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The Sun kept setting — setting — still
The Sun kept setting — setting — still
No Hue of Afternoon —
Upon the Village I perceived
From House to House 'twas Noon —
The Dusk kept dropping — dropping — still
No Dew upon the Grass —
But only on my Forehead stopped —
And wandered in my Face —
My Feet kept drowsing — drowsing — still
My fingers were awake —
Yet why so little sound — Myself
Unto my Seeming — make?
How well I knew the Light before —
I could see it now —
'Tis Dying — I am doing — but
I'm not afraid to know —
Emily Dickinson
日没はじっとそのまま
日没はじっとそのまま
明るい午後でない――
村中のすべての家々で
今は正午と感じた――
夕暮はじっとそのまま
露は草に降りない――
だが私の額に一滴降りて――
私の顔を濡らした――
足はうたた寝したまま
指は目覚めていた――
なぜ、この小さな音で
姿だけの私は生きる?
以前は光がよく見えたが――
光が見られたらなあ――
これが臨終――今の私――でも
怖がらずに知ろう――
エミリー・ディキンソン
エミリーの死に関する詩の類型としては「棺桶」か「墓場」の詩が多く、「臨終」の類型はよく知られた「死の床で私はハエの羽音を聞いた」がある。
第一詩節:彼女が見飽きなかった「日没」が幻影として出て来る。時間は鐘の音?で正午と意識しているから耳は多少聞えたみたいです。
第二詩節:露が「額に一滴降りて」から、終油が注がれたのであろう。終油式が「会衆派教会」でも行われているのか、私は知らないが、それに類する式はあるのかもしれない。
第三詩節:「足はうたた寝したまま」から、彼女の足はもう動かない。指は動く。「この小さな音」で聴覚の衰えが示唆されている。
第四詩節:今後の進展に関心を示している。
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2018年01月19日
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