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「今日の詩」の選者が送ってきたのはフロストの “What Fifty Said” 「五十にして想う」である。彼の二詩節の韻文詩であり、過去と現在をきれいに対照させている。多作な彼にしてみれば、スラスラと書き上げた韻文である。韻の構造は [a, a, b, b]である。 What Fifty Said When I was young my teachers were the old. I gave up fire for form till I was cold. I suffered like a metal being cast. I went to school to age to learn the past. Now I am old my teachers are the young. What can't be molded must be cracked and sprung. I strain at lessons fit to start a suture. I go to school to youth to learn the future. Robert Frost 五十にして想う 若い頃、僕の先生は年配だった。 凍えるまで火を我慢して鍛錬した。 苦労して鋳型にはまる金属になった。 過去を学び、歳を取りに通学した。 歳を取った今、僕の先生は若い。 今は鋳型を割って壊してしまう。 縫い合わせを懸命に学んでいる。 未来を学び、若返りに通学する。 フロスト
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2008年01月14日
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今日のリルケは "Kindheit" 「幼年時代」である。題名からしてもっと早くに訳しても良かった詩である。今日まで遅れていたのは、いつものように辞書に用例のない表現に満ち溢れているからである。大人の時代の「お話」よりも、想い出に耽る詩は難しいのである。今日もリルケの模範解答を早く見たいがための投稿であり、見たらいい歳をして顔を赤らめるであろう。 Kindheit Es wäre gut viel nachzudenken, um von so Verlornem etwas auszusagen, von jenen langen Kindheits-Nachmittagen, die so nie wiederkamen – und warum? Noch mahnt es uns: vielleicht in einem Regnen, aber wir wissen nicht mehr was das soll; nie wieder war das Leben von Begegnen, von Wiedersehn und Weitergehn so voll wie damals, da uns nichts geschah als nur was einem Ding geschieht und einem Tiere: da lebten wir, wie Menschliches, das Ihre und wurden bis zum Rande voll Figur. Und wurden so vereinsamt wie ein Hirt und so mit großen Fernen überladen und wie von weit berufen und berührt und langsam wie ein langer neuer Faden in jene Bilder-Folgen eingeführt, in welchen nun zu dauern uns verwirrt. Rainer Maria Rilke 幼年時代 失われた事を想い出して 証言するのも楽しいもの。 決して取り戻すことない あの幼年時代の午後―なぜ? でも想い出す。雨降りと 思うが、正確に記憶しない。 この出会と再会と出発に 二度とは恵まれなかった。 あの時ほど物や生物に 事が起こったことはない。 我らは人間として生活し 存分に想像に満ちていた。 さらには鹿のように孤独で 偉大な過去を背負いながら 周囲から呼ばれ、影響され 次第に長くて新しい撚糸が 画像に縫い込まれるように 今もって我らを混乱させる。 リルケ
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251.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ ベルリン、1890年10月9日 親愛なる友へ 新作がわたしにとってどんな出来事であるか、あなたにはしばしばご説明してきました通りです。ですから、わたしがあなたの二人のお子さんをいただきながらお礼状を出していないからといって、誤解されることはないものと信じております。ハインリッヒは最近あなたに、わたしの健康がすぐれないとお手紙しました。わたしはずっと呼吸が困難で、ほとんど――肉体運動のみならず精神的にも――麻痺したような感じでした。この種の圧迫感は人のプシケにも作用し、彼女の羽はすぐに萎えてしまうのです。わたしを回復させるとしたら、それはあなたのスコアを見ることでした。新しい五重奏曲(1)の光り輝く景色を眺めながら散歩することでした。そこには旋律性と愛らしい優しさと天国的平安があふれています。「前の」へ長調五重奏曲があまりに感動的だったために、新曲(2)は足場を見つけるのに難儀しました(旧友はやはり一番好きです)。でもわたしはすぐに新人に気を許すようになりました。今では、そのより大いなる美と恵み深さ、より熟して甘いヴィンテージを認めるものです。