|
「今日の詩」もエメリー・ディキンソンのシンプルな詩である。20世紀初頭ある評論家によりエメリーは酷評された。女が編み物や刺繍をするように彼女は詩を書いた。その評論家がいう編み物とは、こんな詩であったろうか?編み物とはいわないが、日記をつけるように詩を書いたことは確かである。お得意のバラッド形式を守り、手馴れたものである。 Heaven is what I cannot reach! Heaven is what I cannot reach! The apple on the tree, Provided it do hopeless hang, That "heaven" is, to me. The color on the cruising cloud, The interdicted ground Behind the hill, the house behind, -- There Paradise is found! Emily Dickinson. 天国は私の手に届かないもの! 天国は私の手に届かないもの! 木になるリンゴ とても手が届かなくても この「天国」は私のもの。 流れる雲の色 丘の向こうにある 進入禁止の土地、裏の家 − 楽園はここにある! エメリー・ディキンソン
|
過去の投稿日別表示
[ リスト | 詳細 ]
2007年06月19日
全1ページ
[1]
|
私が十数年前にはドイツに行った時には、クララ・シューマンの紙幣があった。私が覚えているくらいだから、大した金額ではないだろう。私はドイツ女性で初めて紙幣にのったのは、クララだと思いこんでいた。だがもう一人いたのである。それは今日紹介する、19世紀前半に活躍した女流詩人アンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフである。彼女は切手にもなっていることをドイツのウィキペディアで確認したが、私には初めて聞く詩人である。 内容は当たり前のことで、自戒の念を込めて書いた詩であろう。彼女の真骨頂は、彼女が生活した北海に面する北ドイツの荒涼たる湿地帯の風景の描写に特徴があるそうである。また訳に挑戦してみよう。 今日は所用があるので早めに投稿する。 An meine Mutter So gern hätt‘ ich ein schönes Lied gemacht, Von deiner Liebe, deiner treuen Weise, Die Gabe, die für andre immer wacht, Hätt‘ ich so gern geweckt zu deinem Preise. Doch wie ich auch gesonnen mehr und mehr, Und wie ich auch die Reime mochte stellen, Des Herzens Fluten rollten drüber her, Zerstörten mir des Liedes zarte Wellen. So nimm die einfach schlichte Gabe hin, vom einfach ungeschmückten Wort getragen, Und meine ganze Seele nimm darin; Wo man am meisten fühlt, weiß man nicht viel zu sagen. Annette von Droste-Hülshoff 母に捧げる お母さんの愛情や誠実な振る舞い きれいな詩にするのは楽しかった。 次々に湧き出てくる贈り物 褒められて、私はつい詩作に励んだ。 でももっと書こうと思うほど 韻を踏もうと思えば思うほど 心の笛は上滑りしてしまい 詩の波の形を壊してしまう。 単純素朴な贈り物を受け取って 単純な飾りのない言葉から 私の心を汲み取ってほしいの。 感じたことを多く語らないもの。 アンネッテ・フォン・ドロステ・ヒュルスホフ
|
|
