ヘ短調作品34

ルブランの回想録の link 先はゲストブックを御覧ください。

ピープスの日記

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]

ロンドン大火4

イメージ 1

1666年9月5日   サムエル・ピープスの日記

私は役所でW・ヒューワーのキルトで寝ていた。疲れ切っていたし、歩き続けて足が痛くて、立つのもやっとであった。朝の二時頃、妻が私を起こしてまた火の音がすると言った。火はバーキング教会のところまで来ているというが、この教会はわが家の小道のはずれにある。

起きあがってみたらその通りだった。直ちに妻を避難させる決心をし、実行した。約2350ポンドの金貨を持ち、W・ヒューワーとジェインをつれてプラウンディの船でウールウィッチまで行った。ああ、月明かりで見る光景はなんと悲惨であろう。シティがほとんど火に包まれている。ウールウィッチではそれがはっきり見えるのだ。

ここへ到着したとき、門が閉まっており、見張りもいない。これには困った。現在いわれはじめた話では、この火事は陰謀であり、フランス人がやったというものである。私は門を開けさせ、シェルデン氏の家に向かった。そこに金貨をしまい、妻とW・ニューワーに夜でも昼でも部屋を出るときは必ずもってでるようにいった。ふたたび戻る途中、デプトフォードでは家財が無事であり、しっかり監視されているのを見届けた。

家に戻った。私はわが家が燃えているものと思っていた。時間は7時頃だった。まだ燃えていなかった。火にかんして思っていた以上に希望がでてきた。役所が燃えているのものと確信していたので、わが家についてきくまでもないと思っていたが、戻ってみたら、まだ燃えてはいなかったのである。

火を見に行ってみると、家屋の引き倒しとサー・W・ペンが派遣した王室の作業員の救援が功を奏し、そこで止まった。わが家のあるマーク・レインも同様であった。バーキング教会の日時計と教会の入り口の一部を燃やし、そこで鎮火した。

私はバーキング教会の塔に昇ってみたが、かくも荒廃した光景は見たことがなかった。いたるところに大火があり、油貯蔵庫、硫黄その他が燃えていた。そこに長居するのが恐ろしくなり、出来るかぎり急いで降りたが、火は見わたすかぎり拡がりつつあった。サー・W・ペンの所に行き、冷えた肉を食べた。私は日曜以来土曜日の食事の残り物を食べたきりであった。

ここでヤング氏とウィスラー氏に会った。家財はすべて運び出し、火がわが家の手前で鎮火するちう希望がでた。3人は町を見に行ったが、ファンチャーチ街、グレイシャス街、ロンバード街はすべて灰になっていた。

取引所は悲惨だった。立っているものは何もない。銅像も柱もない。ただ隅にサー・トマス・グレシャムの絵だけがあった。燃えた木炭の中を歩くみたいで足は燃えそうであったが、ムーアフィールドに歩いていった。そこは群衆であふれ、哀れな被災者が家財を運び込み、全員がみな自分の財産を守っていた。昼夜屋外でいる彼らに幸いしたのは天気が良かったことである。そこで水を飲み、質素な1ペンスパンに2ペンスを払った。

そこで家路につきチープサイドとニューゲイト市場を通ったが、全焼し、アンソニー・ジョイスの邸宅が燃えているのを見た。そして私がもっていたマーサース・チャッペルのグラスを街で取り出したが、ほとんど熱で溶けて曲がり、まるで羊皮紙であった。私は猫が煙突の穴から出てきて取引所の壁にへばりついているのを見た。体の毛はすべて焼けこげていたが、まだ生きていた。

夜は家にもどり、役所が火災を免れる希望が出てきた。しかし一晩中監視すべく努力し、部下を待機させた。部下を役所に泊めさせた。彼らに飲料、パン、チーズを支給した。

そして私は横になり、真夜中までぐっすりねむった。だがフランス人とオランダ人にかんする警報がでたが、後で誤報と分かった。しかし一体日曜日からどれだけ時間がたったのだろうか。ありとあらゆる行動をとり、ほとんど寝ていない。一週間以上経っているようにおもえた。実際はまだ一週も経ってないことを忘れていた。

