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208.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ リセレイ、1887年7月27日 親愛なる友へ あなたは後悔する必要はありません。あなたのすてきなミュンヘン書簡(1)のように、あなたの不満、お世辞、その組み合わせを頂くときには、わたしたちはいつも喜んでおります。ハインリッヒが最初に「神の祝福を」と言いました。あの人ったら、あなたが一楽章にでも意見を言われたのですから、喜ぶはずです。「嬉しい。」どう違うかお判りでしょう。あなたは世間でもてはやされていますが、彼は反対です。――したがって、彼には百倍意味のあることです。しかしこれはわたしの感想です。彼の妻には述べる権利があります。彼はあなたの親切な手紙によろしくとのことです。 うちの哀れな人についていいお知らせはできません。高名なチームスセン(2)はミュンヘン滞在中に早期の回復に若干の希望を表明されました。頑固な筋肉の病気で(彼の神経過敏はどんな病気でもそうですが、間接的なものである)、数週間ここで休養したあと、厳格な連続治療が絶対に必要との意見でした。おそらく水治療に行き、そこでハインリッヒは電気治療を受け、マッサージされたり、濡れた服を着せられたり、あらゆる種類の方法が試されるはずです。チームセンは熱い砂風呂と体操が先ず必須であると主張しました。6週間ぐらいでこのポリフォニックな クア の目に見える効果を期待しています。 ですから10月にはとても帰れそうにありません。ハインリッヒの忍耐力はずば抜けて見事です。それを目の当たりにしてどうして愚痴をこぼせましょう。それにわたしは彼の介護に積極的にかかわれるのです。わたしはすべて計画的にこなしています。彼を介護し、電気をかけ、包帯し、この病気の坊やを着替えさせます。くよくよし考えている時間なぞありません。ああ、神に感謝します。わたしは根っからの楽天家です。これが彼とわたし自身には救いなのです。それでも楽な時間ではありません。もう終了したと言えるときには、どんなに安堵のため息をつくことでしょう。 わたしたちもハメルリンクのテキストについてあなたと同意見です。決して好きではありませんが、節をつけてみたい気になります。作者が忘れられたら、そこが美しいと思われるのです。もしあなたが合唱曲をたまたま書きたくなり、その特殊な形式で作曲することで心の重荷を下ろしたいと感じられるとき、あなたは妥協します。あなたはいろんな理由でテキストが好きになるでしょう。音楽になるまでその詩の長所がわからない場合あります。――たとえば、あなたの「夜に彷徨う者の歌」(3)。この曲はあなたの音楽がなければ到底教訓的とは思えません。 「雅歌」(4)をご覧になれば、あなたはきっと、わたしのハインリッヒに満足されると思います。 ここで止めなくては。この不満足な手紙をどうか許してください。わたしには5分として自由になる時間がないのです。わたしは完全な奴隷です。人間ではなく、人綿です。悪しき友人であり、さらに悪しき文通者です。 すぐに返事と合唱曲を送ってください。わたしはビルロートがすでに目を通した(5)ことを知ってしまいました。 L. 注 (1) 手紙にはトゥーンの消印があるが、フラウ・フォン・ヘルツォーゲンベルクは手紙が着いたときにはミュンヘンにいたので、彼女はミュンヘン書簡と名付けた。 (2) H.W.フォン・チームスセン(H.W. von Ziemssen)、ミュンヘンの専門家。 (3) 作品86第3曲。マックス・カルベック詩。 (4) 「四人の独唱、二重合唱、管弦楽、オルガンのための詩篇94」。 (5) 事実ブラームスは1886年8月18日に非常に吟味した合唱曲を他の新作と一緒にビルロートに送っている。彼は印刷の前に彼の作品を見る特権を有していた一人である。フラウ・フォン・ヘルツォーゲンベルクはこの情報をフラウ・ハルトマン(Frau Hartmann)から得ていたものと思われる。
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