43.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ [アルノルドシュタイン]、1878年9月12日 親愛にして善良なる友へ もしやお知らせを受け取っていない場合を考えて、オイゲニー(1)から伺ったことをお知らせします。彼女のお母さんはキールにはいません。このことはとくに問題はないのですが、現在は、いくぶんか快適な空気で彼女の腕(2)を癒す目的で、ほんの短い期間リューデスハイムに滞在します。今週末にはフランクフルトに行きます。その間にマリー(3)がフランクフルトに来ています。フェリックス(4)が大変危険な状態のようです。オイゲニーによれば、片肺は手遅れですが、もう一方の肺は治る可能性があるとのことです。彼女たちはフランクフルトに近いファルケンシュタインの療養所につれていくことを提案しています。今週末には、オイゲニーが彼を連れて療養所を見にいき、もし彼が気に入ればそこにあずかってくる予定です。 あなたがわたしたちを訪問して頂いたことをあらためて感謝いたします。ご存知の通り、わたしたちはあまり派手には騒げなかったのですが、ご訪問でわたしたちが幸せであったことをご確認頂けたと思います。博士様、あなたと散歩に出かけることは、名誉と感激であるばかりではなく、心にふれる悦びでした。列車が蒸気をはいて行ってしまってから、わたしたちはまた静かな生活に戻りました。ヒルデブラント(5)(訳注1)は顔を出しませんので、このわびしい部屋での自然と仕事との交わりの中で、唯一の気晴らしになるのは、あなたと過ごした日々の貴重な思い出です。彼は今腰を下ろし、四重奏曲の楽譜に向かっているところです。新しいテーマと変奏の音符に譜尾を打ちながら、洗礼者ヨハネの唇から漏れる一言は、たとえ全能の神によって書かれたにせよ、「作曲様式」(6)にかんする百の論文より価値があると思っております。 わたしは今、ロ調と嬰へ調とイ調の三つの短調(7)(訳注2)からくる熱に断続的にうなされていますが、わたしの料理の本にはこの治療法はのっていません。 ええたしかに、この部屋にはあらゆる種類の霊がさまよっていて、迷信深いわたしたちは追い出さないように気をつけています… では今日のところはさようなら。ドレスデン近郊のホステルウィッツの宛先を送ってください。それともライプツイッヒの宛先にしますか。そして心の片隅に友愛の心をお願いします。それを考えるだけでこの上なく幸せなのです。 いつも誠実なあなたのエリーザベト・H.より (1) オイゲニー・シューマン(Eugenie Schumann)、ロベルト・シューマンとクララ・シューマンの4番目の子供で末娘。 (2) フラウ・シューマンは数年来腕の神経性リューマチを患い、しばしば演奏ができなかった。キールのエスマルク医師(Dr. Esmarch)はこの治療に当たっていた。 (3) 一番年上の娘。 (4) 末っ子で最も将来性を見込まれた男の子。シューマンがエンデニックの精神病院に入院中に生まれた。彼の詩はブラームスの歌曲の題材になっている。作品63の第5曲、第6曲、作品86の第5曲である。1879年結核で死亡。 (5) アドルフ・ヒルデブラント(Adolf Hildebrand,1847―)、彫刻家でマイニンゲンのブラームスの記念碑、ヘルツォーゲンベルク夫妻の墓のレリーフを製作した。 (6) リヒアルト・ポール(Richard Pohl, 1826-1896)、雄弁なワーグナー信者。Musikalisches Wochenblatt で「いかなる様式で作曲すべきか」のタイトルで、若き音楽家への手紙の連載を寄稿した。 (7)1876年に出版された3つのピアノ作品、作品76(1巻の第1曲と第2曲、第2巻の第7曲)のキー。 訳注 1.ヒルデブラントは今後も書簡集に登場するヘルツォーゲンベルク夫妻の友人である。保守的な彫刻家であるが、論理的で、彫刻の美学に関する著作は有名である。彼はロダンに代表される彫刻界の新傾向に警鐘を鳴らしている。音楽ではブラームス派である。純粋音楽の提唱者ハンスリックに相当する彫刻界の論客である。皮肉なことに保守的な彼の理論は20世紀の抽象的前衛彫刻の理論的支柱になった。彼は噴水をよく設計している。ミュンヘンのバイエルン王家のヴィッテルスバッハ公園の噴水は彼の作品である。観光旅行で見られた方もいると思う。 2.エリーザベトが熱にうなされた3曲の短調もうち2曲は YouTube で見つかった。作品76の1 カプリッチオ の演奏者はアジア系と思われる女性である。曲を思い出したい方はどうぞ。 作品76の2カプリッチオの演奏者はイーヴォ・ポゴレリッチである。 |

- >
- エンターテインメント
- >
- 音楽
- >
- 洋楽
全1ページ
[1]

桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



