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「今日の詩」はイェーツの「すべての愛を捧げるな」である。今日のイェーツの14行の詩は奇数行と偶数行が同韻である。形式上の見事さは相変わらずだが、書かれた内容は、恋愛体験が乏しくても新聞社のコラムを担当する人物なら書けそうである。 だがイェーツが言うと、はしたないが詮索したくなる。女一般ではなく、特定の女について言ったのではないだろうか。確かに彼の詩にはしばしば女が登場する。私はイェーツをよく知らないが、彼がモード・ゴーンという、アイルランド独立運動の女闘士に振られた話は有名らしい。以前に訳した「イースター1916年」に登場する女も彼女ではないかと思われる。これ以上は英訳を限定するので控えたい。 Never Give All the Heart Never give all the heart, for love Will hardly seem worth thinking of To passionate women if it seem Certain, and they never dream That it fades out from kiss to kiss; For everything that's lovely is But a brief, dreamy, kind delight. O never give the heart outright, For they, for all smooth lips can say, Have given their hearts up to the play. And who could play it well enough If deaf and dumb and blind with love? He that made this knows all the cost, For he gave all his heart and lost. William Butler Yeats すべての愛を捧げるな すべての愛を捧げるな。情熱的な女に 愛が真実に見えたら、女は 愛は考えるに値しないと思う。 彼女たちは夢にも思わないが 愛はキスするごとに色褪せる。 愛らしい物は全て短命であり 夢見るようで、無害な喜びである。 女達は、うまい言葉で言えば お芝居に愛を捧げている。 愛で耳も口も目も感じなくなり 上手に芝居できる男が何処にいる? すべての愛を棒げ、すべてを 失った男がお芝居の代償を知る。 イェーツ 写真はモード・ゴーンさんである。私の推測を支持する文献を読んだわけではない。間違っていたら、ご本人には申し訳ない。だが彼女はイェーツを振ったことで後世に名を残したアイルランド独立運動の闘士である。彼女はイースター1916年の反乱で処刑された独立運動の闘士と結婚したが、惨憺たる結婚生活だったらしく、二度と結婚しなかった。
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イェーツ
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「今日の詩」はイェーツの「モヒニ・チャテルジー」である。モヒニ・チャテルジーはインドのバラモンの哲学者で、ダブリンにやってきた。イェーツはこの哲学者に感銘を受けたようである。 この詩はアイルランド独立闘争で悩んでいたイェーツがインド哲学者にお伺いを立てる形で、詩が始まっている。だが今回も、前半も後半も分かるがつながりがうまく理解できなかった。、ひどい誤訳があるとは思えないが、イェーツは彼の話から何を汲みとったのだろう。話の解釈が少しずれているような気がする。彼の有名な失恋は知っているが。 Mohini Chatterjee I asked if I should pray. But the Brahmin said, "pray for nothing, say Every night in bed, ""I have been a king, I have been a slave, Nor is there anything. Fool, rascal, knave, That I have not been, And yet upon my breast A myriad heads have lain.''' That he might Set at rest A boy's turbulent days Mohini Chatterjee Spoke these, or words like these, I add in commentary, "Old lovers yet may have All that time denied -- Grave is heaped on grave That they be satisfied -- Over the blackened earth The old troops parade, Birth is heaped on Birth That such cannonade May thunder time away, Birth-hour and death-hour meet, Or, as great sages say, Men dance on deathless feet.' William Butler Yeats モヒニ・チャテルジー 祈るべきですか訊いたら バラモンは私に言った 「祈ることはない ただ毎晩寝る前に 『今日まで私は王者であり 奴隷であったが 何事もなかった。 私は愚者でもなく 悪党でもなかったが 私の胸には無数の頭脳が宿る』 と言いなさい」 ある少年の荒れた日々を 治めるように モヒニ・チャテルジーは このように話したが 私なりに解釈したい 「 かつての恋人は 昔を否定したい − 気の済むように 次から次に墓ができる − 黒焦げた大地上を 古兵が行進し 轟く連続砲撃が 時間をずらしても 次から次に誕生し 誕生と死の時間は一致する つまり、偉大なる賢人達曰く 人は永遠に踊り続ける」 イェーツ
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「今日の詩」の選者が数日前に送ってきたイェーツの「レダと白鳥」である。偶然リルケのレダの詩を訳したばかりである。リルケのレダはゼウスに対する態度は曖昧であるが、レダにゼウスを最初から受け入れようとした態度が見受けられる。ポルノかもしれないが、好色で愚かな男女の行為であるから、レイプとは言い切れない。 イェ―ツのレダは、女は男に抵抗しても無駄だ、女の「ノー」は「イエス」だというポルノのお定まりの性差別的な筋書きであるというフェミニストの攻撃を受けた。彼の出生国であるカトリック教国アイルランドもこの不道徳な内容を当然非難した。 ただイェーツがこのレイプが生み出す未来に触れている点で、リルケとは違う。世界一の美女ヘレナが生まれ、トロイ戦争を経て様々な悲劇の原因になったことを示唆している。 また最後から2行目が問題である。疑問形であるが、この性行為により神の持つ力をレダが得たのかを問題にしている。もしレダがそれを意識していたなら、彼女もしたたかな女である。誤訳の可能性大なる箇所であり、私の語学力では確信がもてない。 