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Where Roses would not dare to go,
Where Roses would not dare to go,
What Heart would risk the way —
And so I send my Crimson Scouts
To sound the Enemy —
Emily Dickinson
バラが咲かない所に
バラが咲かない所に
植える人はいない――
深紅の斥候を派遣し
敵情を偵察させる――
エミリー・ディキンソン
バラが咲かないとはバラが病気だからであろう。「うどん粉病」はその代表例である。エミリーは病気を試すべく、「真紅の斥候」をその土地に植えて情報を入手しようとした。「真紅の斥候」とは何か。
バラが咲かないとはバラが病気だからであろう。「うどん粉病」はその代表例である。エミリーは病気を試すべく、「真紅の斥候」をその土地に植えて情報を入手しようとした。「真紅の斥候」とは何か。 「真紅の斥候」はバラ科に属する安上がりの植物イチゴではないかと思った。イチゴの育つ所にはバラも育つと考えたが、そんな話は聞いたことがない。誰かに確かめてみよう。 |
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2015年10月25日
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上の文書はチャイコフスキーが弟のモデスト・チャイコフスキーに送った手紙である。手紙の内容は『クルミ割り人形』のジンジャー・ブレッドや玩具の構想がまとまりつつあるといった内容らしい。この手紙を投函したのはナイアガラの滝の見物を終え、列車に乗り換える駅だったらしい。上に方に91という数字が見えるが、1891年にアメリカに旅をしたのである。
1891年は鉄鋼王カーネギーが財力に物を言わせ、ニューヨークにカーネギー・ホールを建築した。物凄い札束でアメリカを代表するホールのこけら落としに相応しい音楽家を呼ぶことになった。チャイコフスキーが候補に上がり、これ以上の人は世界にいないと結論がでた。チャイコフスキーは旅行好きであり、魅力的な新世界からの招聘に応じた。
アメリカに行く前にドイツ、フランスでも演奏会を開いたが、偶然ではあるが、パリで新しいチェレスタを開発した人物と出会った。アメリカ旅行のお陰でチェレスタを使った『クルミ割り人形』という発想が生まれた。チャイコフスキーはチェレスタの魅力を『金平糖の踊り』で最大限に引き出した作曲家として記憶されることになった。
さて肝心のコンサートであるが、ピアノ協奏曲等で熱狂的な賞賛を浴び、その後東部の都市で演奏会、晩餐会、サイン攻めで、多忙だが大成功の演奏旅行を終え、上機嫌で再度の来訪を約束しヨーロッパに帰った。
このアメリカ旅行はカーネギー・ホールの百周年記念の1991年に合わせて、アメリカに招聘されたチャイコフスキーの旅行中の書簡や日記などをカーネギー・ホール側の強い要請でロシアから買い取った経緯を今日のYouTube でホールの主任学芸員が紹介している。字幕を出すことも可能であるが、機械翻訳のせいかミスの多い字幕である。
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