ヘ短調作品34

ルブランの回想録の link 先はゲストブックを御覧ください。

過去の投稿日別表示

[ リスト | 詳細 ]

全1ページ

[1]

イメージ 1

「今日の詩」は19世紀アメリカの詩人ロングフェローの「人生の賛歌」である。非常に人気のあった詩人の「詩」だそうである。若きアメリカの文化的指導者となったこの詩人。さすがハーバード大学の教授になっただけのことはあり、きわめて教訓的である。「今日の詩」は堅い感じだが、教科書向きの内容である。懐かしむ世代がいるのであろう。



A Psalm Of Life

Tell me not in mournful numbers,
Life is but an empty dream!
For the soul is dead that slumbers,
And things are not what they seem.

Life is real! Life is earnest!
And the grave is not its goal;
Dust thou are, to dust thou returnest,
Was not spoken of the soul.

Not enjoyment, and not sorrow,
Is our destined end or way;
But to act, that each tomorrow
Find us farther than today.

Art is long, and Time is fleeting,
And our hearts, though stout and brave,
Still, like muffled drums, are beating
Funeral marches to the grave.

In the world's broad field of battle,
In the bivouac of Life,
Be not like dumb, driven cattle!
Be a hero in the strife!

Trust no Future, howe'er pleasant!
Let the dead Past bury its dead!
Act, - act in the living Present!
Heart within, and God o'erhead!

Lives of great men all remind us
We can make our lives sublime,
And, departing, leave behind us
Footprints on the sand of time;

Footprints, that perhaps another,
Sailing o'er life's solemn main,
A forlorn and shipwrecked brother,
Seeing, shall take heart again.

Let us then be up and doing,
With a heart for any fate;
Still achieving, still pursuing,
Learn to labor and to wait.

Henry Wadsworth Longfellow



人生賛歌


人生は虚しき夢!
などと哀れな調子で語るな
眠れる魂は死せる魂
実体と像は違うのだ。

人生は真実であり!本質だ!
墓は目標ではない。
汝塵より出でて塵に戻るが
魂について語ってはいない。

喜びと悲しみは
究極の目的でも過程でもない。
行動により明日は更に
今日よりも前進している。

芸術は長く、時の経過は速い
頑健で勇敢なる心臓も
抑えた太鼓のごとく
墓への葬送を打っている。

現世の広き戦場で
人生の露営で
従順なる家畜になるな!
奮闘して英雄となれ!

いかに楽しくとも未来を信じるな!
死せる過去に過去を埋葬させよ!
行動せよ ― 生きる現在で行動せよ!
内に心、天には神!

偉大な人の生涯で想起せよ
崇高な人生を送れるのだ。
旅立ち、足跡を残せ
時の砂の上に。

おそらく別の足跡もある
人生の厳粛な大海原を航海し
難破し絶望した仲間が
見出して元気を取り戻す足跡。

いかなる運命にもめげぬ
精神力で活動しよう
常に達成し、常に追及し、働き
結果を待つことを学ぶのだ。

ロングフェロー


脚韻に関しては完璧な構造を持っている。全詩節において

[a, b, a, b]

となっている。

さらに音節数

[8, 7, 8, 7]

にすべく努力が払われている。


写真はケンブリッジとボストンを結ぶ橋である。お堅い感じのロングフェローがこの橋を通って「彼女」のもとにせっせとを通った。念願叶って「彼女」は結婚を承諾した。今ではロングフェロー橋と呼ばれている。近年改築されたが多少は面影を残す配慮はなされている。

イメージ 1

1.ハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルクからヨハネス・ブラームスへ

アウスゼー、1876年8月1日

親愛なるヘル・ブラームスへ

私が今回お送りしますのは、ブラームスの主題で作曲された最初の変奏曲(1)で あり、したがいまして、あなたの蒐集品のなかでも珍品中の珍品になると私が信ずるものであります。あなたの傑出したテーマに加えて、一度でよいから最初の人物になりたいという誘惑にかられました。私の展開においてすべての可能性を引き出したわけでは決してありませんが、あなたが全面的に否定されないことを願うものであります。

 私がライプツィッヒを出る前には、あなたがカンタータ「キリストは死の絆につきたまえり(Christ lag in Todesbanden)」の編曲をわれらのバッハ・フェラインの出版物に掲載されるおつもりか、確かめることができませんでした(2)。あなたにはこの件をよろしくご賢察の上、ご承諾くだされば、われわれとしては幸甚に存ずる次第であります。

 ご存じのようにわれわれをうるさくつけて回る一味がおりますが、われわれが結束するならば、連中をやがて黙らせることができると思います(3)。それでも彼らがシュピッタを素人(4)、フォルクランド(5)や私を熱意だけの無能者呼ばわりを続けるとき、彼らの面前にブラームスの名前を突きつけられたらと思います。このピアノ編曲の出版のことでご面倒をおかけしないつもりであり、完成いたしましたら、あなたに提出させていただきます。

 私は光栄にもあの傑作へ 調ミサ曲の編曲の作業に没頭中であります。昨年の冬、フォルクラントはマタイ受難曲のオルガン部を書くという容易ならざる仕事を引き受けました。多くの合 唱団がこの仕事に賛同してくれるようになれば、遠からぬ未来に、長く残る成果を振り返ることができると期待しております。もちろん前提としては、リー ター・ビーダーマンの会社がこの出版事業の停止に追いこまれないことです。われわれの方法が承認されれば、この事業に付随する労苦はとるに足らないもので あります。