Leda And The Swan A sudden blow: the great wings beating still Above the staggering girl, her thighs caressed By the dark webs, her nape caught in his bill, He holds her helpless breast upon his breast. How can those terrified vague fingers push The feathered glory from her loosening thighs? And how can body, laid in that white rush, But feel the strange heart beating where it lies? A shudder in the loins engenders there The broken wall, the burning roof and tower And Agamemnon dead. Being so caught up, So mastered by the brute blood of the air, Did she put on his knowledge with his power Before the indifferent beak could let her drop? William Butler Yeats レダと白鳥 突然の衝撃:びっくりする女の上を 羽ばたく大きな翼、太ももを撫でる 黒い水かき、うなじに触れるくちばし 彼女は抵抗できず、胸と胸を合わされた。 驚きか弱い彼女の指、ゆるんだ太ももから 栄光の羽根飾を払うことなどできよう? 白きイグサに横たわる肉体が未だ知らない 心臓の鼓動をどう感じただろう? 子宮の戦慄が生み出す 破壊される城壁、焼け落ちる天井と塔 アガメムノーンの死。 このように押さえ込まれ 獣血の雰囲気に圧倒され 無頓着な嘴が彼女に子を産ませるまでに 彼女は果たして神の知識と力を得たのか? イェーツ
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「今日の詩」は、イェーツの「足長蠅」である。不思議な詩であるが、物語性があり、読者を飽きさせないのはさすがである。イェーツは色々詩の型を工夫して研究者に論文ネタを提供したものだ。形式的には偶数行に韻を踏んでいるが、特に凝った技は遣っていない。 二人の有名な男性と一人の無名の女性を登場させて、それぞれが音をたてずに作業に打ち込み、「想いを巡らせている」。登場人物のエピソードの終わりには次の二行の節が挿入されている。 (小川を飛ぶ足長蝿のように 彼/彼女は静か想いを巡らす) Long-Legged Fly That civilisation may not sink, Its great battle lost, Quiet the dog, tether the pony To a distant post; Our master Caesar is in the tent Where the maps are spread, His eyes fixed upon nothing, A hand under his head. (Like a long-legged fly upon the stream His mind moves upon silence.) That the topless towers be burnt And men recall that face, Move most gently if move you must In this lonely place. She thinks, part woman, three parts a child, That nobody looks; her feet Practise a tinker shuffle Picked up on a street. (Like a long-legged fly upon the stream Her mind moves upon silence.) That girls at puberty may find The first Adam in their thought, Shut the door of the Pope's chapel, Keep those children out. There on that scaffolding reclines Michael Angelo. With no more sound than the mice make His hand moves to and fro. (Like a long-leggedfly upon the stream His mind moves upon silence.) William Butler Yeats 足長蝿 この文化は崩壊しないのでは 大戦争に敗れても この犬を静まらせ、この馬は 離れた柱に繋いでおけ。 われらのシーザーは テントで地図を広げ 一点を凝視することなく 顔に手をやる。 (小川を飛ぶ足長蝿のように 彼は静か想いを巡らす)。 天にも届く塔を焼くのだ 将兵にあの顔を覚えさせ このひっそりした場所で 動く時には気をつけそっと動くのだ。 まだ子供っぽい彼女は 誰も見てないと思い込む。 彼女は街で知ったジプシーの すり足を練習する。 (小川を飛ぶ足長蝿のように 彼女は静か想いを巡らす)。 あの思春期の女の子たちが 想像していたアダムを見るやも 法皇の礼拝堂の扉を閉め みなを中に入れるな。 足場のあそこに凭れるのが ミケランジェロ。 彼の手はあちこち動き 音を立てるのはネズミだけ。 (小川を飛ぶ足長蝿のように 彼は静か想いを巡らす)。 イェーツ
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「今日の詩」はイェーツの「ラピス・ラズリ」である。古代にはアフガニスタンでしか取れなかった宝石、富と権力の象徴であるラピス・ラズリ。この題名から私は虚栄が題材かと思ったら、違っていた。 芸術の歴史の上で最も人気のある「悲劇」の表と裏を書いたものである。最初の方は、当たり前と言えば当たり前である。悲劇の王子ハムレットも幕が降りた後、なりやまぬ拍手に上機嫌で満場の客に会釈するものである。 だが最後に登場しているラピス・ラズリに彫られた支那人に関する彼の解釈は、興味深かったが、東洋人である私には少し抵抗がある。哀愁に満ちた風景と音楽を楽しんでいる文人は演技しているのだろうか。 