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第二章 名声への階段(4) 私が王妃を始めて描いたのは1779年のことです。王妃が若さと美貌の絶頂にあった頃です。マリー・アントワネット王妃は背が高く、体つきがすばらしい方でした。少し太ってみえましたが、太りすぎではありませんでした。腕はすばらしく、手は小さくて、形は完璧でした。魅力的な足をしておられました。王妃の歩き方は完璧でフランスの女性の中でも最高でした。頭をまっすぐに上げて、威厳があり、宮廷の王妃の風格がありました。それでいてこの威厳で彼女の顔の愛らしさを損なわれることは決してありませんでした。王妃に会っていない人には、彼女の人柄の優雅さと高貴さを結びつけることが出来ないでしょう。彼女の顔立ちはちょっと変わっていました。オーストリア人の特徴である長くて細い卵形の顔立ちを受け継いでいました。目は大きくありません。目の色はほぼ青でした。鼻はすっきりしており、愛らしく、口は大きすぎませんでしたが、唇はちょっと太い方でした。彼女の顔で特筆すべきは、肌の色の素晴らしさでした。こんなにすばらしい肌は見たことがありません。彼女の肌は透明で絵に茶色はいりません。この肌の効果を思うようには描けませんでした。こんな新鮮さ、繊細な色を描く絵の具がなかったのです。これは彼女にしかないものですし、他の女性で見たことはありません。 はじめてモデルになって頂いたときは王妃の堂々たる態度に私は怖じ気づきました。しかし王妃は優しく話しかけられましたので、私の恐怖心も消えました。この時でした。私は大きなバスケットを持ち、サティンのドレスを着て、手にバラを一輪持っておられる絵を描きました。この肖像画は王妃の兄の皇帝ヨゼフ2世陛下のために描かれたものです。王妃はそれ以外に2枚の模写を注文されました。一つはロシアの女帝に、もう一つはヴェルサイユかフォンテンブローのご自身のお部屋に飾るためでした。 私は王妃の肖像をいくつか描きました。腰から上の肖像を描きました。私は彼女がうすいオレンジ・レッドのドレスを着て、テーブルの前に立ち、花瓶に花を活けている所を描きました。幅の広いフープスカートを着ないで、普段着の彼女を描きたかったのですが、想像して頂けるでしょう。この肖像画をお友達や外国の公使たちにプレゼントしていました。一枚の絵はわらの帽子をかぶって、白のモスリンを着ていました。そではきちんとですが、まくれていました。この作品がサロンに展示されたとき、悪意のある人たちは王妃がシュミーズを着ているところを描いたと評しました。その頃は1786年ですから、彼女に対する中傷が激しかった頃です。それでもこれらの肖像画はたいへん好評でした。 展覧会の最後の頃にボードヴィル劇場で小作品が上演されました。「絵の集会」とかいうタイトルだったかと思います。建築家のブロンニアール(Alexandre-Théodore Brongniart 1739 – 1813)と夫人が一階のボックス席をとり、劇の最初の公演で私を呼んでくれました。脚本家は二人には劇の筋を内緒にしていました。私をびっくりさせようという魂胆があるとは思いもよらず、絵を描いている場面が登場し、王妃の肖像を描いている私を女優が演じました。そのときの私の気持ちを察してください。同時に普通席やボックス席の全員が私の方を向き、拍手喝采をしたのです。あの晩の私ほど感謝の念を抱いた人がこの世にいるとは思えませんでした。 私はありがたいことに王妃に親しくしていただきました。王妃は私の声がちょっと良いことを耳にされてからは、肖像画を描かせていただくときは、私はグレトリーと一緒に二重唱を歌ったものです。彼女自身、歌はお上手ではありませんでしたが、音楽が大好きだったからです。彼女の魅力や愛想の良さをここでお伝えするのは困難です。マリー・アントワネット王妃が彼女に拝謁の栄に浴した方には、気持ちのいいお言葉を必ずおかけになったと記憶しています。そしていつも私に下さったご親切は、私のもっともすばらしい想い出です。
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