ヘ短調作品34

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美術

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HuffingPostの11月30日号の記事に、「13歳のゴッホの写真」、実際は「弟のテオ」だったと判明!という記事があった。この記事にいちゃもんをつける気はない。論旨は明快である。肖像を撮った写真館開業の年からテオの肖像写真を判定した記事には異論はない。
 
だがHuffingPostはついでにヴィンセントそっくりの肖像画をヴィンセントの自画像ではく、弟のテオを描いたものだとオランダのヴァン・ゴッホ美術館が断定している。私は美術館の勇み足だと思う。その根拠は単純である。何ら科学的な根拠を提供するものではない。
 
ヴィンセントは多くの人の肖像画を描いている。その彼が最も親しく信頼している最愛の弟のテオの肖像画を描いていないとしたら誠に不思議な話である。そんなはずはない。ヴィンセントはテオを描いているはずと言う思い人々が抱いても何ら不自然ではない。画家は弟とそっくりだったから、兄弟の肖像画を取り違えたのかもしれない。人々の好奇心と願望があれば、願望はなぜか叶えられるものである。テオの肖像画なるものが出てくる。それもゴッホに関しては世界で最も権威があるとされるヴァン・ゴッホ美術館が断定したのである。このテオの肖像画がオークションにでることはありえないから、モデルが兄であろうと弟であろうと、美術館のコレクションの経済的価値には影響を与えない。
 
この人物はテオではなく、ヴィンセント自身である。ヴィンセントが描いた人物は襟とボタンの位置から洋服を左前に着ているが、男が左前に着ることはありえない。左前に服を着ている男性は肖像画家ヴィンセントであり、この画は彼自身の鏡像画である。テオがそこにいるのにわざわざ鏡の前に立たせてその鏡像を描くだろうか。最近目が悪くなってきて確信をもてないが、HuffingPostの編集の間違いか、ヴァン・ゴッホ美術館の失態と断定せざるを得ない。セルフィーのなかった時代、写真か肖像画を撮ってくれた人がいない場合、貧乏画家、あるいは写真嫌いの画家の自画像は鏡に写った自分を見つめて描いたものである。ところでゴッホの自画像の着衣は私が知る限りすべて左前である。この問題に関しては「ゴッホが切った耳」と「ゴッホの自画像」で議論している。
 
残念ながらヴィンセントによるテオの肖像画なるものは贋作画家が登場しない限り今の所存在しない。
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ヴェラスケス・カレンダーの最後の一枚は「東方三博士の礼拝」である。ヴェラスケスの修行時代の作品である。1619年の作品とされる。手本となる作品が多いのに、ヴェラスケスのこの作品にはすでに彼の特徴が出ている。飾らぬ写実性は大家達の絢爛豪華な色彩と較べても極めて特徴的である。例えば英語名のAdoration of the Magiで画像検索しても歴然たる物がある。


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ヴェラスケス・カレンダーも11月になった。今までに一度も見たことのない絵である。今回も肖像画である。宮廷道化師ドン・フアン・デ・オウストリアの肖像とある。名前は大変立派である。国王フェリペ四世のご落胤にもそんな名前の人がいた。風貌も普通である。ヴェラスケスの絵によく登場する小人でもないし、漫才師のように面白い風貌でもないし、服装がまともである。リゴレットのような肉体的ハンディーがあるわけでもない。よほど特別な芸でも持ち合わせているのであろうか。


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10月のヴェラスケス・カレンダーはフェリペ・プロスペロ・デ・アウストリア Felipe Próspero de Austria1657 - 1661)の肖像画である。フェリペ4世と2度目の王妃マリアナ・デ・アウストリアの第3子として、マドリードで生まれた。1646年にフェリペ4世の王子バルタサール・カルロスが死去して以降、スペイン・ハプスブルク家には男子の王位継承予定者が生まれず、ただちにアストゥリアス公位を授けられた。

 

1659年に宮廷画家ディエゴ・ベラスケスが描いた『フェリペ・プロスペロ王子』像は、王子が生まれながらに病弱であることを表現している。この絵はオーストリア・ハプスブルク家からの要請でウィーンに送られたものであろう。現在ウィーンの美術史博物館が所蔵している。

 

1661年、弟カルロス王子(のちのカルロス2世)誕生のわずか数日前、フェリペ・プロスペロは4歳で病没した。

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ヴェラスケス・カレンダー9月はマドリッドの美術館に所蔵されている「バルカンの鍛冶場のアポロン」である。ヴェラスケスは王室の宮廷画家に採用されて後、イタリアに留学している。その時の一枚がこの作品である。フェリペ国王の注文ではなかったが、王室の所蔵品となり、最終的にはマドリッドの美術館の所蔵品となった。イタリア画壇の明るい色彩と彼本来のリアルな描写はその後の彼の展開を予期させるものである。

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