ロンドン大火3

イメージ 1

1666年9月4日   サムエル・ピープスの日記

夜が明けると、私は残りの荷物を出した。これはアイアン・ゲイトの艀に乗せた。手伝う人が少なくて全部運び込んだら午後になってしまった。サー・W・ペンと私はタワー街に行ったが、そこでハウエル氏の家の三軒か四軒先が燃えていた。ハウエル氏の家財、盛り皿、皿、スプーン等はタワー街沿いに投げだされて、皆ががあちこち移動しては作業していた。火の手はこの狭い小路に両側から迫ってきており、物凄い勢いである。

サー・W・ブラッテンにはワインを運ぶ手だてが分からず、庭に穴を掘り、そこに埋めた。私はこの機会にこんな時でなければ処分できなかった役所の紙を下に敷いた。夜になってサー・W・ペンと私とで穴を掘り、ワインを入れた。私はワインとかのほかにパルメザン・チーズを埋めた。

ヨーク公は今日サー・W・ペンの執務室にお見えになったが、たまたま私は居合わせなかった。午後サー・W・ペンと庭ですわっていたが、憂鬱であった。この役所が燃えるのは確実であると思ったが、さしたる妙案もない。ウールウィッチとデプトフォードの作業員全員の派遣要請を提案した。まだ一人として来ていなかった。私はサー・W・コヴェントリーに手紙を出した。この役所がなくなれば王のお仕事に支障を来すので、住居を引き倒す許可をヨーク公にお願いする内容であった。

サー・W・ペンは明日の朝までに届くよう、この夜出かけていった。私はこの作業についてサー・W・コヴェントリーに手紙を出したが、返事を受け取っていなかった。この夜、ターナー夫人は(彼女は家財を一日中運びだしていた。貴重品は庭に出したが、どうして良いか分からなかった)とご主人はわれわれ夫婦と一緒に役所で夕食をともにした。調理された羊の肩の肉であったが、残念ながらナプキンも何もなかったが、それでも陽気だった。

時々庭に出てみたが、空の様子の物凄いこと、夜あらゆるものが燃えており、われわれは気が狂いそうである。じつに恐るべき光景である。まるでわが家までが燃えてるようである。夜空をすべて焦がさんばかりである。

食事を済ませてからタワー街に徒歩でゆき、向こう側のトリニティ・ハウスとこちら側のドルフィン・タバーンではすべて炎上しているのを目撃した。ドルフィン・タバーンはわれわれに近く、火の勢いはすざまじい。タワー街のタワーに隣接する家屋の取り壊しが始まった。これには人々は仰天したが、取り壊したところでは火の手はおさまった。家屋を立っていた場所で引き倒すのであるが、少々の火は消すことが出来、火が燃え出すことはほとんどなかった。

W・ニューワーが今日母親の様子を見に行き、夜遅くに家に戻ってきた。彼の話によれば、パイ・コーナーにある家が焼けてしまったので、イスリントンに避難させなければいけなかった。火の手はそこまで進み、フリート街にひろがり、セント・ポールは焼け、チープ・サイド全域は焼けた。今晩父に手紙を出したが、郵便局は焼けた。手紙は届かないだろう。

ロンドン大火2

イメージ 1

1666年9月3日

朝の4時頃バッテン卿夫人からの荷車がとどいて私の現金、皿、その他大事にしていたものをベンドノール・グリーンのサー・W・ライダーに運び込むことにした。そこで私はナイトガウンをきたまま荷車に乗りこんだ。ああ、そこで見たものは、街や道路が、急いで歩く人、乗り物に乗る人、荷車で家財を運ぶ人でごった返していることであった。サー・W・ライダーは友人の荷物を預かる仕事で一晩中ねられずにひどく疲れていた。
.
家中家財であふれていた。ほとんどはサー・W・ライダーとサー・W・ペンのものであった。私の大事なものが安全に保管されることで心から安堵した。その後自宅に戻るが、道を見つけるのに非常に苦労し、私も妻も一晩中不眠不休であった。しかしその後も一日中妻も私も家の者も残りのものを運ぶためにおおわらわであった。それをはこぶ艀をトゥカー氏に手配してもらった。私達はそれをタワー・ヒルの向こうまで運んだ。タワー・ヒルはすでに運び込んだ人々の家財でいっぱいであった。タワー・ドックの上流にある次の埠頭で艀に乗ろうとした。

