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今日のドイツの詩人はヘルダーリンである。聞き覚えのある名前で選んでいる。調べてみると、ゲーテ、シラー、ヘーゲル、シェリングといったそうそうたる人物と交友あるいは面識があった人である。事典等を調べた思い込みと私自身の懐かしさからからくる思い入れからネッカー川の絵を選んだ。この詩の各行は川の流れを連想させるようで面白いがこれがうまくこのブログに繁栄されるかどうか? Abendphantasie Vor seiner Hütte ruhig im Schatten sitzt
Der Pflüger; dem Genügsamen raucht sein Herd.
Wohl kehren itzt die Schiffer zum Hafen auch,
Gastfreundlich tönt dem Wandrer im
Friedlichen Dorfe die Abendglocke.
In fernen Städten fröhlich verrauscht des Markts
Wohin denn ich? Es leben die Sterblichen
Geschäftger Lärm; in stiller Laube
Glänzt das gesellige Mahl den Freunden.
Von Lohn und Arbeit; wechselnd in Müh und Ruh
Am Abendhimmel blüht ein Frühling auf;
Ist alles freudig; warum schläft denn
Nimmer nur mir in der Brust der Stachel?
Unzählig blühn die Rosen, und ruhig scheint
In Licht und Luft zerrinnen mir Lieb und Leid! -
Die goldene Welt; o dorthin nimmt mich,
Purpurne Wolken! und möge droben
Doch, wie verscheucht von töriger Bitte, flieht
Komm du nun, sanfter Schlummer! zu viel begehrt
Der Zauber; dunkel wirds, und einsam
Unter dem Himmel, wie immer, bin ich. -
Das Herz; doch endlich, Jugend! verglühst du ja,
Friedrich Hölderlin
Du ruhelose, träumerische!
Friedlich und heiter ist dann das Alter.
夕べの想い 日陰になった小屋の前で静かにすわる
農夫。 ささやかに煙るかまど。
旅人に優しく響く平和な村の夕べの鐘。 舟もちょうど無事に波止場に戻って来たところ
遠くの町で嬉々としてざわめく市場の
私はどこに?普通の人間は賃金と労働で
忙しい音。静かなアーケードでは
落ち着けた食事で、友の顔は輝く。
生活している。苦労と安息の繰り返しながら
夕べの空に咲き誇る春のとき、
皆幸せなのだ。なぜ僕だけが胸の中にある
トゲで眠れないのだろう?
バラは無数に咲き、黄金の世界は
私の愛と苦しみを光と大気にとけこませ −
安らかだ。あそこに連れて行っておくれ
深紅の雲よ!できればもっと上に
だが、切なる願いを振り払うかのように
来たれ、安らかな眠りよ! 余りに願い多きは
逃げ去る魔法。いつものように空の下
暗く、孤独な私 −
心なり。だがやがて青春も!休むことなく、夢心地の
お前も燃えつきるのだ!
ヘルダーリン
老人が平和で、朗らかなのだ。
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2007年06月11日
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35.ブラームスからヘルツォーゲンベルクへ [ウィーン、1878年4月3日] ナポリのポステ・レスタンテ宛の手紙は4月14日から20日(1)までは下記署名者に届きますことを、尊敬する後援者の皆様にご通知申し上げるものであります。20日以降はローマに。彼はビルロート(2)(訳注1)とともに旅行し、手紙を書くこと、足を切断すること、その他あらゆるご注文に応じる所存であります。ご注文は彼と仲間によって細心の注意を払って実行されます。それ以上の計画はございません。おそらく5月の中旬にはウィーンに戻ってまいります。 では失礼します。 J.Br. 注 (1) ブラームスはビルロートとゴルトマルク(訳注2)とともに4月8日に最初のイタリア旅行に出た。ゴルトマルクはローマに残り、シバの女王(Die Königin der Saba)の最終リハーサルを監督した。一方、二人はナポリに向かったが、ビルロートはブラームスがイタリアの充分な印象を得るように配慮した。「私はローマを見たのでまあ満足です」とブラームスはエルネスト・フランク(Ernest Franck)に書き送っている。「帰る途中で見ます。その他すべては散漫なものです」 帰途彼はペルチャッハ(訳注3)にしばらく逗留し、ウィーンの友人のクーペルウィーザー博士とフランツ博士と出会った。「最初は非常に快適なのでもう一日泊まらねばと思いました」とアルトゥール・ファーベル(訳注4)に書いている。「しかし二日目が非常に快適であったので当分腰を据えることにしました」 (2) テオドール・ビルロート(Theodor Billroth, 1829-1894)は高名なウィーンの外科医で、熱烈な音楽愛好家であり、1866年にチューリヒで出会って以来ブラームスの親友であった。 訳注: 1.ビルロートのウィーン大学での手術光景 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/en/thumb/9/99/Seligmann_-_Billroth_operating.jpg/454px-Seligmann_-_Billroth_operating.jpg 2.ブラームスの親友であるゴルトマルクの写真 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/5/57/Goldmark_k%C3%A1roly.jpg/180px-Goldmark_k%C3%A1roly.jpg 3.ブラームスが好んだ夏の保養地ペルチャッハの風景。第二交響曲を作曲した所である。 http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8c/Poertschach_Niedere_Gloriette_Blick_auf_Velden_Woerthersee_28012007_07.jpg 4.ブラームスが有名な子守唄を献呈したベルタ・ファーベルの夫。ウィーンの裕福な実業家。
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