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192.エリーザベト・フォン・ヘルツォーゲンベルクからブラームスへ
ベルリン、1886年12月2日(1)
…さて話題を変えましょうか、ヘル・マカールト(2)。 美しいソナタに感謝の意を表させていただきます。わたしは徹底的にこの曲を研究してみたいと思っています。ハウスマンとおそるおそる二度弾いたぐらいでは 到底満足できません。この曲は新しくて、聴いた時の興奮が強烈で理解されないでしょう。このくらいの新しさにすぐに真面目に取り組めというのは無理な話で す。沸き返る興奮、感情の激発、それ自体の輝かしさにどうしても魅入られてしまうからです。今のところ、わたしは第一楽章に非常に興奮しています。作曲技 法の熟達度、迸る進行、簡潔な展開、一方、第一主題が戻るところでの拡張は大いなる驚きです。言うまでもありませんが、優美な旋律的なアダージオに感銘を 受けました。とくに嬰へ長調への美妙な復帰の響きの美しいこと。わたしは本来活気のあるスケルツォをあなたが――あなたが鼻息を出して演奏する(3)――弾くのを聴きたいのです。わたしの心にかなった演奏をする人はほかに誰もいないでしょう。不安と勢いにもかかわらずlegato で、急かされずに、揺 れ動いてなければなりません。わたしはこの楽章を修得できたら、さらに最終楽章も熟練の域に達したいと思います。ここには擬似叙情的な主題があり、他の楽章の「偉大な」様式と強烈な対照をなしています。しかし、言いましたように、再び聴いてみて演奏の仕方を学びたいと思います。
わたしはあいにくハウスマンが戻ってから以来彼とは会っていませんが、彼がいつソナタを受け取れるかは聞きだせます。それからバイオリン・ソナタはどう なっているのですか。なぜ来ないのですか。ウィーンにいる知り合いが多すぎて、数日間でもこちらに回せないというのですか。ヨアヒムにすぐには弾かせたくないのですか。彼がひそかに願っていることを知らないのですか。わたしが今話しているのはわたしの懇願ではありません。懇願でしたらわたしは誰にもひけを取りません。彼はその曲に一番の権利があるのに、彼、ヨアヒムをなぜそんなに待たせるのですか。それは残酷というものです。あなたは急いで大きな包み紙を 探して彼に送るべきです。
わたしは今告白します。許して頂きたいと思いますが、シュピースのコントラアルトの歌曲(4)を写して大変惹かれています。ですが、毎度の厚かましさで、二つ反対意見を表明したいのです。嬰ハ短調の歌(5)の中で6−4の 連続した和音、とくに第二節の――ト長調、変ロ音と変ニ音が交互にそしてすべて転回、あなたはこれがお好きですか。以前にはこのようなものを書かれたこと はないはずです。あなたの音楽でこんなに粗い楽節は知りません。ここのところで、この詩の情熱的な憧憬に別の表現の仕方があるはずだと思いました。あなた が与えたい印象ははっきり理解できますが、実際の効果はいつものブラームスよりはるかに美しさで劣ります。はっきり言って悲しいです。柔らかで夢のような 歌曲をいきなりの衝撃で台無しにするのは残念です。わたしは深遠な詩(6)のついたイ長調の暖かい旋律の流れが大好きですし、歌ってみてとても楽しいのです。さらに、最後のカデンスも正しくないと思われます。何度もそれになれるまで歌ってみて、イ長調だと感じるようになりましたが、最初は馴染めませんでした。イ音がニ音の属音のように思えます。引き出しにはもっと歌曲がないのです か。そのうち一曲でも、古き良き時代にそのために取って置かれたシュトラウスのワルツで包んで頂けませんか。さあまたわたしを大事にしてください。わたし が喜ぶことをご存じのはずです。
さようなら、お友達。わたしは何かを――ハイニの新作「ア・カペラ合唱曲」――お送りしたいと思います。この曲はすごく良いと思います。あなたは本当に見てくれるのでしょうね。
わたしに優しい言葉と思いやりを下さい。長い、長いご無沙汰の間願っていたことです。
昔から忠実なあなたのエリーザベト・ヘルツォーゲンベルクより
ウィーンでのシュピースの歌唱はどうですか。彼女は少しも進歩がないように思われてなりません。わたしはフラウ・ヨアヒム(7)の 声がますます充実してくるのを思うにつけ、コンサートの仕事と私生活がこの人の場合逆にいい加減にしているように思えるのです。彼女の歌い方はまるで見ながら朗読しているようです。根は真面目で良い娘ですから、あなたのような方が警告してほしいと思います。わたしが意見しようにもほとんど効き目がないで しょう。彼女は甘やかされて、人の意見に耳を貸しません。きつく言うべきです(8)。
注
(1) フラウ・フォン・ヘルツォーゲンベルクのブラームスとの文通はお節介焼きの情報のせいで1886年の3月に突然停止した。結局まったく根拠がないことが判明した。ブラームスはその事実を無視あるいはそのように振舞った。彼は「チェロ・ソナタ」を送ったが、伝言は一切なかった。
(2) 画家ハンス・マカールト(Hans Makart)は無口で有名だった。彼がある晩餐会で、そばにいたジョセフィーネ・ガルマイヤー(Josephine Gallmeyer)が長い沈黙の後、彼に向かって言った。「さて話題を変えましょうか、ヘル・マカールト。」
(3) ブラームスはしばしば鼻息を出して演奏し、聴衆に聞こえることがあった。
(4) ブラームスはヘルミーネ・シュピースにトゥーンで作曲した二つの曲を歌う許可を出していなかった。「メロディーのように(Wie Melodien zieht es)」と「わがまどろみはいよいよ浅く(Immer leiser wird mein Schlummer)」作品105の第1曲と第2曲。しかし、フラウ・フォン・ヘルツォーゲンベルクは見ることは許された。ヘルミーネ・シュピースの「回想(Ein Gedenkbuck ),3ページ」
(5) 「わがまどろみはいよいよ浅く」。
(6) 「メロディーのように」の歌詞はクラウス・グロートである。ブラームスはしばしば深遠な詩に魅力的なメロディーを付けて成功している。さらに一例を挙げれば、リュッケルト(R??ckert)の「四十歳で(Mit vierzig Jahren)」、作品94の第1曲である。
(7) アマリエ・ヨアヒム、旧姓シュネーヴァイス(Amalie Joachim nee Schneeweiss, 1839-1899)。彼女の結婚前はアマリエ・ヴァイス(Amalie Weiss)であった。彼女は女声リーダー歌手として有名になり、シューマンの歌曲の解釈では右に出るものはなかった。1863年彼女はヨアヒムと結婚。1866年にはベルリンで生活したが、1882年には別居した。(英訳者注)。
(8) ブラームスはこの要請に先んじて、11月4日 の手紙で冗談めかして書いている。「夢の中で、あなたが半小節の休止を飛ばし、八分音符を四分音符で歌うのを聞いてしまいました。」これに対して歌手が答 えた。「私の音感が悪いのを夢の中でしか気が付かれなかったのですか。なんて親切な方でしょう。私は夢の中だけではなく、長年気付いていましたのに。」
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