そこで近所の奥さん-----夫人と子供にあった。多少の持ち物もあった。一緒に乗せてあげることにした。 ところが裏口から入ろうにも人々が多くて入れない。ヨーク公がこの日は役所の近くで声をかけてくださった。護衛兵とシティーを巡回して治安の維持のため巡回中であった(彼は司令官であり、すべてを取り仕切っていた)。

今日、メルサーは家にいなかった。彼女の奥様の命令に反して自分の母の所に行ってしまった。妻はあちらに行ってW・ヒュウアーと話しに行き、そこでこの女に会い、怒った。母親は娘は年季奉公の娘ではないし、外出するときはいつもお許しをいただいていますといった。妻が怒るのも無理はない。この女が戻ってきたとき、出て行きなさいと行った。

こうしてメルサーは出ていったが、これには少々参った。私達が今いる状況では、すぐに代わりを得るのは難しいし、すぐにあの娘と同じ能力にするのは難しいからである。夜は役所でW・ヒュウアーのキルトで横になった。全部荷造りしてしまったからである。妻も同じである。昨日の食事の残り物を食べた。火もなければ、皿もない。着変えたくても着るものもない。

ロンドン大火1c

イメージ 1

見られるものはすべて見尽くし、命令どおりホワイト・ホールに向かった。セント・ジェームス公園に歩いていき、妻、クリード、ウッドと彼の妻にあった。私の船に乗り、上流に行き、火災現場を上り下りした。火はますます大きくなり、風は強くなってきた。出来るかぎり近づこうとしたが、煙のせいでそう近くは行けなかった。テームズ河周辺では、風がつよく顔に吹き付け、火の粉が降りってきて、焼け死にそうである。これは真実である。家屋はこの火の粉で焼けたのである。3件か4軒、いや5軒か6軒は1軒の家の火の粉で燃えたのである。

水の上にはいられなくなって、スリー・クレインの向こう岸のバンクサイドの小さなエール・ハウスに行った。暗くなる頃までそこにいた。火がますます巨大になるのを見ていた。暗くなるにつれ、いっそう町の様子ははっきりしてきた。町角や塔の上、教会と家屋との間がはっきり見えた。はるかシティーの丘までも。バーバリーと夫はどこかに行ってしまった。

暗くなるまで私達はそこにとどまり、火がアーチとなり、こちら側から向こう岸までブリッジをわたり、1マイル以上のアーチになって丘に行くのを見ていた。私は見ていて涙が出た。教会、家、ありとあらゆるものに火がつき、すぐに燃え始めた。炎から出る恐ろしい響き、家が壊れてだす音。

悲しみにくれて家路につくと、家中が火事の話をして嘆いていた。トム・ヘイターが家にあったわずかな家財をもってわが家にやってきた。私はわが家に泊まるように言い、彼の家財を預かった。だが私は滞在中に騙された。

火事が大きくなるにつれ、刻々と新しい知らせがやってきた。そこでやむなく私達も家財を荷造りし、避難に備えた。非常に乾燥しており、月は明るく、暖かい夜だったので、月の光の中で多くの家財を庭に運び出し、ヘイター氏と私は私の現金と金庫を地下貯蔵庫に運んだ。ここが一番安全な場所と考えたからである。

金の袋はいつでも持ち出させるように役所に持ち込んだ。私の帳簿もそこにおいた。貸借の証文だけは箱に入れておいた。サー・W・バッテンは領地から馬車をとばし、家財をもっていったように、私達も非常に恐かった。ヘイター氏は気の毒なので少し寝るように言った。しかし彼はほんの少ししか休めなかった。家財の運び出しで家の騒音がひどかったからである。

