ヘ短調作品34

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最初の地動説はご存知、ニコラス=コペルニクス(1473〜1543)で、あからさまに教会に反対した訳ではなく、著書「天球の回転について」が死後影響し、ガリレオ=ガリレイ(1564〜1642)が支持する様になりました。
 焦点は、当時の科学力(観測技術)で「本当に地動説は万能で有り得たか」です。
 ガリレオの存命時期、教会の非科学的権力ばかりが強調されますが、実は同世代の科学者にデンマークのティコ・ブラーエ(1546〜1601)が天動説を支持しました。
 理由は惑星の逆行運動です。

 太陽、月、恒星は日周運動をしますが、惑星は逆行します。月と比較すると判りますが、太陽系では内側の惑星が外側の惑星を追い抜くと地上では火星、金星等が西から東に動く状態を観測できます。

(→→→→←←→→←←という動き) 

これを「惑星の逆行」といいますが、衛星、惑星と恒星の区別ができない当時では単純なモデルで表現できませんでした。コペルニクス的に「全ての星が太陽中心に円運動」とすると惑星の観測はうなづけますが、それでは恒星は説明がつきません。
 尚、この時用いられた方法は「年周視差」です。
 つまり「地動説」を主張するなら恒星も「逆行」しなければならないのですが、事実それは観測できません。ブラーエはその点を理由に「地動説」を主張し教会が支持した訳です。
 何故ブラーエが「地動説」となったかは恒星と惑星の区別ができない観測技術というだけでなく、無限遠点の様な恒星での「年周視差」を計測するのはやはり無理だからです。
 現在は銀河の膨張による「赤方偏移」等でも観測できませすが...
 特筆すべきはブラーエのモデルは教会に媚びるものでなく、実に合理的なものです。太陽と月、恒星(私達のいう所の)は地球中心に回転していますが、惑星達はその太陽を周回します。この考えは相対的なもので、あながち馬鹿にできないモデルです。
「地動説」で説明しきれなかった、衛星+惑星+恒星(区別されてませんが)の動きが実に見事に説明ができてます。

 教会の圧力で「意思を曲げねばならなかったガリレオ」説ですが、ブラーエが提供することで当時教会側も十分な科学的モデルを確保していたことになり、どちらに真実味があるかはこの段階では判断ができなかった訳です。
 皮肉にもブラーエの弟子ヨハネス=ケプラー(1571〜1630)が有名なケプラー3法則を発見し、これが間接的に「地動説」を補強するニュートンの万有引力に繋がり、科学観測と理論の整合性が生まれてゆきます。

補足;先日の天動説の話題ですが、プトレマイオスのモデル(ギリシャ、100?〜170年?、英語読みではトレミーとなる)が参考になるので添付します。
この絵では惑星の逆行は説明できますが、何故何もないところを公転し、更に地球を周回するかの説明がつかないのが弱点です。
 ブラーエは惑星たちが太陽を公転するモデルとしました。恒星との識別は、やはりまだできてません。

1)楕円軌道・・・惑星は太陽を一つの焦点とする楕円軌道を公転する.
(勿論この時点では地球は惑星に入っていません)
2)面積速度一定・・・惑星と太陽を結ぶ線分が一定時間に通過する面積は一定である
(惑星は太陽に接近するほど速く動く)

ルーブル展を見て

 先日京都に行った仲間の感想は様々であった。小泉発言の影響ではないだろうが、ガリレオの異端審問裁判の絵に注目した友人がいた。フランス19世紀のアカデミーの大家で歴史画を得意とする Joseph-Nicolas Robert-Fleury が描いた「ヴァティカンの宗教裁判所に引き出されたガリレオ(1532年)」である。キリスト教がヨーロッパで普及して行く過程で、教会が一番手を焼いたのが、太陽崇拝であったから、ガリレオの地動説は太陽崇拝に荷担するものと見なされたのであろうか。友人の理解するところを次回に載せることする。

The Full Monty

     
ブログをあまり重くしないため、今回は絵抜きの記事である。

最近BBCのサイトで戦後60年ということで、イギリス人の戦争体験を記録しておこうという企画があり、結構面白くて読んでいた。

大戦に一兵士として参戦したイギリスのお爺さんの思い出話に the full Monty という見慣れない英語が出てきた。彼はエジプト戦線で Montgomery 将軍(愛称 Monty、元帥、初代アラメイン子爵)の指揮下でt敵将ロンメルと戦った兵士である。文脈からおおよその想像はついたのだが、辞書には載っていない。

その後、この言葉を知らなかった私などは、「遅れている」と言われかねないほど有名であることが分かってきた。The Full Monty というイギリス映画が上映されてから一躍世界中に知られる英語になっていたようである。

今後辞書が改訂されたら必ず載る言葉であることも確信した。小さな辞書の場合はまったく問題はない。

訳は
(1)全部
(2)全裸
とし、語源についてはふれないか、of disputed origin とすればよい。用例もちゃんとある。

世界でもっとも権威があるOEDといえども、この語源については諸説を簡略に紹介して済ますだろう。このように素性がよくない言葉の場合、素人といえども Oxbridge の教授連に卑屈になることはない。権威ある学者も、このスラングの由来についてはお手上げ状態であり、スラングの常用者は素人なのだから。

the full Monty の語源論争は、肩のこらない娯楽としては残るであろうし、いろいろな新説が登場するであろう。専門家は当たり障りのない論評を加えるのみである。われわれも好き勝手なことを言ってさしつかえない。

現段階でも10種類ぐらいの説はあるが、そのうち3種類はイギリス人なら最初に連想する Monty = Montgomery 将軍説である。すなわち、

1.Montgomery はありとあらゆる名誉ある勲章を授けられ、軍の式典にはすべて胸に付けて列席した。
2.Montgomery は北アフリカの砂漠でもイギリス式の朝食(ベーコン、卵、揚げパン、トマト、キノコ、トースト、紅茶)に執着し、そろって出てくればご機嫌であった。
3.Montgomery は、なにも将軍が言わなくても、下士官が言えばすむような細かいことまで、なにからなにまで兵士に訓示した。

これだけ眉唾の解釈が登場すると、私も眉に唾をつけて一つ提案したくなる。

4.Montgomery は、兵員、武器、資材が完全にそろい、敵を上回らない限り、血気にはやる部下に攻撃命令を出さなかった。

彼の慎重な用兵は非常に有名であり、しばしば非難されたが、勝者になってからは賞賛された。

イマジネーションに欠けてはいるが、この程度でよければ、日本人である私にでも提案できるのが俗流語源学である。

問題は用例である。OEDは用例とその出典を年代順に明示し、とくに最古の用例にこだわってきた。改訂版を出した直後にさらに古い用例が出てきたのではOEDの権威に傷が付くことを懸念しているようだ。最古といっても、OEDが1985年以前の用例を求めているところをみると、たかが20数年前の話である。自分の記事に、the full Monty を使った人はまだご存命の可能性が大であろうが。

いつか物置に眠っていた古いタブロイドから the full Monty を発見するイギリス人が出てくるかもしれない。それでも、OEDから "Thank you" の手紙が届くかもしれないが、"thankless"、つまり謝礼はなし、OEDに発見者の名前が載るわけでもない。イギリス人とても夢中になる価値はない。もちろん日本人には到底無理な課題である。

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