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6.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからヨハネス・ブラームスへ ライプツィヒ、1877年1月23日 親愛なる友へ まあ何ということでしょう!わたしたちもそうでしたけど、期待しすぎるときはいつもこういうものですね。「うますぎたのね。そうは問屋が卸さない」 ――(1)もおそらく同じ事を考えているのでしょうか。ところで、この人は緊張のあまり、最終楽章 が天国に昇り詰めるのか、地獄に落ちていくのか判断できなかったという噂です。 この話を聞いた後の二人だけの朝食は憂うつそのものでした。人生で真に良いことは、それを手にしているときには、当たり前のことに思われますが、失ってし まうと、むやみに悲しく感じられるものですね。しかしわたしたちはそれでも感謝しています。ええ、とっても感謝しています。あなたが当地にいらしたこと、 あなたのここでの振る舞いやここで楽しそうにしていらしたことを大変嬉しく思います。それだけでわたしは色々慰められました。わたしはうまくいかなかった ことばかり気にする性質です。時々気がとがめて、あなたをお呼びしてしまったのは、間違っていたのではと思うことがあります。あなたは、皆さんからもては やされ、ウィーン風の作法を身につけておられ、ありとあらゆる洗練された贅沢で恰幅が良くなっておられます。信じられないことがいつも起こりましたけど、 あなたはいつも、なんでもないという風にただ笑って、女主人のわたしを不安から解放してくださいました。とくにそのことを、そしてその他すべてを感謝します。あの日々がわたくしたちにとってどんなに素晴らしかったかをご自身に言い聞かせてください。振り返ってみられたとき、それだけがあなたに差し上げられた喜びでしょうし、ささやかな報酬になるものと信じます。 さて本論に入ります。フラウ・シューマンやお友だちが喜ばれると思いますけど、ベルリンを訪問する予定はありませんか。そのあとここにお立ち寄りくださいませんか(2)。 あなたがウィーンにまっすぐに帰るなんて、わたしたちは考えたくもありません。なんとかしてもう一度お泊りになることを期待しております。ですから、あな たのお泊りになった部屋はそのままにしてありますし、ハインリッヒはわたしの部屋の立ち机で仕事をしています。ミンナもそのつもりです。でなければ彼女は 今頃、全部を運び出しやら、掃除やらで、おおわらわのはずです。 ではさようなら。わたくしたちの事をいつまでも記憶にとどめてくださいね。どうか交響曲が早く印刷されますように。わたしたちはもう交響曲病です。あの大好きなのに、気を許すとするりと逃げだすメロディーを捕まえておくのにほとほと疲れてしまいます。 わが家の養女(3)からよろしくとのことです。あなたの誠実なる友にいつまでもかわらぬ友情をお願いします。 忠実なる者より (1) ゲバントハウスの理事の一人が流暢に交響曲の早々の再演に反対する弁を述べた。 (2) ブレスラウでの交響曲の演奏会の後。 (3) マティルデ・フォン・ハルテンタール(Mathilde von Hartenthal)、器用なアマチュア画家。 訳注: * エリーザベトは手紙の最後で、マティルデ・フォン・ハルテンタールのことを養女といっているが、実際に養女にしたわけではない。ライプツィッヒに滞在しただけである。子供がなかった彼女はブラームスに「養女です」と言ったのである。エリーザベトは後に家に住み込んでハインリッヒの弟子になったエセル・スマイスを「私が11才のときに生まれた子」といって可愛がった。 * ハインリッヒと同郷の女性で彼と同じ1843年に生まれたマティルデ・フォン・ハルテンタールという女流画家がいることは確かである。ウェッブのオークションのサイトでは、ライプツィッヒとは書いていないが、ザクセン王国の首都ドレスデン、オランダ、パリで活躍し、1920年に郷里のグラーツで死亡している。カルベックはアマチュアと言っているが、同一人物ではないだろうか。 |

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