ロンドン大火1b

イメージ 1

ここでコーク大尉に会い、私は彼の貸してくれた馬車にのり、クリードも同乗してセント・ポールにいきワトリング街に沿って歩けるだけ歩いた。どの人も持ち出せる家財を背負って出てきた。あちこちでは病人がベッドで運ばれていた。貴重品は荷馬車や背負って持ち出されていた。ついにカニング街で市長と出会った。疲れ切って様子で首には布をまいていた。王の命令に、失神寸前の女のような声を出し、「主よどうしましょう?もう疲れきったよ。わしのいうことに誰も従わないよ。家を引き倒してきたが、それ以上に火の廻りが速くて。」もうこれ以上手勢があっても意味がない、市長自身ここを立ち去り、元気を回復しなければ行けない。市長は立ち去った。私も同様に家に戻った。途中気が転倒している人達を見た。火を消す方法はなかった。

家々もそこら中混雑して、テームズ街には、ピッチやタールのような燃えやすい材料がいっぱいあり、油倉庫、ワイン、ブランディー等があった。この街で端正な容姿のアイザーク・ハウブロン氏がダウゲートの入り口にいるところで出会った。立派な身なりをしているが、汚れきっていた。家が燃えていた弟から家財の運び出しを手伝っていた。彼が言うには、もう二回も運び出したが、自分の家から運び出す時間はもうないと思うといっていたが、まもなくその通りになった。

教会は避難民の家財であふれていた。この時間はここで静かな時間を過ごすところであったのに。およそ12時頃であった。私は家に向かった。家には訪問者がいた。ウッド氏と奥さんのバーバリ・シェルドン、それにムーン氏もいた。彼女は非常に元気で旦那さんも多分元気そうだった。

ムーン氏も私も納戸越しに外の光景を見たかった。彼は見たかったのだが、すっかりしょげかえった。この火災で自分たちが大変な騒動に巻き込まれており、どう考えて良いか分からないかった。

しかし非常に豪華な食事をし、こういうときには出来るかぎり陽気にふるまった。食事中バテライアー夫人がやってきて、ウルフ氏とステインズ氏の消息を聞きに来た。彼女はどうも二人の親戚らしい。フィッシュ街の二人の家は全焼し、困っているとのこと。食事を済ませると私とムーンは出かけた。シティーを歩いて通った。街は人と馬、家財を積んだ荷車であふれていた。たがいに先を行こうと争っていた。朝荷を受け取ったカニング街からロンバード街さらに遠くへと運び出していた。その中に金匠のストークがいた。友人の家財の運び出しを手伝っていた。その家は翌日に燃えた。私達はセント・ポールを離れた。ムーンは家に向かい、私はポール波止場に向かった。そこに私の乗船を指定してあった。街で出会ったカーカッス氏と弟をのせ、橋のあたりまで乗せていった。ふたたび火を見たが、さらに火の手は橋の上流にも下流にも進み、止まりそうにもなかった。

艀におられる王とヨーク公と面会し、ともにクイーンヒスまで同行し、サー・リチャード・ブラウンを呼び出した。二人の命令は速やかに家屋を破壊せよというものであった。橋の下の川辺の家も同様であるとのことであった。命令はほとんど実行されなかった。火の手があまりに速かったからである。しかるべき手段をとれば、スリーン・クレーンとバットルフ埠頭で火が止まってくれるのではという希望があった。しかし風がシティーに火を送り込み、水辺でかくも速いのは経験したことがなかった。河は家財を取り込む艀や船でいっぱいであり、貴重品が水につかっていた。家具を運び込む艀や船は三艘に一艘もなかったが、二台のヴァージナルがあるのを見つけた。

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 前のページ | 次のページ ]


.
fminorop34
fminorop34
非公開 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

過去の記事一覧

検索 検索

スマートフォンで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

スマートフォン版Yahoo!ブログにアクセス!

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト≪さとふる≫
実質2000円で好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事