に気の毒に思います。 私の招へいとは関係ありません。この問題はついに(いましがた)決着しました。ひとつにはビッター会長(1)がベルリンに転勤になったことです。 私は気をつけてスズメバチの巣に近づかなくて良かったと思っています。 いつまでも記憶にとどめてくださいますよう。取り急ぎご返事まで。 誠実なるあなたのJ.ブラームスより (1) カール・ヘルマン・ビッター(Karl Hermann Bitter, 1813-1885)、1878年からプロシアの大蔵大臣。彼のJ.S.バッハと息子たちに関する著作で知られ、デュッセルドルフの行政長官であり、音楽協会の会長であった。この立場から、彼はブラームスと監督について書簡を交わしている。 訳注:助言を求めながら、なかなかすんなり受け入れないブラームスであるが、今回は一応謙虚である。 |

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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



