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「今日の詩」はキーツの「バッタとコオロギ」である。私の抱いていたキーツのイメージを変える詩である。キーツは湖畔新人ではないが、彼らの影響を受けた詩である。そういえば、今晩は秋の虫の声がする。 On The Grasshopper And Cricket The poetry of earth is never dead: When all the birds are faint with the hot sun, And hide in cooling trees, a voice will run From hedge to hedge about the new-mown mead; That is the Grasshopper's--he takes the lead In summer luxury,--he has never done With his delights; for when tired out with fun He rests at ease beneath some pleasant weed. The poetry of earth is ceasing never: On a lone winter evening, when the frost Has wrought a silence, from the stove there shrills The Cricket's song, in warmth increasing ever, And seems to one in drowsiness half lost, The Grasshopper's among some grassy hills. John Keats. バッタとコオロギ 大地の詩が絶えることはない。 鳥が太陽の熱で弱り、涼しい木陰に 隠れても、生垣の至る所から 草を刈った牧場を語る声が聞こえる。 バッタの声が ― 夏の贅沢を リードし ― バッタはいつまでも 陽気だ。騒ぎに疲れはてたら のんびり草の陰で休養を取る。 大地の詩が休むことはない。 わびしい冬の夜、霜が沈黙を もたらすとき、暖炉から聞こえる コオロギの歌、一段と暖かくなり うたた寝してぼんやりした人には 草に被われた丘のバッタに思える。 キーツ
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2007年08月27日
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トラークルの「死の七つの歌」より第8作「浄化」である。シェーンベルクの有名な曲でトラークルとしては初登場のVerkl醇Brung はすぐに訳せた。しかしトラークルの詩はネイティヴには全く辞書が要らないのではないだろうか?辞書にない言葉としては Marien があった。固有名詞が活用するとはおもえない。聖母マリア像であろうか。とりあえずマリアと訳しておいたが気になる。 Verklärung Wenn es Abend wird, Verläßt dich leise ein blaues Antlitz. Ein kleiner Vogel singt im Tamarindenbaum. Ein sanfter Mönch Faltet die erstorbenen Hände. Ein weißer Engel sucht Marien heim. Ein nächtiger Kranz Von Veilchen, Korn und purpurnen Trauben Ist das Jahr des Schauenden. Zu deinen Füßen Öffnen sich die Gräber der Toten, Wenn du die Stirne in die silbernen Hände legst. Stille wohnt An deinem Mund der herbstliche Mond, Trunken von Mohnsaft dunkler Gesang; Blaue Blume, Die leise tönt in vergilbtem Gestein. 浄化 夜になると 青き顔が汝を静かに置き去る。 小さき鳥がタマリンドの木で歌う。 優しき修道僧は 死せる両手を重ねる。 白き天使がマリアを訪問する。 夜の花輪 スミレ、麦藁、真紅の葡萄 鑑賞者の年。 汝の足元に 開く死者の墓が開き 汝は額に銀色の手に置く。 静かに宿る 汝の口に秋の月 ケシに酔いてさらに暗き歌。 青き花 黄ばみたる石に穏やかに響く。 トラークル
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112.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ ヴェルンスドルフ・バイ・カーデン(1) 1882年7月13日 親愛なる友へ 経験からご存じのように、どんなに努力しても、手紙が来ないことはあるものです…フランクフルトのフラウ・シューマンの邸宅は素晴らしく快適です。ここで 一週間楽しいときを過ごしました。彼女の職業的手腕を拝見してすっかり魅了されました。彼女は頬を紅潮させ、とくに優秀な弟子さんをわたしたちに紹介し、 演奏を聴かせてくれました。――彼女は聴きながら、厳格でいて心優しく、先生と母親の役を交互につとめていました。つい心ひそかに「生まれ変わって彼女の弟子になれたら」と考えてしまいました。 忘れられないのがシュトックハウゼンの家での夜でした。彼はフラウ・シューマンの伴奏で「詩人の恋(Dichiterliebe )」(2)を 歌いました。新鮮かつ自然でした。彼がこの歌曲集を歌うのは初めてのことでした。彼の深い誠実さと生命力にしばしば心を奪われました…わたしが嫌悪感を催 した公女がいました。わたしが鼻眼鏡と白粉を塗った鼻にすぐに偏見を持ってしまうのはたしかですが。彼女がフラウ・シューマンに親しげに近づいたときに は、エグランティンとオイリアンテを連想してしまい、苦痛でした。オイリアンテが彼女の手をさすって他人を仰々しく遠ざける仕草はお芝居同様でした。 わたしたちはデソッフ(3)家 を訪問しました。一つだけいいたいことがあります。どうすると、ザクセン人がこんな北方人になってしまうのでしょう。二人の人がうち解けるのにいつも何十 年もかかるというのでしょうか。二人は地球上の特定の場所から出て、一方は宮廷楽団の指揮者として、一方は何某さんとして会います。二人の間で交わされる 陳腐で、意識して感情を表さない話は辛いものです。子供たちだけは純粋でした。わたしはあなたの名付け子であるヨハネス(4)に魅せられました。わたしがソファの隣に座るように手招きしましたが、彼はしっかりと可愛らしく言いました「いいえ、僕は疲れていません」と。 今頃はもう発たれているでしょうし、さようならを言いましょう。おそらくお手紙はベストビー、シュロッス・ベストビー、ポスト・ベストビー、ボヘミアで頂くことになると思います。来週はここにいます。7月1日にはグラーツに着いています。ケルブラーガッセ 32です。 あなたの歌曲集はなぜ出版されていないのですか。できるだけ早く送ってください。――では失礼します。 誠実なるあなたのヘルツォーゲンベルク夫妻より (1) 西北ボヘミアの町。 (2) シューマンの歌曲集。 (3) オットー・デソッフ(1835-1892)、元ウィーン・フィルハーモニーの指揮者。1881年にフランクフルトの市立劇場の第一指揮者に任命された。 (4)デソッフの息子。
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...

