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逆説の詩人エミリー・ディキンソンが「逆説」をさらに逆説しているようだ。エミリー論理学のお話。彼女が二つの命題から彼女の「三段論法」で結論を導き出している。現代の形式論理学から彼女の推論過程の妥当性を検証しても仕方がないが、「結論」から「論理的」に推論するに、どうも彼女は忘れたいのにいつも想い出すタイプ。 韻を無視してはいないが、ロマン派の基準では投稿は却下されることは間違いなしの「詩」。 If recollecting were forgetting, If recollecting were forgetting, Then I remember not, And if forgetting, recollecting, How near I had forgot, And if to miss, were merry, And to mourn, were gay, How very blithe the fingers That gathered this, today! Emily Dickinson (1830-86) 想起は忘却を含意すれば 想起は忘却を含意すれば 私の記憶は無となり 忘却は想起を含意すれば 私は殆ど忘れている。 ウキウキとこれを懐かしみ ルンルン気分で偲べるなら 今日これをひろい集めた 指は大変な果報者になる! エミリー・ディキンソン(1830-86) これとは「失われた記憶」である。
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2009年10月21日
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パウンドのイマジスト風の詩である。 In a Station of the Metro The apparition of these faces in the crowd : Petals on a wet, black bough Ezra Pound (1885-1972) メトロの駅で 群集の中 顔、顔、顔 幻影 花弁が 黒く濡れた 枝に エズラ・パウンド(1885-1972)
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...


