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22.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ [ライプツィッヒ]1877年12月26日 親愛なる友ブラームスへ お部屋の準備は31日にはできています。どの時間でも、まずはわが家にお出かけくださり、最初にホテルには行かないでください。どんな良いことがあるのでしょう。どのみち(1)ピアノの練習にはわずかの時間しか割けませんし、その時間ですら、あなたはだれかのお世話にならなければ利用できません。この家でしたら、わたしがそのだれかさんになり、あなたをピアノの前に座らせ、気詰まりにならないように出ていきます。ああ、31日にいらっしゃるということを前もって知っていましたらねえ。お手紙は結構です。わたしをもう怖がっていらっしゃらなければ、ご来訪を心からお待ちします。わたしに下さるというアダージオ(訳注)を忘れないで。あなたがわたしに下さるのは真に適切であると信じます。わたしはその曲が、それは、それは大好きなのですから。それではお元気で、わが家にお出でください。 あなたを敬愛するヘルツォーゲンベルク夫妻より (1) ブラームスはゲバントハウスで1月1日にニ短調協奏曲を演奏する予定であった。1859年1月27日の場合には非常に不評(Kalbeck: Johannes Brahms i. 352)であった。彼は1月10日のコンサートで第二交響曲を指揮した。 訳注: 些細なことであるが、エリーザベトはこの書簡で「アダージオ」といっているのは、書簡19 の「アンダンテ」に相当する。事実ピアノ三重奏の第3楽章は正確にはアンダンテ・グラチオーソとなっている。 ブラームスはライプツィヒ初演の大失敗から19年後にニ短調協奏曲を演奏することになった。ブラームスはこの初演の後にクララ・シューマンに「リハーサルではまったくの沈黙、本番では3人ぐらいが拍手したが、残りはそろって非難した。だけど僕は何とも思ってません」と書き送っているが、実は深く傷ついたのである。ブラームスは当時、アガーテという女性と婚約していたが、この婚約を解消した。後年ブラームスは、家に帰ったときに、失敗を悟り、気を使って出迎える女性の表情を考え、結婚が嫌になったと述べている。作曲家という危険な職業と結婚生活は両立しないという訳である。それも確かに理由の一つかもしれない。
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