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昨日は復活祭だった。春分後の最初の満月から最初の日曜日が復活祭というのは定年後暇ができてようやく覚えたが、鶯に聞き惚れて桜の花弁の落下を見詰めているうちにすっかり忘れていた。 復活祭といえば、思い出す話がある。復活祭に教会に出かけたキリスト教徒の知り合いと会う機会があった。彼によれば、牧師さんは「『復活』を描いた絵の最大傑作は日本で見ることができる。キリスト者の皆さんぜひ行きましょう」と結んだ。画家の名はマティアス・グリューネヴァルト(Matthias Grünewald)。牧師さんは信者たちと四国の大塚美術館に出かけたそうである。 美術愛好家である別の友人も定年後には イーゼンハイム Issenheim の祭壇画を見にコルマール Colmar へ行きたいと言っていた。聖地は遠くにあるべきものである。辛い長旅であるから巡礼したい。コルマールは聖地なのである。私はまだ大塚には行っていない。 私はイーゼンハイムの祭壇画を解説した Grünewald: le maître d’Issenheim というフランス語の美術書を持っている。いつか苦もなく読み通すことを夢見て今日に至っている。この本を読んで謎の画家の真実が明らかにされるわけではないが、マティアス・グリューネヴァルトという画家の人となりには関心を持ち続けている。 それにしても実に偉大な表現力である。その後のドイツの表現主義の「表現」なぞは画業に行き詰まった末の苦悩の稚拙な「表現」に過ぎない。たしかに宗教画の最高傑作である。このような作品があの時代に生まれたこと自体奇跡である。 カトリック修道会の依頼でイーゼンハイムIssenheimの祭壇画は制作されている。ここまでは順調なグリューネヴァルトの後半生に関する資料がない。彼は何らかの理由で不遇になったと見るべきである。彼はドイツ農民戦争に共感を持ったという説があり、この説は否定し難いようである。彼は宗教上の選択を迫られたのであろうか。聖職者でも神学者でもない一信徒にしてみれば、誕生前に親なり領主なりが宗派を決めてくれれば幸せである。さらに職匠に安定した収入を保証する教会と自らの信条が一致すればなおさら幸せである。 いつものように不遇の芸術家はロマンティックな想像の対象になる。だが祭壇画の凄まじい迫力は単なる職人芸とは言いきれないものがある。「伝説」が主張するように、彼は宗教上の信条に殉じた芸術家だったのかも知れない。唯一の証人はイーゼンハイムの祭壇画である。
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2009年04月13日
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こんな断章を残して彼は突然小舟を襲った大波に溺れて死ぬのである。まるで予感がしたかのようである。 I faint, I perish I faint, I perish with my love! I grow Frail as a cloud whose splendours pale Under the evening's ever-changing glow: I die like mist upon the gale, And like a wave under the calm I fail. Percy Shelly 1792 – 1822 僕は疲れ、死す! 僕は恋に疲れ、恋に死ぬ! 僕は夕べの移ろう光に 輝く青白い雲。 僕は谷間に消えいく霧 僕は凪に消えいく波。 パーシー・シェリー 1792 - 1822 上の絵は水死後荼毘に付されたシェリーと三人の仲間。三人のうち向かって右の男がバイロン卿である。バイロン卿は2年後にギリシャで熱病死している。
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