でもなぜ、比較するのでしょう。どちらも共に並ぶ価値があるのです。 最初の冒頭にまず魅せられました。ト短調の六重奏曲の雰囲気に運ばれていくような気がしました。この吉兆で始まった交友はいかなる時も幻滅を感じさせませんでした。その美妙な比率と簡潔さから、この曲はその途中で理解できるのです。過剰なものを排したゆえの構造の明晰さ、それぞれのパートがその割り当てられた役割を完璧に演じています。すべての人が――この曲を楽しみのために選ばなかったすべての人――そこから多くを学びます。わたしがすぐにもぜひ聴きたいのです。へ長調と違い、軽い気分の響きを奏でるに違いありません。この地の名演奏家ですら、この曲の輝きを引き出すためには、全力を発揮しなければなりませんが、そのすべてが完備されています。最初の進行のなんと魅力的なこと、そしてチェロの旋律も。巧妙な導入(2)により第二主題がまるで媚びるようです。コーダ(H)(3)の冒頭小節は多少粗いように感じました。フィドゥルとビオラの模倣は明らかに意図されたほどには媚びてはいません。しかし、わたしは先刻ご承知のことと、わたしを魅了した小節を列挙しません。あなたがうんざりしますから。わたしはアダージオが見事であると言うにとどめます。一番の五重奏曲(4)の嬰ハ短調は偉大でしたが、その一様で連続的な性格のゆえに、この曲にはるかに高い評価を与えるものです。対照のために設計された中間部は多少気になりますが、ここでは色彩が互いの輝きを強調するよう配合され、同じ穏やかな気質が支配的です。すてきな楽章です。非常な厳粛の後のアレグレットは喜ばれるでしょう。音楽的に正当化される以上に活発さを見せびらかすことなく、緊張をほぐすものです。このような洗練され、しゃれた笑いは充分です。そして、一様に保たれたニ音上の――あなたはお友達がここで納得してうなずき合うことをご存じです――da capoの前の素晴らしいクレシェンドを伴ったトリオのコーダ。フィナーレは聴いてみるまでは全面的に評価はできません。これは目の音楽ではなく、響きの良い耳の音楽です。あまりにも豊富でわたしの想像力を越えるものです。旋律のリズムと流れは変ロ長調コンチェルトのスケルツォを連想させます。 {楽譜挿入}(5) これはあなたのような貯蔵品を持つ人にはかなり目立つものです。同じ親を持つ子は明らかに似ているし、自然の貯蔵品は無尽蔵です。したがって、これでなくてはならない、結論として、特定の動機は、この楽章で共に浮かれ騒ぐ曲が数多くても、これが唯一の曲なのです。わたしは第二主題(6)とその後の甘いもつれにキスしたくなります。それは最初の時は綺麗で、二度目には賢くなり、展開部では(もっと長ければと思われます)魅力的で、抵抗できません。ニ音(7)の上で再び旋回します。ここではどれほど運動と揺れがあることでしょう。展開部ではなんというテンポでしょう。細部がなんと若々しく魅力的なのでしょう。これを工夫した人は軽やかな気分になったに違いありません。あなたが30才の誕生日を祝っていると思われます。 魅力的な曲を下さったときに、わたしたちはそれを喜ぶことにします。あなたの若い心が創造した作品を楽しめるのは、自分の心が若いからであり、そのこと喜びを感じます。 わたしは不思議に改作されたトリオに哀れみを感じます。わたしの内にある何ものかが改作に抗議しました。時々不明瞭ではあるものの、若き日の愛すべき作品の名人芸に踏み込む権利はないようにも感じました。でも、だれも同じようではありえないのだから、その曲は出来が良くなかったのかもしれないと思うことにしました。「香りがあり、輝きがあった(Es war ein Duft, es war ein Glanz)」(8)と嘆き歌うことにしました。 わたしは旧作を努めて見ないことにしました。わたしは多くのパーツを忘れましたし、新聞には気をつけていませんので、新しいブラームスが連結された箇所を知りません。それでも、第一楽章の挿入(9)は直ちに気が付き、完全に無防備にされ、有頂天になって弾き続けました。この曲は現在の形式で美しく、あなたを咎める仕事は音楽言語学者に任せることにしました。彼らは作品自体よりも作品の年代に関心があるのです。――シュピッタのことではありません。彼は柔軟になりました。――アダージオは短縮により滑らかさを見事に獲得しました。第一主題の輝かしく威厳のある歩みはいささかも魅力を失っていません。おそらく変更がほとんどなかったと思われるスケルツォでは、当初の意図の明確な強調に驚きかつ敬服しました。ようするに、知的な容貌と若々しい肌のこの曲を歓迎しない人がいるでしょうか。「改めてそれがいかに偉大であったことを知るのです(Nun kann man’s zweimal lesen, Wie gut ist das gewesen!)」。 今日はこれでさようなら。あなたの傑作を見る機会を下さり心から感謝します。この二曲を――とくにパーツ付きの五重奏曲――ヨアヒムにできる限り早く送ってください。 ヘルミーネ・シュピースは昨日とても見事に歌ったということです。わたしは彼女に会うことも聴く機会もなくただ自分の殻に閉じこもり、あまり悲嘆に暮れないようにしています。家で楽しみを見つけています。 あなたの旧友で崇拝者であるエリーザベト・ヘルツォーゲンベルクより (1)ト調の五重奏曲、作品111。 (2)5ページ第7小節。 (3)総譜のH文字。 (4)作品88の第二楽章「重々しく情熱的に(Grave ed appassionato)」(英訳者注)。 (5)作品111、48ページ第9小節。 (6)作品8(書簡247注記)。 (7)ブラームスの歌曲「望郷(Heimweh)、作品63第9曲」の引用。 (8)旧版の4ページ第8小節。主な改定部分は展開部にある。
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



