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「今日の詩」はフロストの「火と氷」である。実は、この詩も何日か前にメールで届いたものである。宿題に悩むアメリカの学生たちの投稿を見ているうちに、勝手な解釈というか想念(妄想?)がわいてきた。釈然とはしないが、ひとまず試訳を投稿してみる。 フロストは昔からの地球の最後は「火」か「氷」かという論争の形式に乗る形で詩を書いている。「火」と「氷」という物理学の概念から議論しているようにみえるが、人間の心にある野望(欲望)とか憎悪(冷淡)による破滅を語っているような気がしてきた。「火」とは「野望」であり、「氷」とは「憎悪」である。 world も世界と訳すべきか地球と訳すべきかまだ確信があるわけではない。彼は巧妙に「地球」の話からいつの間にか「世界」に切り換えているように思える。 気を付けなければいけないのは、この詩が書かれた年代である。諸帝国の野望から起き、「火」による世界の滅亡の危機に瀕した第一次世界大戦終結後の1923年にこの詩を書いている。 フロストは第二次世界大戦後しばらく生きた詩人であるが、「氷」の「冷戦時代」を予言していたとすれば、彼はたしかにアメリカの「賢人」である。 Fire and Ice Some say the world will end in fire, Some say in ice. From what I've tasted of desire I hold with those who favor fire. But if it had to perish twice, I think I know enough of hate To say that for destruction ice Is also great And would suffice. Frost 火と氷 地球は火に包まれて終わるという意見と 氷で覆われて終わるという意見がある。 私が野望の結果を体験しているから 私は火説に賛成である。しかし 二度滅亡しなければいけないとすれば 私は憎悪を充分理解しているつもりである。 氷の破壊能力もすさまじく 地球の滅亡に充分だと断定できる。 フロスト ヴォランティア団体の LibriVox の提供するFIRE AND ICE の朗読である。ヴォランティア団体であるので、朗読の質の保証はないが、何といってもネイティヴである。 これも韻文である。繰りかえしもあるが、9行の詩を3韻で処理していいる。まさに名人芸である。 [fire, desire, fire], [ice,.twice, ice., suffice],[ hate, great] 上の絵は「氷の海」と訳されているが、「希望号の難破」ではないだろうか。
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3.ブラームスからハインリッヒとエリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクへ ハンブルク、1876年8月20日 親愛なる友へ お送りいただきました贈り物に対しお二人には心から感謝いたします。あなたの変奏曲をみなに宣伝しようかとも思います。自分の歌がかくも有効に人の精神を 引きつけることを知り、大変満足しております。テーマに選ばれたメロディーに愛着を持っておられるものと推察いたします。この愛着はおそらくご夫婦が共有 されているものでしょう。 私の感謝で始まり、期待されるより早く批評が終わったとしてもお許しください。このデュエットを開き、想像で弾いてみるときには、すらりとして、青のビロードを身にまとった金髪の女性が私の右に座っていることを(1)ありありと思い浮かべてしまうので、どうして無関心でありえましょう。 これ以上言うと、ご夫婦のいずれかを怒らせることになるでしょう。 でも、この変奏曲を演奏するよう努力はいたします。音楽が複雑であるときには、デュエットほど読みづらいものはありません。したがって、私がふたたびあな た方とお話しできる機会があり、賞賛以外に語ることがあるとすれば、あなたにはまえもって、私の意見を傾聴して、正しい考え方を持っていただきたいと思い ます(2)。 私は変奏曲一般について述べたいことがあります。たとえば、私は変奏曲を、幻想変奏曲、あるいはこの形式による多くの現代作品をどう呼ぼうとも、それらと 区別してほしいと思っています。私はこの変奏曲形式に格別な愛着をもっており、この形式はわれわれの才能とエネルギーのはけ口を提供します。 ベートーベンは異常な厳格さでこの曲を展開し、彼の変奏曲をVer??nderungenと(3)呼びました。その後のシューマン、ヘルツォーゲンベルク、ノッテボーム(4)は大いに違います。私はもちろんこれらの形式や音楽に異を唱えるものではありません。それぞれの性格に合うように、名前で区別してほしいと思います。 もしサスニッツのメニューを同封したら、奥さんは仰天され、羨むことでしょう。その点に関して困ることはありませんし、ピアノにも不自由していません。 私はカンタータの編曲には気が進みません。バッハのピアノ編曲は大変難しい仕事です。ピアノ編曲がコーラスの練習という実用目的のためであるのか、あるいは、水準の高いアマチュアのためであるのか、私は解答を得ていません。ペータース(5)と比較してリーターの態度は理解しかねます。 私はルツェルンで開かれる魅力的なパーティーを耳にしました。心をそそるものです。フラウ・シューマン(6)から、あるいは、フォルクランド氏からすでに朗報を聞かれるかしれませんが、彼女自身があなたの変奏曲を演奏されます。 あなた方ご夫婦に心からの挨拶とレープクーヘンのお友達にもよろしくお伝えください。 誠実なるあなたのJoh.ブラームスより
注
(1)ブラームスはこの前のライプツィッヒ滞在中フラウ・フォン・ヘルツォーゲンベルクとしばしばデュエットを演奏した。(2)ヘルツォーゲンベルクの作品は結局ブラームスの気に入らなかった。 (3)「ディアベリの主題による33の変奏曲(33 Ver??nderungen ??ber einen Walzer von A. Diabelli )、作品120」 (4)グスタフ・ノッテボーム(Gustav Nottebohm, 1817-1882)は、 ウィーンの学者肌の音楽家であり、ベートーベンとシューベルトのテーマ別のカタログを作成し、「ベートベニアーナ」と「ノイ・ベートベニアーナ」の著者で あり、その該博な歴史的・理論的知識でブラームスの非常な尊敬を受けていた。これはノッテボームの「バッハの主題による変奏曲」を指しており、ブラームス は作曲者としばしば演奏している。 (5)すでに出版され、より実用的なペータース版と比べて、ブラームスはリーター・ビーダーマンの版は良くないと考えた。事実その通りであることが証明され、リーターが出版したカンタータはたった5曲であった。 (6)クララ・シューマン(Clara Schumann,1819-1896)。作曲家ロベルト・シューマン(Robert Schumann)の妻で有名なピアニストであり、ブラームスとの親密な関係は1853年にさかのぼる。
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



