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今日のリルケは "Tanagra" 「タナグラ」である。19世紀ヨーロッパのギリシャ熱にさらに拍車をかけたのが、ギリシャのタナグラという田舎で農夫が畑を耕していて発見した人形のような焼き物である。型に粘土を流し込み量産された人形は古代ギリシャの女神であるよりは、リアルに表現された古代ギリシャの普通の女性像である。彩色を施して今なお新鮮さを失わない愛らしい人形に当時の文化人は古代ギリシャに想像をかき立てられた。ウィキによれば、オスカー・ワイルドは彼の作中の少女に "Tanagra figurine" 「タナグラ人形のような少女」という形容をしたそうである。 リルケもその一人で、発掘された人形を「軽く焼かれた粘土は/今は太陽に焼かれている」と書き出している。そして古代の普通の女性は永遠の生命を得たかのように新鮮であるとこの詩で書いた、と解釈した。最近多少語学力がついたせいか、易しい詩か難しい詩かの判断は出来るようになった。この詩は易しい詩である。それでも、辞書に用例のない言葉の組み合わせがある。ネイティブあるいはちゃんとドイツ語を学習した人には辞書に載せるほどもないのか。それとも詩人はドイツ語を拡張したのか。私には分からない。 写真はルーブル・美術館にある「青衣の女性」"Dame en Bleu" "Lady in Blue"である。彼女は団扇を持っている。 Tanagra Ein wenig gebrannter Erde, die von großer Sonne gebrannt. Als wäre die Gebärde einer Mädchenhand auf einmal nicht mehr vergangen; ohne nach etwas zu langen zu keinem Dinge hin, aus ihrem Gefühle führend, nur an sich selber rührend wie eine Hand ans Kinn. Wir heben und wir drehen eine und eine Figur; wir können fast verstehen weshalb sie nicht vergehen, - tiefer und wunderbarer hängen an dem was war und lächeln: ein wenig klarer vielleicht als vor einem Jahr. Rainer Maria Rilke タナグラ人形 軽く焼かれた粘土は 今は太陽に焼かれる。 乙女の手のしぐさは 突如として、永遠の 生命をえたかのよう。 何か伸ばした手には 事実物がそこにあり 顎にふれる手のよう 彼女の感覚に従がい それ自体に感動する。 像を個々に取り上げ じっと見回してみる 像が永遠の命をえた 訳がよく理解できる― 奥が深くて素晴しく 過去と繋がっており 微笑む。一年前とも ほぼ変わらぬ鮮明さ。 リルケ
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リルケ
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今日のリルケはどんな聖なる画を見たのだろう。世俗的な成功を収めた連中が聖なる絵を寄進して、その両脇には寄贈者が跪く絵はよく見かける。何とかの沙汰も金次第という。神聖を汚すようだが金持ちにはその権利があるのだろう。坊さんも上層部は封建領主であり、豪奢な宮廷を構えた大金持ちであり、しばしば芸術のパトロンとしてその名を残している。 私はリルケの注釈書を読んでいないから分からないが、今日の注文主も予想しなかった絵が果たしてあったのだろうか。リルケは本当にそんな絵を見たのだろうか。彼のフィクションの詩は今まで読んでいないので、本当に現存するのかもしれない。たとえ絵画であろうと、キリストに近づけるのは聖書に登場する人物だけである。その後列聖された高徳の聖でもない世俗的な坊主がキリストに触れるのは冒涜もはなはだしい。リルケのテーマは注文主の意図を上回った絵が出来たらというテーマである。坊主の困惑と無上の喜びを書いた詩である。 今日の絵は有名なヤン・ファン・アイクのゲントの祭壇画から寄進者の夫妻の像がある。これは聖職者ではなく純然たる世俗の金持ちである。リルケがいう普通の寄進者の像である。 Der Stifter Das war der Auftrag an die Malergilde. Vielleicht daß ihm der Heiland nie erschien; vielleicht trat auch kein heiliger Bischof milde an seine Seite wie in diesem Bilde und legte leise seine Hand auf ihn. Vielleicht war dieses alles: so zu knien (so wie es alles ist was wir erfuhren): zu knien: daß man die eigenen Konturen, die auswärtswollenden, ganz angespannt im Herzen hält, wie Pferde in der Hand. Daß wenn ein Ungeheueres geschähe, das nicht versprochen ist und nie verbrieft, wir hoffen könnten, daß es uns nicht sähe und näher käme, ganz in unsre Nähe, mit sich beschäftigt und in sich vertieft. Rainer Maria Rilke 寄進者 おそらく画家組合への注文は 救い主がそこには現れない事。 画像のように柔和な聖職者も 救い主の脇に進み出て優しく 手を差し出すはずでなかった。 多分そのはず。型通りに跪く (従来から見てきたように) 跪く。肖像画の輪郭は手綱を 握られた馬の如く、心中緊張し 外に向い祈るように描くはず。 取り決めも、確約もしないで 大変な絵が仕上がったとする 我らなら人に見られぬように 作品に近付き、身近な場所に 置いて夢中で見ることを願う。 リルケ