Lapis Lazuli I have heard that hysterical women say They are sick of the palette and fiddle-bow. Of poets that are always gay, For everybody knows or else should know That if nothing drastic is done Aeroplane and Zeppelin will come out. Pitch like King Billy bomb-balls in Until the town lie beaten flat. All perform their tragic play, There struts Hamlet, there is Lear, That's Ophelia, that Cordelia; Yet they, should the last scene be there, The great stage curtain about to drop, If worthy their prominent part in the play, Do not break up their lines to weep. They know that Hamlet and Lear are gay; Gaiety transfiguring all that dread. All men have aimed at, found and lost; Black out; Heaven blazing into the head: Tragedy wrought to its uttermost. Though Hamlet rambles and Lear rages, And all the drop-scenes drop at once Upon a hundred thousand stages, It cannot grow by an inch or an ounce. On their own feet they came, or On shipboard,' Camel-back; horse-back, ass-back, mule-back, Old civilisations put to the sword. Then they and their wisdom went to rack: No handiwork of Callimachus, Who handled marble as if it were bronze, Made draperies that seemed to rise When sea-wind swept the corner, stands; His long lamp-chimney shaped like the stem Of a slender palm, stood but a day; All things fall and are built again, And those that build them again are gay. Two Chinamen, behind them a third, Are carved in lapis lazuli, Over them flies a long-legged bird, A symbol of longevity; The third, doubtless a serving-man, Carries a musical instrument. Every discoloration of the stone, Every accidental crack or dent, Seems a water-course or an avalanche, Or lofty slope where it still snows Though doubtless plum or cherry-branch Sweetens the little half-way house Those Chinamen climb towards, and I Delight to imagine them seated there; There, on the mountain and the sky, On all the tragic scene they stare. One asks for mournful melodies; Accomplished fingers begin to play. Their eyes mid many wrinkles, their eyes, Their ancient, glittering eyes, are gay. William Butler Yeats ラピス・ラズリ 私は女たちが絵画や音楽にはうんざりと ヒステリックに話すのを聞いたことがある。 いつも明るい詩人については 誰でも知っているし、知っておくべきは それまでに過激なことがなければ 飛行機やツェッペリンが必ず襲来する。 キング・ビリー式に町が跡形もなくなるまで 爆弾は落下してくるものである。 全員が悲劇を演じている あそこに歩くハムレット、あれはリア あそこにオフェリア、あれはコーデリア。 さらに終幕があり 舞台の幕は今や降りる 劇の主役に値するとなれば 連中は途切れることなく泣いて見せる。 みなハムレットもリアも明るいのは承知の上。 恐怖を変容させる明るさ。 全員がそれを目指し、見いだし、見失い 暗転。突如空は燃え上がる。 入念に仕組まれた悲劇。 ハムレットが独白し、リアが激怒しても 幕切れのシーンが直ちに来るのは どの舞台でも同じであり これからも変わることはあり得ない。 連中は徒歩か、舟に乗って ラクダ、馬、ロバ、ラバといった すでに崩壊した文明の利器で登場する。 その結果、連中と連中の知性は破滅する。 まるで青銅を扱うように大理石を彫り 舞台の隅から吹く海風に膨らむ 布を作ったカリマコスの仕掛けはない。 棕櫚の茎のようなランプの長いガラスも 一日として保ったことはない。 すべて崩壊し、また作り直され 作り直す連中は再び明るい。 二人の支那人と後ろの一人が ラピス・ラズリに彫られ 上空を飛ぶ足の長い鳥 長寿の象徴。 明らかに召使いである 三番目の男は楽器を持っている。 石の退色はどれも 偶然のひびや凹みさえも 水の流れか山崩れ、あるいは 雪が降り続く急峻な断崖に見える。 たしかに梅や桜の枝が 支那人が向かう途中の小さな家を 飾っており、彼らが住人であると 想像してみるのは楽しい。 彼らは山や空や悲劇的な光景 すべてを凝視している。 一人が悲しげな節を頼む。 名人が指で奏で始める。 彼らの目と皺、彼らの目 彼らの光る老いた目は明るい。 イェーツ この訳詩で、第一詩節の「キング・ビリー」であるが、ウィキペディアによれば、イギリスでは通常、血を一滴も流さずに「名誉革命」を達成したオレンジ公ウィリアムを指している。王位についた彼は、スコットランドの反乱を「不名誉な」大虐殺で対応し、ある村を消滅させた。イェーツはこの事件に触れている。 さらに私は「支那人」という現在では「差別用語」とされている言葉を使った。ここはイェーツの原作の Chinamen を尊重した。当時としては、Chinamen は特に不適切な表現とされていなかったと思う。私は意図的な差別用語を知っているが、ここでは述べない。 話者はラピス・ラズリに魅せられた訳ではない。内容と多少とも類似点がある、廬山観瀑図、清初期、石濤、泉屋博古館所蔵をウィキペディアからお借りした。それ以上の検索は断念した。イェーツと親交のあったエズラ・パウンドは中国の絵画や詩に詳しいので、東洋に興味を持っていたことは考えられる。英国の大英博物館は盗品の展示場であり、清朝の混乱期に出兵したイギリス兵の土産に、この詩に書かれた物があるのだろうか。
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



