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「今日の詩」はエミリー・ディキンソンの「空白も苦痛である」。空白が一向に苦にならなくなった私には、彼女はきわめて神経症的な詩人である。「空白」を「不毛」とか「記憶喪失」と解釈すれば思い当たる私であるが、彼女はそんなことに悩んでいるのではないだろう。はたしてエミリーは詩に新しいテーマを導入したのか。 Pain Has An Element Of Blank Pain has an element of blank; It cannot recollect When it began, or if there were A day when it was not. It has no future but itself, Its infinite realms contain Its past, enlightened to perceive New periods of pain. Emily Dickinson 空白も苦痛である 空白もまた苦痛である。 空白が始まった時も 空白が終わった日も 一切記憶がないのだ。 空白は空白であり将来がない 空白の無限の領域には 空白の過去を悟れば 新たに苦痛の期間が始まる。 エミリ−・ディキンソン
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2007年09月09日
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今日のドイツの詩はドイツ表現主義の詩人シュタットラーの「庭のバラ」である。咲き誇るバラの花に、萎み行く姿を想ってしまうのは古来のテーマである。だがボルトの詩にもあるように、おおよそ詩的とは思われぬ言葉や近代の科学的知識に由来する言葉が詩に登場している。 すでにロマン派の詩人の中にも科学的新発見を恨む詩人と新発見を詩に取り入れ、新しい詩の分野を開拓しようとする詩人に割れていたが。シュタットラーの詩の主題は咲き誇るバラでも、はかなきバラでもない。彼が第一次世界大戦の開戦早々に戦死したことを知った上で言っているのだが、何か不気味な自身の崩壊を予測しているみたいである。 Die Rosen im Garten Die Rosen im Garten blühn zum zweiten Mal. Täglich schießen sie in dicken Bündeln in die Sonne. Aber die schwelgerische Zartheit ist dahin, mit der ihr erstes Blühen sich im Hof des weiß und roten Sternenfeuers wiegte. Sie springen gieriger, wie aus aufgerissenen Adern strömend, über das heftig aufgeschwellte Fleisch der Blätter. Ihr wildes Blühen ist wie Todesröcheln, das der vergehende Sommer in das ungewisse Licht des Herbstes trägt. Stadler, Ernst (1883-1914) 庭のバラ 二度目のバラが庭に咲いている。 毎日陽を浴び束で咲いても 豪奢な優しさも残り 一番星の赤や白の輝きに 合わせて庭で揺れる。 どっと咲く出るバラ 逞しい木の葉の肉体に 流れ出る血液のよう。 バラの激しい開花は あてにならぬ秋の光を浴び 過ぎ行く夏が持ち来る 臨終のうめき声。 シュタットラー
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125.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ ライプツィヒ、1883年11月24日 親愛なる友へ あなたが新作の交響曲を持って二月にいらっしゃるという良き知らせをぜひ確認したいと思います。一番歓声をあげるのが誰かはご存じのはずです。ですからどうかわたしたちの疑問を晴らしてください。 スコアを少し前に練習される可能性についてはいかがでしょうか。あいにく一愛好家と同じで理解が遅いものですから、わたしには十倍も楽しいはずです。ビュルナーやヨアヒム(1)がつぎつぎにこの交響曲を指揮していますので、わたしは不遜にも考えたのですが、指揮するつもりはなくても、凡人がスコアに手をおくことはできないものでしょうか。どうかこの無上の喜びを保証して頂けませんか。あなたがわたしをずうずうしいと思われる危険を承知でぜひお願いします。わたしは常々謙譲は本来非実用的なものだと思っておりましたから、たまには強い願望を表して許されるべきです。そのうえ、今年の夏に被った長いご無沙汰の償いを必要としています。 歌を二、三かあるいは軽い曲でも懐かしい茶色のコートのポケットに入れて持って来てくださることを希望します。すごく嬉しいのです。新しい歌を待ち遠しいのです。わたしは以前の歌が大変好きです、というよりますます好きになってきました。歌うこと――たんに読むのとは違います――にもっと勇気が出てきまし た。わたしは昨日「雨の歌(Regenlied)」 を試してみました。思わず泣き出してしまい、途中で止めました。 ここではものすごくたくさんの音楽があります。いちいち聞きに行っていたら、すぐにお墓に入ることになりますが、そこは外交上手にやっています。でも、最 近のヨアヒム四重奏のコンサートには行かなければなりませんでした。ベルリーニのケルビムのように演奏します。トーンは繊細で純粋でした。先日のわたした ちのように、あなたもご自分のイ短調(2)を 聴かれたらと思いました。ウィーンではそれを聴かないのでしょう。こんなに忠実な人たちに囲まれているあなたをときどき想像できなくなりますが、そのたび にご自分の曲をまったく聴きたがらないのを思い出します。たしかに、ここのオーケストラにもう少し、泡とか香りがあればと思うことがあります。でもあなた のハ短調は驚くほどの出来映えでしたし、一、二年もたてば見事に演奏されるでしょう。ライプツィッヒの人はわたしよりも晩生ですから。スケルツォ――変イ 調の楽章のことですが――とフィナーレは先日大変きれいに演奏されました。あなたのお知り合いのオランダ人(3)がたまたま居合わせて、わたしたちは愉快な思いをしました。彼らの意見は合理的で、爽やかさを感じ、仲良くなりました。時々グリーグを聴くことがありますが、なんて魅力的で、感受性豊かな性質の方でしょう。彼には性格的に決断力があります。きわめて稀なので、この種のこと {楽譜}(4) も他の人よりも大目に見ることができます。 ではもうここらで終わりにします。もう一度、お願いします。手紙の最初の部分をゴミ箱に入れないでください――わたしたちが忘れたい物にたいしてみな心の中に抱いている大きな物です。本気で言っています――それに互いに助け合わなければいけません。 あなたがわたしたちのことを気にかけていることを保証するお便りを下さい。――では失礼します。 あなたの忠実なハインリッヒとエリーザベト・ヘルツォーゲンベルクより (1) ベルリン。ヨアヒムはこの曲を1884年1月4日に指揮し、ブラームスはまもなくビュルナーのコンサートで自ら指揮した。 (2) イ短調四重奏曲第2番、作品51。 (3) 交響曲第一番。 (4) ジレムとコープマンという人物。二人はブラームスのアムステルダムの友人で、ライプツィッヒを訪問していた。 (5) チェロ・ソナタ作品36から。 (6) 意識的に南ドイツの方言を使った。 (7) エセル・スマイス。 (8) アンリ・ペトリ(Henri Petri, 1856−)ヨアヒムの弟子でブリュッセル音楽院の学生。1882年にゲバントハウス管弦楽団の首席奏者に指名された。 「雨の歌」の作詞者クラウス・グロートはブラームスの親友である。同じ低地ドイツ語圏の出身であり、気が合った。 |

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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