 私たちがいるところには、バイロイト報告(7)を掲載した音楽紙も届かず、静かで快適な生活を送っております。リューゲン島も同様の地理的利点に恵まれておりので、ジムロック(8)がやがて大きな荷物(9)を送ってくれるものと期待しております。

 あなたが私の音楽の巻物を開かれたならば、しばらくは、ご自身の曲ではありますが、一風変わった、見慣れない作曲を見つけられることと存じます。アストール(10)がこの作品を引き受けてくれたのは明らかに、ジムロックを表紙で仰天させてやろうという悪い魂胆がありました。見本市(11)に くる近眼の連中は、大きな活字で印刷されたヨハネス・ブラームスに気を取られ、その下の小さい文字には気が付かないでしょうから、その分売れるでしょう。 もちろん私にとっても、アストールにとっても愉快であります。これは冗談です。しかし、あなたが中身を眺められることを考えると、私はもう愉快ではありえ ません。一方あなたには娯楽が始まります。おそらくは?この深刻な疑問符で書面を括らせていただきます。存分の裁きを覚悟いたしております。 
   
あなたに誠実なハインリッヒ・ヘルツォーゲンベルクより



(1) ヘルツォーゲンベルクは「ピアノのためのブラームスの主題による変奏曲作品23」(デュエット)をーター・ビーダーマンから出版した。この主題は歌曲作品7、第5曲の“Mei Mutter mag mi net“の主題である。

(2)ライプツィッヒ・バッハ・フェライン(Leipzig Bachverein)はハインリッヒ・フォン・ヘルツォーゲンベルク(Heinrich von Herzogenberg)、フィリップ・シュピッタ(Philipp Spitta)、フランツ・フォン・ホルシュタイン(Franz von Holstein)、アルフレッド・フォルクラント(Alfred Volksland)の4人により結成され、バッハの宗教カンタータのピアノ版を出版した。この編曲の責任者はフォルクラント、ヘルツォーゲンベルクとビュルナー(W??llner)である。

(3)古い合唱曲の伴奏の扱いをめぐり、ロベルト・フランツ(Robert Franz)、フリードリッヒ・クリサンダー(Friedrich Chrysander)、シュピッタ、ヘルマン・クレッチマー(Hermann Kretzschmar)、その他が新聞や論文を通して行われた激烈な論争を指している。

(4)フィリップ・シュピッタ(Philip Spitta, 1841-1894)、有名なバッハ伝の著者。1875年までライプツィッヒのニコライ・ギムナジュウムの教授で、その後ベルリン大学の音楽史の教授。

(5)アルフレッド・フォルクラント(Alfred Volkland, 1841-1905)、バーゼルの音楽監督でバーゼル大学の名誉博士。1875年までライプツィッヒのオイテルペ・コンサートの指揮者。

(6)このカンタータの編曲とはブラームスがウィーンの楽友協会のコンサートを指揮したときに書いたもので、1873年3月23日にウィーンの聴衆に新作として発表したが、それを功績とはしなかった。ゲオルク・ヘンシェルは1876年 のリューゲン島の日記で、「ブラームスはバッハ・フェラインの編曲を傍らにおいて非実用的な編曲を指摘した。『ピアノ版は演奏可能でなくてはいけない。こ の楽器に合うように書かれるべきである』と彼は言った。『このことはすべてのパートを導くことよりはるかに大事なことなのだ』」

(7)ワーグナーの「ニーベルンゲンの指輪」は1876年の夏バイロイトで初演された。

(8)フリッツ・ジムロック(Fritz Simrock,1837-1901)ブラームスの専属出版者。

(9)ブラームスは6月15日にリューゲン島に行き、サスニッツにこもり、ハ単調交響曲の仕上げをしていた。

(10)エドムント・アストール(Edmond Astor)、ライプツィッヒの音楽出版者、J.メルキォール・リーター・ビーダーマン(J. Melchior Rieter-Biedermann)の娘婿であり、義父の死後1849年創設のヴィンテル・チュールの社長になった。

(11)見本市はライプツィッヒでは年に3回開かれ、外部からの見本市客が多いので、一流のホテルは期間中値段を倍にしている。見本市客には好ましからざる人物が多いので、この言葉には軽蔑的な意味がある。


ウィキペヂアのぺージをご紹介します。アウスゼーやリュウゲン島に興味のある方は画像をクリックして下さい。保養地と孤独に作曲に励むにむいた土地の違いが分かるはずです。


訳者注

*ブラームスがこもって交響曲一番の作曲に没頭したリュウゲン島はドイツの画家フリードリヒの絵でも有名である。
*ヘルツォーゲンベルク夫妻が夏滞在したのは保養地アウスゼー である。ヘルツォーゲンベルクはオーストリアのグラーツの出身であり、親戚への挨拶もかねてオーストリアのアウスゼーに行ったと思われる。たしか冷泉の保養地である。ウィーンの上流階級が夏の保養地になっている。

全1ページ

[1]


.
fminorop34
fminorop34
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事