ヘ短調作品34

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第2章 名声への階段(2)

私の継父は引退していましたので、クレリ街にある、ルベールの邸宅に住むことになりました。ムッシュー・ルブランJean Baptiste Pierre Le Brun (1748-1813)がこの家を買ったばかりで、独りで住んでいました。私たちがそこに住み始めてから、彼の部屋を埋め尽くしていたあらゆる流派の見事な傑作をつぶさに見ました。大家の作品に直接ふれることが出来る機会に恵まれて大喜びしました。ムッシュー・ルブランは親切にも私の模写のために、最上級の絵を貸してくれました。こうして彼のおかげでひょっとすると今までで一番勉強になったと思われ、私は非常に感謝しました。6ヶ月経って彼は私に結婚を申し込みました。彼は体格がよくて愛想のいい顔をしていましたが、彼の妻になりたいとは思ってもみませんでした。私は当時20歳で将来に関しては不安を感じたことはありませんでした。私はすでに大金を稼いでいましたから、結婚したいなどと思ってもいませんでした。しかしお母さんは彼が大変裕福だと信じていましたから、何かとこの縁談を受けるように言いました。とうとう私はこの縁談を受けることになりました。継父と同居する苦しみから逃れたいという願望もありました。引退してから彼ますます不機嫌になったからです。これでホットしました。私は教会に行く途中でも「受けようか、断ろうか」と言い続けていましたから。ああ私は結婚を承諾してしまったのです。このために現在の問題と引き替えに新しい問題を抱えることになりました。ムッシュー・ルブランがひどい人であった訳ではありません。彼は誰にも親切でした。一言で言えば、気持ちのいい人でした。彼は物凄い賭博狂で自分と私を破産寸前に追い込んだのです。彼は私の財産を自由にしていました。1789年に私がフランスを出国するとき20フランも無い有様でした。これまで私は少なくとも百万フラン稼いだのですが。彼は全部使い果たしたのです。

結婚はしばらく秘密にしてありました。ムッシュー・ルブランは絵の大きな取引をしていたオランダ人の娘と結婚すると思われていたのですが、この縁談にケリをつけるまで結婚を秘密にしてくれと言いました。この話には喜んで同意しました。私は旧姓を捨てたくなかったからです。私はこの旧姓で知られていましたから。秘密はいつまでも守られませんでしたが、このことが将来大変なことになりました。私がムッシュー・ルブランとの結婚を考えていると信じていた人が数多くやってきました。そんな愚かなことをするなと忠告しに来ました。王冠職人のオーベルが親身になって忠告してくれました。「ムッシュー・ルブランと結婚するぐらいなら、首に石をつけて川に身投げした方がいいよ。」ダランベルク公爵夫人が(Duchess d'Aremberg)、マダム・ド・カニージャス(Mme. de Canillas)、ポルトガルの大使夫人マダム・ド・ソウザ(Mme. de Souza)と連れだって忠告しに来ました。夫婦の絆が結ばれて2週間後のことです。「お願いだから、ムッシュー・ルブランとは絶対に結婚しないでね」と伯爵夫人は叫びました。「結婚したら悲惨よ!」とも言いました。幸せいっぱいの私が信じるわけがない事をさんざん言いました。後に真実だったことをいやと言うほど知らされました。結婚を宣言してこの警告もなくなりました。でも好きな絵のおかげで警告はいつもの元気には影響がありませんでした。各方面からやってくる注文に応じ切れませんでした。ムッシュー・ルブランは私が受け取った謝礼を着服するようになりました。さらに収入を増やす方法を思いつきました。私は彼の目論見にすぐに同意しましたのです。

私が当時描き上げた肖像画の数は桁外れでした。私は当時流行の女性の服装スタイルが嫌いでしたので、この流行を絵のように美しくさせるように努力しました。私はモデルの信頼を勝ち取り、私の好みにあった服装を着せては喜んだものです。皆さんはショールを身につけてはいませんでした。幅の広いスカーフを体や腕のまわりに絡ませました。これはラファエロやドメニキーノ(Domenico Zampieri,1581 - 1641)の美しい衣装をまねたものでした。ギターを弾く私の娘の肖像画がその例です。それにパウダーが我慢できませんでした。私は美しいド・グラモン・カドゥルース公爵夫人(Duchess de Grammont-Caderousse)にパウダーをつけないように説得しました。彼女の髪は真っ黒でした。私は彼女の前髪を分けて乱れ髪にしました。晩餐の時間になり、モデルをしおえても、彼女はその髪型を変えず、劇場にそのまま向かいました。これほどの美人ならもちろん流行に影響します。実際このヘア・モードを真似する女性がまもなく現れ、これが普通になりました。想い出されるのは私が王妃の肖像を描いていたときです。パウダーをつけず、前髪を分けてくれるようにお願いしました。王妃は笑いながら「私が流行の最後を行くことになるわね」と言われました。「広い額を隠したかったとは言われたくないけど」

私が述べましたように、私は注文で追われていましたし、人気も大変ありました。結婚してまもなく、私はフランス・アカデミーの会議に出席しました。ラールプが女の才能につて講演をしました。私が始めて聞くような大げさなほめ言葉を話し始め、私の絵を褒め称え、また私の微笑をヴィーナスの微笑みにたとえ、「ウォーウィック」の著者は私に視線を向けました。この式典に参列されたシャルトル公爵夫人( duchesse de Chartres (1769-1785)とスエーデン王(Gustav III ,1746 – 1792)をはじめ満場が立ち上がり、私の方を向き、熱狂的な拍手をくださいました。私はどきどきし卒倒しそうでした。

このような名誉ある喜びも母になることを知った喜びに比べれば比較になりません。わが子の最初の産声を聞いた喜びを書くつもりはありません。母親になられた方ならだれしもご存じの感情です。

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