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今日のリルケは何を思っているのだろう。第三詩節までは言わんとする事は良く分かる。第四詩節もそれ自体はよく分かる。最後の一番重要な詩節は全体を締めくくるには弱いと思われる。私の訳が間違っているのか、釈然としないが投稿するものである。 なお第二詩節にヒェロニムスが出てくる。この詩は感覚とりわけ視覚のことに触れているので、オランダの画家ヒェロニムス・ボッシュのことだろうと思って訳した。ボッシュはいずれまたブログで登場するような気がするので取っておこうと思う。 Vor dem Sommerregen Auf einmal ist aus allem Grün im Park man weiß nicht was, ein Etwas fortgenommen; man fühlt ihn näher an die Fenster kommen und schweigsam sein. Inständig nur und stark ertönt aus dem Gehölz der Regenpfeifer, man denkt an einen Hieronymus: so sehr steigt irgend Einsamkeit und Eifer aus dieser einen Stimme, die der Guß erhören wird. Des Saales Wände sind mit ihren Bildern von uns fortgetreten, als dürften sie nicht hören was wir sagen. Es spiegeln die verblichenen Tapeten das ungewisse Licht von Nachmittagen, in denen man sich fürchtete als Kind. Rainer Maria Rilke 夏の雨の前 庭園の緑の中から突然何か 無くなっても定かではない。 窓際近くに寄り、沈黙する 物には触れる。突如、強く 藪からチドリが鳴きだすと 想起するヒェロニムスの絵。 孤独と熱狂のような感情が この声で喚起され、一声で 分かる。画廊の壁は我らの 話なぞ聞く必要もないかの 如くに我らから離れていく。 色が褪せたタペストリーは 午後の不確かな光を反射し 子供のように恐怖を感じる。 リルケ
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今日のリルケは "Die Gazelle Gazella Dorcas" 「ガゼル―ガゼル・ドルカス」である。リルケはガゼルに魅せられたようである。ただリルケはアフリカに行ったことがあるのだろうか。ヨーロッパにずっと滞在していたら、彼の「豹」同様に動物園でお目にかかるかもしれない。美しい姿とその疾駆する姿を想像できるかもしれない。テレビもない時代、動物学者の説明に依存し、想像上の動物である。 それが文学というものであろうが、リルケは美しい角を詩の韻の対に喩えている。その美しさは皆を釘付けにするという主張を巧妙な喩えで締めくくっている。 Die Gazelle Gazella Dorcas Verzauberte: wie kann der Einklang zweier erwählter Worte je den Reim erreichen, der in dir kommt und geht, wie auf ein Zeichen. Aus deiner Stirne steigen Laub und Leier, und alles Deine geht schon im Vergleich durch Liebeslieder, deren Worte, weich wie Rosenblätter, dem, der nicht mehr liest, sich auf die Augen legen, die er schließt: um dich zu sehen: hingetragen, als wäre mit Sprüngen jeder Lauf geladen und schösse nur nicht ab, solang der Hals das Haupt ins Horchen hält: wie wenn beim Baden im Wald die Badende sich unterbricht: den Waldsee im gewendeten Gesicht. Rainer Maria Rilke ガゼラ・ドルカス 魅惑:韻に選ばれたる 二語が到達しうる魅惑 一つ来て一つ去る象徴。 頭に葉と竪琴を延ばし 汝の全てが喩えられる 愛の歌の言葉、バラの 葉の如く、はや言葉なく 眼見れば喩えは終わる。 汝の姿:跳躍し走る度 弾込めて撃たないよう 運ばれるは耳を澄まし 首止める時だけ。森で 水泳する人が止まって 森の湖に振り返るよう。 リルケ
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今日のリルケの詩は "Ein Frauenschicksal" 「女の運命」である。題の訳は不適切かもしれない。こんな運命をたどる女もいるということであり、「女」一般の運命を詩にしたわけではない。「ある」を挿入した方がいいのかどうか、題の訳はいつもまよう。仮題にしておこうか。 運命のほんの悪戯心で干からびた老嬢生活を送った女性のことにふれている。リルケが誰のことを言っているのか分からない。ある人はたまたま中国の皇帝の後宮に入ったが空しく歳を取っていった女性を思い浮かべるかもしれない。 私はこの詩を読んだ瞬間思い浮かべた絵がある。ドガの友人で、エジプトの考古物などの収集家がいた。この人物の令嬢をドガが描いている。この女性が婚期を逸した女性であることは研究者がちゃんと調べている。未婚の女性は修道院に入ったように貞淑であり、地味な存在であることが要求される。今日の肖像画の背景にある父親の収集物に注目していただきたい。彼女も家名に傷を付けないようにこのガラスのケースに入るのである。 Ein Frauenschicksal So wie der König auf der Jagd ein Glas ergreift, daraus zu trinken, irgendeines, - und wie hernach der welcher es besaß es fortstellt und verwahrt als wär es keines: so hob vielleicht das Schicksal, durstig auch, bisweilen Eine an den Mund und trank, die dann ein kleines Leben, viel zu bang sie zu zerbrechen, abseits vom Gebrauch hinstellte in die ängstliche Vitrine, in welcher seine Kostbarkeiten sind (oder die Dinge, die für kostbar gelten). Da stand sie fremd wie eine Fortgeliehne und wurde einfach alt und wurde blind und war nicht kostbar und war niemals selten. Rainer Maria Rilke 女の運命 王様が狩で杯を掴み何か 一杯飲んだ後に所有者の 王様が別に移して保管し 元々無かったかのように。 運命もおそらく口が乾き 女を手にし飲むであろう まだ幼いので壊されたり 使われないよう気を付け 厳重なガラス箱に入れた。 高価な品々が入れてある (値段に相応しい貴重品も) 借り物同様、女は特別扱い ただ年を取り、世間知らず 高級品でも珍品でもない。 リルケ
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桜と日本人ですね。なぜか、三島由紀夫を思...



